ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

他人の日常は、非日常

出張という形出はありますが、島根県益田市まで行ってた来た。

柿本人麻呂ゆかりの地で、さすが島根、どこに行っても古代のロマンが吹き荒れている。

とまったホテルがちと変わり種で、4,5,6階は、客室だが、

3,4階がカラオケとボーリングだった。

宿泊だけだとお客さんが足りないのかしらねーなどと思いつつ。

テレビをつけたらAVが見れるタイプの奴だった。

みません、なんてことは言うつもりもはないし、なんだったら好きな女優さんも

普通にいるが(鈴木あんりが好き)もっぱらサンブル動画を見あさる程度で

一本まるまるってみたことないなあ。。。と思いつつ。

適当につけてみるとやはり大体1本90分~120分くらいなのねと。

 

インタビュー⇒スタジオ紹介⇒本番というタイプをみたところ、飽きた。

倍速で見ても、全部見きれなかった。

あれだなーやっぱりシュチエーション萌えなんだなあと実感。ストーリが必要だわ。

こう、うそやろ!!くらいの奴がいい。スパイものとか、女社長ものとか。

そういうのがいい。

 

そいう話を知人にしたところ、そういうのは、倍速でみるのではなく、

おっ!というところまで早送りし、そこをじっくりみるもので、

倍速はいかん、と言われた。そうか、なるほど。

好きなところを見つけるのが大事なのね。学んだわ。

 

空港の調査、という名目で、外国出身の友人のカップルを招いて、

調査に協力してもらった。自分では当たり前に見えても視点が違うといろいろと

気づくことが多い。

例えば、アイコンが国際基準じゃないから、パッとみてもわからない、とか、

到着と、出発と外に書いてあっても感じだと読めない、とか、

そもそも、小さな空港で分けられるとかえって困る、とか。

言われてみれば、海外にいくと国際線のアイコンは皆同じだ。新幹線もそうだ。

そうかそうか、そういうことだなあ。

 

他人の目線が入ったとたん、当たり前の日常があっという間に

特別な非日常になる。だから、インプットは大事なんだな。

世界を染める絵具を自分で生み出しつくしたら、他人の色を分けてもらうに限る。

色んな色を混ぜれるよにしたい。

 

さて、別に、今回は、出張の話がしたいわけではなくて、長めのファンレター(の序章)みたいなものを書きたい。

 

トカイ子は、ポットキャスト、というラジオ配信サービスが好きだ。

仕事の拘束時間が長いから、ラジオという媒体を好むことが多くなった。

もともと、ラジオは好きだったし、ネットが発達してからより楽しくなった気がする。

 

その中でも大分長く聞いている番組がこちら。

 

nikunoana.seesaa.net

 

大阪在住の男性二人組のラジオで、日々の出来事や、お便りを紹介している。

仲の良さや飾らなさみたいなものが魅力で、彼が大学生のころから聞いている。

大学生⇒就職⇒結婚⇒出産と

彼らの日常をここ数年、そっと私の人生の隣に走らせてきた。

そして、出産を機に大きく生活が変わるため、このラジオは終わりを迎える。

 

今回はハッシュタグなんてつけないけど、最終回が終わったら。

ハッシュタグをつけて、めちゃくちゃ長いファンレターをかこう。

たまに下書きを整理してみた

 

年度末の戦争に向けて、帰れない日々が続くとかい子です。

一度家に帰ってしまうと籠城しがちだから、

できるだけ家にはかえりたくない、いたくない。

たたかい続ける人の心に必要なのは、休息場ではなく、

新たなる戦場である。戦い続けられなければ、死んでしまいそうだ。

・・・・この考え方がそもそも死んでいるような気がしている。

 

さて、当ブログは、「都会」と「田舎」をどのように生き抜くか、

をだらだらとつづることがテーマになっている。

なので、なにか出来事があると書く、という形。

忘れないように、メモがきを下書きに残しておいて、後で書き足す。

とかい子はお酒飲んだ帰りとか、寝る寸前とかに書いていることが多いので、

下書きをみるとこんなんかいたっけかーみたいなのがたまにある。

たららたーとみなおしていると、こんなのがあった。

 

