ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

人生の時短料理

五畳半、キッチン、バス・トイレ別、収納・ベランダあり、洗濯機外置き、月27,500円。それがとかい子の初めて1人暮らしをした部屋だった。場所は、異国情緒あふれる長崎市。大学進学と同時に実家を出て、アスレチックだろうかと思うほどの強い傾斜の坂道のほぼ頂上に位置するコーポで私は生活を始めた。

元来のずぼらな性格はついぞなおらず、夏の生ごみの捨て忘れに半べそをかき、冬の水場の掃除のサボりを後悔し、梅雨時期のカーペットの裏を返すのに気合いが必要な4年間を過ごしてしまった。

 

あれから約10年。その間、住居を、長崎、兵庫、大坂、福岡と替え、10回程度の引っ越しを経て、社会人になった私が住んでいるのは東京都。6畳半、トイレ、バス、キッチン共有、5人住み、ワイファイ完備、高熱水費家賃込み66,000円。いわゆるシェアハウスに住んでいる。シェアハウスに住んでいますと言うと「最近の若い人だね」とか、「知らない人と住むとかストレス多そう」と言われる。親には「学生じゃないのだから」なんて言われたりするが、私は学生にはシェアハウスは勧めない。少し忙しめの社会人にこそ、シェアハウスという暮らし方を選択肢に取り入れてほしい。

シェアハウスでの暮らしは、時短レシピで料理をするようなものだ。

生活を1人で快適に維持するのは大変だ。掃除に洗濯、洋服の特性に応じた適切な管理、食材の管理、消耗品の管理、各種道具の手入れ等など細々と気を回すことは多い。特に洋服は、人の印象に関わるからちゃんと管理しないといけない。週2日しかない休みの午前中は家事でつぶれてしまう。食材を管理して、1つずつ調理して、調味料もちゃんと揃えておかなければ自分が食べたい料理ができないのと同じだ。

 

時短料理のレシピはそんな細々とした配慮をできるだけ少なくして目指す味にしてくれる。それは、時短レシピの作成者が料理の完成形を知っていいて、どこの手を抜けば手間暇かけたものと変わらないクオリティーなるのかわかった上でつくっているからだ。

だから最初の1人暮らしはきちんと自分で運営して自分は絶対にどこに手を抜きたくないのか、どのレベルの暮らしが自分にとって心地よいのか把握しておくと上手に手抜きができると思う。

 

そして、シェアハウスでの暮らし方は生活の一部を上手に手抜きすることができる。例えば、水周りの管理だ。

シェアハウスは複数人で生活を運営する。そのため、水周り、トイレやお風呂、キッチンの清掃、廊下の清掃、玄関の清掃は清掃業者が入ってくれるのだ。鏡や排水溝だっていつも綺麗にしておいてもらえる。また、電球やトイレットペーパー等の備品は買いそろえてくれる。ゴミ捨てだって管理会社で実施してくれたりするのだ。

電気代、水道代の支払いも一カ所にまとめられているため、手続きも楽にすることができる。買いそろえなくてはならない家具や家電もあらかじめそろっているため必要ない。少し規模の大きなシェアハウスになれば、オーブン付きのキッチンなんかもあったりする。

気を配るべきは自分の生活空間だけ。思う存分、部屋のインテリアや快適なラグマットを選ぶ時間にあてることができる。

そして、1人暮らしは1人の気楽さと寂しさのバランスが大切だと思っている。時計の音だけ響く自分の部屋に1人いて、世間から置き去りにされたような気になったことはないだろうか。紛らわそうとテレビの音量をあげたこと、パソコンに1人向かいSNSで人と繋がってみたりしたことはないだろうか。そうやって過ごした時間だって二度と帰ってこない。

もしその瞬間に、「ただいま」といえば、「おかえり」と返ってくる一瞬のやり取りがあれば、幾分かこのバランスはとりやすいように思うのだ。1人の時間の過ごし方にも多少影響するのではないだろうか。

シェアハウスだからと言ってホームパティーがあったり、交流があったりというのはない。お互いいつかず離れず、キッチンなんかには過去の人たちが置いていって備品なんかを譲り合ったりして、互いに干渉せず適度な距離で関わっていける。世間が思うほどリア充の巣窟ではない。

 

私は、ちょっとずぼらだから少し生活の近い所に他者の目があるだけで、あ、ここも綺麗に並べよう、とか、ゴミはやめに片づけなきゃと言った意識付けにつながっている。たまに、食事のタイミングが被ったりすると他愛無い話ができるのも楽しい。少し仲良くなったら近場の銭湯に一緒に出かけてみたり、いただき物を分けあってみたりしている。こんな暮らし方、どうでしょう?

 

日々の料理を時短して、いつもより少ない労力で変わらない料理がつくれたら、ちょっと空いた時間でもう一品新しいメニューに挑戦したり、いつもはしない演出をしたり出来るかもしれない。

シェアハウスという暮らし方は、自分の人生の適切な手抜き方法の1つだと思う。

 

 

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心置きなく幸せになりたい その2

 

恋を始めるなら秋がいい

恋を終えるなら春がいい

日本の四季は恋に向いている、てきなCMがあった気がしている。

わりとあっていると思う、とかい子です。

 

とかい子、たぶん根はとても暗いのだと思う。

以前、心置きなく幸せになりたいというタイトルで

つらつら書いた。

今回はその続編。

僭越ながら、大した考察もしないけれども、こちらをもとに

考えていきたい。

 

www.u-tokyo.ac.jp

 

後半の、大学で学ぶ意味、というところのこの二文、こころから同意した。

 

 大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
 

 とかい子、前からネットの海を漂っているが、よく言われる。大学で学ぶ意味なんかないと。

いや、なかった人はなかったでいいと思う。

フェイスブックの創設者だって、大学で学んでいる場合ではないとやめてしまったから。

そもそも、大学で学ぶって結構難しいと思う。卒業して思うが、

やっぱりこう、あくまで学問の入り口と地図の凡例くらいしか教えてもらわないし、

一人でできるほど簡単ではない。学んだことを語り合ったり、

どういうことだと思う?みたいな会話ができる人がどれくらいいるかとか、

そういうのに左右される。

それがレポートだったりするんだけど、やっぱり出せばなんとか、

みたいなところあるしね。

 

学部生は、高校までとは違う問いの存在をしること、

修士は問いの立て方をまなぶこと

博士は、問を見つけてその問の価値を定義付けてかつその解き方を

示すこと、だと勝手に思ってたりする。

それをきれいにまとめていただいたように思うのだ。

 

いや、まじそれだけ。

 

もう一回大学入りたいなあ・・・・

 

 

 

頭が溶け出してこぼれた液体に浮かんでた文字で書いた文章

暑いんだけれども。

ほんっとにほんっっっとに暑い。

せっかくなれないお化粧頑張ったのに、10分で全部落ちた。

汗が目に入ってめちゃしみた。やすも。

 

さて、

お金を使って贅沢をするのは簡単だ。だって、手段を択ばなければ、

あと、リスクを負えばお金はわりと簡単に手に入る。

だから、お金を使わずに贅沢をするのが大人だと思う。

 

たとえば、めったに会えない人と土曜の昼から1時間だけ

なんっでもないコーヒーをただ飲む、とかめっちゃ贅沢。

時間に対する満足度のことを「贅沢」というのだと思う。

1時間、自分が望んでもないのに電車に乗せられれていきたくないところに

向かうのと、

1時間、大好きな人と思い出の場所に向かうのとでは、全然違う。

誰かと時間を共有する、それそのものが贅沢だと思う。

特にこの年になるとね。

 

というわけでちょっとした贅沢は、

「思い出の地に一人で行って何もしない」

だということにします。

 

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お題「ちょっとした贅沢」

夏はいつも懐かしい

とかい子はタイトルから書く派です。

そのあと、お題を選びます。なので、タイトルと

お題があってないことは良くあります。

 

夏に食べるものって毎年同じ味がしますよね。新しい夏が

毎回毎回やってくるのに、夏はいつも懐かしい気がします。

麦茶に、クーラーに、そうめんに、うちわに夜更かしに

深い青の空に。

どんなにそれぞれのクオリティが上がろうとも、どれもこれも懐かしい。

子供の時にたべて好きじゃなかったけど、

大人になったら好きになる、もしくはその逆はよくある。

ピーマンなんかその代表だとおもうけど、

この夏の食べ物に関しては、子供の時と同じものを同じような感想をもって食べている。

ぽっきんチューとかね。

冷やし中華とか、かき氷とかたこ焼きとか。

 

いつも、アイスの実をよく凍らして、サイダーをかけて

そのほか果物を入れて食べている。

だれとも分かち合ったことのない私のおやつ。

一人でいつもベランダに足を投げ出してあちいなあと思いながら、

溶けていくアイスがグラスにぶつかる音と強炭酸のはじける音をきく。

一人で部屋の中にいないと聞こえないこの微細な音が

私にいつもの夏を告げてくれる。

 

毎年なんとなしにそのおやつを食べると、

新しい夏も過ごしたことのある懐かしい夏に代わっていく。

 

 

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お題「思い出の味」

苦爪楽髪(伸縮性が試された夜)

とかい子の年齢は27歳で、20代の後半もいいところだ。

 もはや、30代手前といった方が、20代後半よりもしっくりくる。

自分がいい年なのだから、当然周りの人々も適度に年齢を重ねていく。

気づけばその人と初めて会った年齢を越えていたりして、

ああ、時は流れているのだなあとしみじみ思ったりするわけだ。

 