付き合うこともなかったおだやかな日常より

別れてしまったさみしさの方を選ぶ

 

会えなかった人生より

別れることがわかっていても、出会える人生を選ぶ

 

なーんかの小説の一節かなんかだと思うんだけどな。

なんだろ。これ。

さて、冷静に考えてみるが。どうなんだ、今の私から考えてみると、

 

どちらかというと、寺山修司さんを引用したい。

思い出さないでほしいのです。

思い出されるためには、忘れられなければならないのが嫌なのです。

(思い出さないで)

 

出会えたことさえ忘れてしまいたい。この苦しさに耐えるすべを知らない。

あ、これ、RADの歌詞にもあったな。

なんとまあ、私が悩んだり、苦しんだりすることの対外はすでにだれかが

悩んで、悩み抜いて、美しく浄化されて、言語化されている。

 

言葉にできない思い、というのはたくさんあると思っているが

それは、言葉にされた思いにまだ触れていないだけで、精進不足なんだろう。

 

こんなに苦しので、できれば、もう恋愛はせずに、楽しく

一緒に入れる友達を増やして、来年や再来年をあっけらかんと信じれて、

大切な人を大切に思い続けられる人生を歩んでいたい気がする。

 

恋愛から逃れたし、自分の女性性から逃れたい。

楽しむためには自分が正しくあらねばならんな。

 

 

 

 

ポメラニアンみたいな男の子に告白された話

新年明けましておめでとうございます。

ナンテン

 

イナカ子、30手前にしてポメラニアンみたいな男の子に神社に呼ばれ、雨の中告白を受ける。

シャイで不器用な彼は、わたしがカッパを着て長靴を履いて自転車にまたがったところで声をかけてくる。

「話したいことがあるから屋根のあるところに行こう」

ちなみにさっきまで窓すらない居酒屋で呑んでいたわね、わたしたち。

 

世間話をしながら歩き、商店街のアーケードを抜け、大学を通り過ぎ、そろそろバタ子さんに新しい顔を持って来てもらうべきかと悩み始めたところで神社が現れた。

 

意を決した彼はわたしをそこへ連れて行き、好きです付き合ってくださいと言った。

 

誰かに好いてもらえているという重大事項は結構強めのクスリだ。

一瞬、ふらっと服用してしまいそうになる。

でもすんでのところで断った。

 

誰かに好いてもらうと、ついその好意にもたれかかってしまいそうになる。

それを服用したら気持ちよくなれるって分かっているからだ。

自己を肯定するという複雑難解な作業を外注できるからだ。

 

でも本当は、自分が好いてほしいと思っているところを好いてほしいのだ。

 

ポメラニアン君の告白冒頭部分によると、彼はわたしに憧れを抱いているという。

それはお決まりの言葉で締めくくられる。

 

「だけど、僕が君みたいになりたいかといえば、それはまた別の話」

 

なんだかちょっとズルいなあ。

わしは馬かい。

君は馬券を握りしめ、観戦席からわたしで夢を見るんかい。

結構足痛いんだよ、知ってる?

 

2018年は年が明けてまもなくフラれ、その反動でヌードを撮ってもらったりヌードを撮ったりストリップに行ったり合コンに行ったり合コンに行ったり合コンに行ったりした。

しかしわたしの子宮は無言を貫いたまま、今に至る。

2019年こそは、そう、子宮直下型大地震がくる。そう予感している。

 

tsumehaya.hateblo.jp

 

tsumehaya.hateblo.jp

 

今週のお題「2019年の抱負」

365分の1の日の出

今年は、実家に帰り損ねたし、

年越しも会社だし、年始も会社にいる。

集中力がぶちぶちときれ、仕事に関する意義を必死で見つめながら

だらだらと過ごしてしまう自分に腹を立てつつ。

せっかく、関東でお正月を過ごすのだからと初日の出を見にいった。

毎日毎日、日はのぼるのに。一年の始まりを告げるという朝日に大勢の人が

労力をかけて会いに行く。

これだけの人が、夜があけるのが楽しみだ、というのであれば、

それはとてもよいことだと思う。

 

というわけで、初日の出をレインボーブリッジで見ることにした。

お台場レインボーブリッジには遊歩道が設置されていて、

朝10時から18時まで開放されている。

www.kouwan.metro.tokyo.jp

 

年末年始に限り、夜間開放、早朝開放をしているのだとか。

 

ゆりかもめ芝浦ふ頭駅から、10分ほど歩いたところに入口がある。

レインボーブリッジにあがるには、階段かエレベーター。

そこそこ人が並ぶので早めに行くに越したことはない。

ちなみに、階段だと、ビル10階建て分くらいは登らないといけないので、

多少並んでもエレベーターの方がよいと思われる。

日の出を見るには、南側の遊歩道を歩いたほうがよい。

f:id:tsumehaya:20190102205534p:plain

(期間限定で本当にレインボーブリッジになる)

 

都会的な雰囲気を満喫できる高層ビル群と、工場群を見ながら進んでいく。

 

f:id:tsumehaya:20190106211332p:plain

携帯を落としそうな恐怖に打ち震えながら撮影する

基本的に安全のため、金網が張られているのだが、ところどころ景色を楽しむために金網の張られていないふくらみが設けられている。

ただ、さすがに、どこもそこは人がいっぱいだった。しばらく進むと、金網のない道路ゾーンがあるので、そこまで、てくてくあるいたほうがゆっくり鑑賞できるかもしれない。

 

 

さて、6:50の日の出を見送り、帰りはゆりかもめに乗って、移動。

元旦からやっている目黒の銭湯を目指す。

 

www.bunkayokusen1010.com

 

 

 

元旦の8時からやっているという、なんとも働き者な銭湯。東京のお湯は

ちょっと歯を食いしばるくらい熱いことが多いけどここは適温。42度くらいかな?

昔ながらの銭湯らしく、背中にきれいな色がさしているある方もちょいちょいお見かけする。

とかい子は、割とそういう文化が好きなたちなので、あー久々にみたなあなんて、

思いながら、凍えた体をお湯に沈めた。

 

今度はそこから歩いて、上目黒氷川神社

  

 

こじんまりした、地元の人がお参りにくるような境内。お神楽の奉納があるらしく、

舞台も用意されていた。

さて、今年はいかに。。と思い引いたおみくじは、「大吉」。

去年も大吉だったな、そういえば。最初の滑り出しはわるくないのだから、

よっぽど行いが悪いのだろう。

気を引き締めよう。

 

さて、かくして、一年がまた始まる。

ずっと昔に思い描いていた27歳とは程遠い自分自身で、それは多分

日常生活をまじめに送っていないからだろう。

年々強くなる承認欲求、自己否定と自己愛の矛盾、対人不安をいまだ抱え、

それは少しずつ仕事にも私生活の人間関係にも影響を及ぼしつつある。

それでも、年が変わるという朝日は私もとても待ち遠しいものだったし、

それを少しでも共有したいという気持ちがある。

 

今年は、もっともっと自分自身から卒業できたらいいなと、

やったほうがいいなと思うことは、すぐに行動するという当たり前のことを

着実にして、いい感じのおばさんになっていけたらいい。

どうか、どうか。

少しでも多くの人が幸せでありますように。

 

今週のお題「2019年の抱負」

 

クリスマスはどん底で(師走中盤)

いまさらですが、クリスマスの話し。

 

私は、このクリスマスというイベント、めちゃくちゃしんどいと

おもっている。

なんでかなーと振り返ると、

「あ、そうか。あたし常におもてなす側しかしてないからか」と。

相手に喜んでもらうために駆けずり回る。それが、クリスマスだった。

ついでにいえば、又すぐ2月が来るし。忙しいだけなんだってば。

出費多いしね。なにかと。

まあでも、人に与えること、ないし、うけとってもらうことが

幸福感を最も満たせることだと思うので、相いう意味では、

幸せな月なのだとおもう。

 