とかい子は前々から書いているように、ネットとリアルの出会いの

比率は半々くらいだ。

長い人だと初めて話してからすでに6年のお付き合いになる方もいる。

そのうちの一人に「先輩」がいる。

この称号は便利で、ネットで本名を明かす人もあまりいないから、

年上の人はすべからく先輩と呼んでいた。

先輩は、愛知県の人で、自身のことを「変われない人」だという。

好きなものや持つものが変わっても、趣味がいくら変わっても、

本質的な変化を遂げることができない。

人生において大切なことは「我ただ足るをしる」だという。

成長がなにか、というのは難しいが、ただ伸びていくことだけが

幸せになることでもないだろう。日本語とは便利で「成熟」という

概念もあるわけだ。もちろん、適切な管理がなければ、すぐにでも、

「腐って」しまうわけだが。長い年月をかけて、適切な管理をされてきたそれは、新しくみずみずしいだけではない魅力がある。

先輩は、成熟した人だと私は思っている。

 

そんな先輩は、もれなく、自由気ままな独身街道を謳歌中だ。

背丈もあって、収入も安定していて、車とバイクと自転車と天体観測と

旅行と、フォークソングと落語が好きで、

一人でもみんなでもそれなりに楽しめる。

そんな先輩の伸び縮みするところが久々に伸びたらしい。

元カノと素敵な夜を過ごした以来話を聞いてないから、三年ぶり?くらいでは

ないか?

 

自転車仲間の彼女さんが、同居中の彼氏の家を飛び出して、

そのまま会いにきたとのこと。まるで2ちゃんねるからでてきたような

しょーもない男らしいので、とっとと分かれてしまえ、そんなくず、と

その判断には全面同意。

で、夜勤明けの先輩はやけ酒に付き合い。つぶれた彼女を実家まで送り届ける。

・・・起きない。時刻は朝4時。もはや朝。夜勤明け、ほぼ2轍。

 

「このまま起きないんなら、眠いから、俺、自分の家に帰るからね。」

 

と、何度も言い。もういい、帰る。とおうちに帰宅。

さすがに車に放置しとくわけにも行かないので、自宅へ連れ帰る。

服を着替えさせて、その辺で寝ると言い出すかなーと寝袋を探していたら、

おとなしく後ろをついてきたらしい。だからそのまま進んだ。

そんなに広い部屋なわけもなく、あっさりとベットに到着してしまったらしい。

「・・・・しらないよ?」

「ゴムはあります。」

 

辛抱できんよねーと6つほど年下の彼女と久々に本能の見せつけあいを

されたらしい。

とはいえ。夜勤明けで、彼女も別れているんだか別れてないんだか

正直よくわからないし、むき出しの本能、とまではならず控えめに終わったそうなんだけれど。

なんだったら、行為の主目的は果たせず、オプションで終わってしまったんだとか。

 

「あんだけ首筋で気持ちよくなれるなんていいよねー」

 

常々、自分は表面を堪能したい派だから!と公言しているから、

まあ、それはそれで楽しかったんだろう。

今週末にスーツ姿を見たい、とせがまれたそうで。

スーツプレイね、次回報告も楽しみだ。

先輩の中に、他者の存在を必要とする気持ちが果たしてあるのか、

大変に疑問だったりはするんだけれども。

結構あれだな 、男遊びしなれてる女の子とかの方が相性いいと思うんだよね。

真剣になるとちょっとだけつらいかもしれない。

 

相手の女の子の中に先輩はどんな位置づけなんだろうか。

私はとても情に流されやすいから、好きになると、無意識の中に

相手が位置付けられる。

本当に意図せずして相手の名を呼んでいる。

好きなその人と違う相手と買い物をしているのに、

好きな人の名前で、その相手を読んだりとか。

電車の待ち時間とか。信号を渡ってるときとか。

坂道を登りきったとき、とか。

 

愛ってたぶん、見つけるものなんだろう。

育むというよりは思い出すもの。そうやって、本当に無意識のうちに

相手を呼ぶたびに思ってしまったり。

 

さて、仕事しなきゃ。

 

 

 

人という字はヒトとひとが支えあってできている

 

しごとが終わらない、すすまない、ねむい、したくない。。。。。めんどくさい。

でもすき。

どうも、トカイ子です。

 

私の性格で、最もだめだと思っていることは、

他者に必要とされることに依存することである。

自己肯定感がひくいから、他者評価に自己評価を依存している。

そのためか、「情」に流されて付き合うことが多い。

 

好きではない、でも、この人を見捨ててはおけない。

そうやって、そばにいて、いろいろと世話を焼いているうちに

目の前の選択肢が狭まってしまうことがある。

そうやって明らかにえらぶべきではない選択肢をとることが多々ある。

 