さて、ここ数年のクリスマスで最も楽しかったのは、

一昨年のクリスマスだった。

中学時代の友人が2人、会いに来てくれたのだ。

雨が降りしきる日ではあったが、張り切ってラクレットのお店を予約した。

 

www.hotpepper.jp

 

お値段の手ごろ。少人数向け。

 

イルミネーションをみて、一緒に1000円以内のプレゼントを購入した。

 

お酒にあまり強くない2人だから普段、バーとかいかないというので、

雰囲気のよいバーを事前に探しておいた。

 

個室席のある、リーズナブルなレトロバ―。1970年創業。

残念ながら名前を忘れてしまった。。。。。

 

そこで、3人でお酒を飲み、あみだくじで先ほどかったクリスマスプレゼントの交換会をした。この1000円というのがよいポイントだ。

 

前置きが長くなったけども。

そんな、楽しい思い出を引きずっているので、何となく今年も

クリスマスを口実に集まってみた。

以前、一緒にチームラボに行ったメンバー

 

tsumehaya.hateblo.jp

 

プラス、落語研究会時代の友人1人の計5人。

直前に彼女をゲットした人がいたので、そやつを魚にこくこくと。

場所はしゃれのつもりで、新宿三丁目、「どん底

 

www.donzoko.co.jp

 

1951年創業の新宿で最も古い建物。

多くの文豪たちが酒を酌み交わした場所である。

手ざまな感じは否めないが、数十種類のお酒と、

定番の洋食メニュー+居酒屋メニュー。

雰囲気満点の店内で、ホワイトノイズの交るBGMと共に過ごすことができる。

 

前回の楽しさが忘れられず、1人1000円以内のプレゼント購入を実施。

「完全教祖マニュアル」という本のプレゼントが秀逸だった。

 

www.amazon.co.jp

 

クリスマス目前に、どん底にぬくぬくと沈みながら、話題には事欠かない。

 

「結婚」というシステムの見直しについて、「家族制度」について、

おっさんずラブ」と「逃げ恥」のドラマの社会的意義の比較について。

 

興味深いコンテンツにあふれていたのだが、残念ながらもう

記憶はおぼろげになってしまった。

ただ、「恋愛ドラマはいつまでもロミオとジュリエットから抜けられない。

逃げ恥はそういう意味ではかなり大きな挑戦だった。おっさんずラブも結局は

おとめな心を持つおじさん(女性)と男性の話であり、男性と男性の関係性について

えがいたものではなかった。」という考察は印象的だった。

 

次の日に用事のある2人が帰るとのことで一次会は終了。

代わりに、私のゼミの仲間が合流し、二次会へ

 

tabelog.com

 

ここが本当におもしろくて、「ごぼうのカクテル」「かぼちゃのカクテル」

「ザクロのカクテル」など、さまざまなフレッシュカクテルがおいてある。

 

私は「ザクロと大葉のカクテル」をチョイス。

私、私の社会人になってからの友人、サークルの友人、ゼミの友人という

これまでの人間関係の時系列がギュッとなった空間だった。

 

今回はお店雑記という感じ。

忘れないうちに。

明日は、年越しについて。

 

 

主役をはれない(師走序盤編)

師走が師走過ぎて何もする気が起きなかった。

みなさん、あけまして、おめでとう。

まあ、なんとなく日本は年度で3月締めだから1月が一年の

終りという感じがしない。どちらかというと、休戦の期間という感じ。

自分の神経にはかせているたっかいたっかいヒールを、最もすり減らすのが

1月、2月、3月という時期なのである。

この決して長いとは言えない休み期間にヒールを履かせなおし、

傾斜のきつい坂でも登れるようにしておかないといけない。

(とかい子はヒールの利点は坂が登りやすいことだと思っている。あれ、違う?)

 

さて、怒涛の12月を1つずつふりかえって見たい。

 

12月の序盤に「小噺教室」なるものをやった。

私はサポーターなので、せっせとテキストをつくるだけ。

部屋を抑えたりとか、イベントの告知はメインの方がやる。

当日の進行もメインの方がやる。

 

小噺をおしえる、というのは、大学のサークルが始まる4月にある、

最初のイベントだ。

まあ、大学のサークルの本気度と、

楽しもう!がメインのイベントでは、指導の主軸が違う。

次のモチベーションを形成すること

あ、こんな感じなんだ、私できるじゃん!という良いイメージをつくること。

つまり、新しい分野における肯定感を高めることを意識して、

すすめないといけない。

 

作成した冊子は、出来るだけ文章をすくなく。

とはいえ、豆知識的な要素は混ぜて読み物としては面白く。

落語をこれから見る人のガイド本にも成るように意識して作成した。

 

イベントの進行は、よくあるアイスブレイク

「声を出さずに誕生日順に並ぶ」

「ペアの相手を紹介する他己紹介

和気あいあいとした雰囲気をつくった後、

 

落語の形をなすために必要な最低限のポイントを実践。

めちゃくちゃ簡単な小噺を1つ。

メインの人の真似をしつつ覚えて、発表。

アドバイスをしあってブラッシュアップ。再度練習。発表

休憩を終えて、テキストの中に小噺を1つ選んでもらって練習。

 

問題はココからの個人の練習時間だった。

 

私は自分の特性を少なからず分っているつもりだ。

出過ぎず、雰囲気作りの上手いメインの方に進行をわたし、

振られたときにサポートをすればいい。

参加者のモチベーションをそいでしまわないよう、

あくまでサポート。・・・・・だったのに。

 

落語は、「芝居」ではない。「話芸」だ。

あくまで言葉で、その言葉を補うものとして表情、仕草がある。

音声だけでも絵が浮かぶ、それが落語だと思っている。

芝居は、お客さんに空間をみせる。「目の前の現象」そのものに

心を動かしてもらうものだ。

落語は「目の前の現象に」にインスピレーションを得て

「頭の中のイメージ」にこころを動かしてもらう。

空間ではなく、「空気感」を感じてもらうものだと思っている。

だが、これはわりと個人の解釈による。

おそらく、メインのひとは「動き」を通して心を動かす、

「芝居」に近い落語をする。

(先に言っておくが、メインの方の落語はとても面白い。

結局、面白いということが大事なのも事実だったりする。)

ので、「芝居」に近い落語の指導の形となる。

・・・もうね。あーそうじゃない、そうじゃないんだよなあー!!!

とか、え、いや、まあ、うん、とか。

心の中は大あらし。大あらしの中、個人練習に突入した。

 

 

つい、真剣に指導してしまう。いいね!とはいいつつ

もっとこうしたら、もっとこうしたら、と欲が出てしまう。

限られた時間の中で満足感を得てもらうことができなければ、

またやってみよう、とはならない。

のだが。どうにも、中に1人。

自分のやり方にこだわりすぎている、よくいえば、

「カッコよくやろうとしている」悪く言えば、「中途半端」

 

それは、お客さんに楽しんでもらおうという視点の無い態度だ。

もう、がちの指導を入れてしまった。

年齢が10も20も上の、男性に。

20そこそこの小娘にここまで言われるのは楽しくない記憶だろう。

これからも落語を楽しんでもらいたいのによくないことだ。

 

 

IDEOという会社の人事評価の1つに、

「どれだけ、他者を輝かせれうことができたか」というものがある。

www.ideo.com

 

その点でいえば、今回は、他者を楽しませることができなかった。

これからも楽しみたい、というモチベーションの形成ができなかった。

 

他者の存在を引き立てることができないのであれば、

私はぜったいに主役をはることができないな、と

寒空の下、苦虫をかみつぶした12月前半。