そんな私とは裏腹に、大学の落研の同期がついに結婚した。

付き合い始めた大学1年生の時から、ああ、きっとこの二人は結婚するだろうな、と思っていた。

女の子はいかに生きるか、どうすればより自由になるか、自分がどうしたいか、に大変に忠実で

男の子は、自分の強みは何か、弱みは何か、必要な努力はどれくらいか、を

わきまえている人で。

そんな二人は一緒にいるからより自由で、より互いらしく生きるために

一緒にいる。そんな感じがしている。

二人とも、また落語がうまいんだな。

 

彼女を囲むたくさんの人。自分がどんな人間か知るためには、

自分の周りにどんな人間がいるかを見ればわかると、常々思っている。

本当にあたたかで、やさしくて素直でありのままで。

肯定感にあふれたその場所は大変に心地よく。

ああ、いいもんだなあ、結婚式、と改めて思った。

 

新婦も新郎も同期だが、私は新郎とはあまり話したことがない。

新郎くんは、式が終わった後に個別でラインを送ってくれた。

真面目で持続力と継続力がある彼には何でも見透かされてしまいそうで、

あんまり話たことがなく。

素直に、話したことないから、話そうね、いつか、と伝えておいた。

新婦の友人に一杯新郎のいいところを吹聴しておいたから、

彼らの地元に遊びに行ったときには、少しくらいおごってもらおう。

 

おめでとう、よい人生を!

 

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着物っていいよね

 

いつの間にか7月になってました

 

書くことがないわけではない毎日を送っていたけれども、

それなりに休日に力尽きていて、あまり書けませんでした。

どうも、とかい子です。

 

ついに7月ですな。

いつのまにか、いなか子は1つ年をとってました。おめでとう。

8月遊びいかしてや。

とかい子は外回り営業を始めて、本格的に上司に嫌われました。

転職を健闘します。めちゃくちゃ金ないけど。

 

さて、ばばばばばっと!!!

 

 

大学時代の友人、社会人になってできた友人、大学院時代の友人を

集めてごはんかいしました。

そのうちの1人の子が、いま、いる業界は安定してきたし発展の道のりもみえたから

全然関係ないとこいくわ!!って、インフラ系から畜産業に転職すると

いっていました。見習いたい。

大学院時代の友人がコミ障な上に、人間味にかけるのですが、

なにかいいきっかけになればと大学院の友人紹介したらアプローチかけてました。

優しくない人だからだめ。

 

名古屋で映像関係の会社の社長さんとその右腕のひとと秘密の会合しました。

写真と絵の違い、映像を構築する理論、映像はスキルかセンスか、といった話を

一晩中して、次の日の社員総会ほぼねてました。まずい。

(こんなんだから嫌われるのです)

 

落語の新ネタをおろしました。そこそこ受けました。

場所によって対応ができるようになってきた気がします。

 

高校生の音楽イベント運営のサポーターを始めた。

議事録直したり、会議の手伝いをしたりしていますが、どこまで手を

出していいものか、悩みつつ。もっとこういう場づくりのスキルを身につけたい。

・・・・でもそういうのって、理屈と経験則以上にともにともに頑張ってくれる仲間と

圧倒的な問題意識が必要なんだ。

 

妹の就職が決まった。親の子育てが間もなく終わる。全ての手を離れて、

それぞれが歩み出さなければならない。

両親の、「最初の子」である「私」

「子」として、私が「親」に残せるものはなんだ、と、

最近夢中になれない仕事に向かっている。

 

元彼の夢をまた見た。彼の腕を掴んで、今の自分を伝えようとして、

彼に、もう、自分はそのころを思い出す必要がないんだと言われた。

私はその手を離した。

目が覚めても目を開けなかった。

なんで振り切れないのかなと思うけど、それくらい、私は

自己肯定感のつよい男性に会う機会が少ないのだろう。

無駄に他人の影を見てしまうところがあるし、そういう人をこのんでしまう。

私の人生でただ一人だったから、まだ手放させない。

いい加減鬱陶しんだけれど。

 

「自分が思うより恋をしていた、あなたに。あれから思うように、

息ができない。」

 

あるんだよなあ、そういうこと。

 

仕事を買えると、確実に今ほどの給料の所はもう無理だろう。

なにか、圧倒的なスキルがあるわけではないからだ。

そうなると、「幸せ」を考える必要がある。

何があれば私が幸せか。そのために、いくら必要で、

どこに住むべきか。

 

「より多くの他者」「環境によって強いられる努力」「ステージ」「継続的な変化」

 

他者に求めるな、自分に求めろ。そう思う。

イベントが好き、人がすき。でも、参加者だとお金がなければいけなくなる。

場をつくって自分でやれば、わざわざ東京にいなくてもいいんだ。

 

いまいちぱっとしない、靴底だけはやたら減る6月でした。

 

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長崎の友人がくれたそうめん