ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

山越え谷こえ渋谷散策

ふるぞ、ふるぞ!きっとふるぞ!

って天気予報がそわそわしていた週末に限ってからって晴れたりして、

洗濯物、、、、となる週末をを過ごしております。

どうも、都市型水害が気になるとかい子です。

 

最近はもう、のろけしか書いてませんね。

まあ、我々の日常は、食卓、お散歩、読書、おしゃべりで

いまのところ構成されてたりするので、こう、街歩き的発見は多く。

書き留めておきたいことも増えてきたりします。

 

今回は渋谷をまちあるき。

別になんだというわけではないですが、円山町をうろうろしておりました。

かつては花街だったそうです。知らなかった。

調べてみると、かなり大きく、げいこさん400人近く、お茶屋さんも

50軒以上あったそうで。

そう聞くと、何件か、ああ、ここはお茶屋さんだったんだろうな、

という趣、2階建ての間取りが小さい、いわゆる見世部分のある建物が

いくつかありました。

今でも4名のげいきさんがいるそうです。

もっとも、黒服と出勤中のお姉さんが悠然と歩く今の風景も

それはそれで色気のあるまちの風景かなと思いますけどね。

 

ちらりと、改装中の建物をのぞましたが、昔ながらの吹き抜けのある

長屋づくりでした。

 

続いて、創業100年を超えるという喫茶ライオン。

http://lion.main.jp/info/infomation.htm

lion.main.jp

全然知らなくて、古い見た目にひかれて面白そうだと寄ってもらった喫茶店

中は、ブルーライトで照らされた、クラシックが立体音響で鳴り響く、

小さなオペラハウスのような空間でした。

入店早々、「おしゃべり禁止ですが、大丈夫ですか?」と聞かれる。

二階も一階も荘厳な造りで、音楽が主役な空間でした。

渋谷百軒店の事業がはじまる際に、招致されて最初にやってきた喫茶店

大人の社交場として、大正10年からこの東京にいるそうです。

 

しゃべっちゃだめといわれたので、携帯で会話をする。

周りをみると、本に没頭するわかめの女性、

正面の席に陣取って、音楽に聞き入る人、ここは、一人で楽しむ空間かなと思う。

しゃべらないし、二人で何かできるわけではないけど、

それぞれがそれぞれで過ごしていても別に不安にはならない。

 

続いて、前から行きたいと思っていた、「森の図書室」に

連れて行ってもらう。

もうね、方向音痴過ぎて、スポットは決めても場所にはたどり着けないので

連れていってもらう。

 

morinotosyoshitsu.com

 

会員制で自分が置きたい本もがおいてもらえるし、飲食もできる。

ブックカフェとの違いは、「図書館」だということ。

ブックカフェは購入であるが、図書館なので貸し借りだ。 

私の思い人いわく、「ブックカフェは自ら本の価値を下げている」とのこと。

 

うろうろとして本を探す時間の不思議さは昔から変わらない。

これをかう、これを借りる、と決めているわけではないときは、

ただ、うろうろする。あ、と思う、一冊がある。

これだなーっていう。 

今回は、村上春樹の風の歌をきけ、だった。

 

このメニューは小説にちなんだドリンクやフードがあり、

その中の一つに引っ張られてるんだとおもうけど。

 

カウンター、机、奥はベッドソファのようになっていて

ごろごろと転がってよめる。

こういう時は、ちゃんと、運命ってのが待っていてくれて、

渡されたオリジナルコースターの裏には、ずいぶん前からちゃんと見たい、

とおもっていた映画の原作が紹介されていた。

思い人は、13年ぶりの新作にして最終巻、「おいしいコーヒーの飲み方」を

手にしておりました。

10ページ読んでは息を吐き、5ページ読んでは酒をのみ、

20ページ読んでは空を仰いで、一生活字にもてあそばれてた。

 

そのあとは、妹と合流して焼肉店

バスの時間がなくなって、二人であるいて家路につく。

思い人さんは帰宅後、

少し読み残してしまった部分を、笑い泣き叫びながら、堪能し。

 

そんな様子をまじまじ見てたら恥ずかしがると思って、

気配だけを感じながらそばの定位置で私も読書を進める。

 

「最終巻、かそうか?」

と、おそらく、早く内容について話したい思い人は言ってくれるんだけれども、

いや、自分でかいたいから、というと、

早く感想戦しようと、そわそわとした答えが返ってくる。

 

私はラジオドラマからこの小説は入っているから、

もし探せたらドラマCDでもプレゼントしようと思う。

バカ長いけどね。

 

 

晴耕雨読な休日でした。

 

雨降ってはれ

梅雨時期にはいりましたね。

 

せんだって、道路の占有に関する規制の一部が緩和されました。

コロナの影響を考えて、店舗の一部が道路に入ることを認める、みたいな

ざっくりいうとそんな感じです。

歩行者に配慮した道路を推進する法律も通りましたので、

これらを組み合わせることで、新たな公共の場が生まれるかもしれませんね。

もっと、だれもが通行を楽しめるようになることで、

遠い距離の移動をする必要がなくなり、交通に係るエネルギー量の削減にも

つながる、という理屈があったような、なかったような。

いずれにしろ、これで道路のバリアフリーもじゃかじゃか進めてもらって、

色んな交通モビリティがつかるえようになれば、皆コナン君のように、

電動スケボーで移動できる日が来るかもしれません。

 

それはそれで楽しみです。

 

アウトプットはね、こまめにしていった方がいいなと感じる、

深夜の会社のとかい子です。

このビルは道路に面してないこともあり、明かりをつけないと本当に暗い。

 

さて、後半はあいも変わらずのろけ日記なので

吐き気、寒気の症状がある方及び耐性のない方はぜひ前半部分でとどめていただいて。

 

まもなく、3か月になろうかな、というところ。

最近、時の流れが速すぎて焦りを隠せません。

気づいたら日が暮れてる。

節目、ではないですが、3か月、半年、1年、3年ではないけど、

私はずっと幸せなまんまだし、うれしいばっかりで、

相手にも何か、返せてればいいのだけれど、と思う日々です。

 

せんだって、彼の家といっても差し支えないようなお店に再び

お招きいただいた。本当に洋服がなくて、悩んだ末の和服。

おろしたての着物に、美容室いきたて、という、なんとも分かりやすい

浮かれ気分でお出かけてました。

ただただ、愛情の受け皿のない私は彼の投げかけてくれる言葉で

小さな切り傷をずっと作り続けている。

 自分を愛せないっていうのは、なかなかしんどいものだなあ、と

改めて思ったりします。

 

お店のマスターから、

「他者に手を差し伸べるっていう行為にはキャパシティが決まっていて、

分相応を越えた振る舞いは身を亡ぼすだけだ」というようなことを

言われた。かけている自己肯定を他者の不幸でうめるな、と

遠回しに言われているような気がして、曖昧に笑ってごまかしてしまう。

 

途中からお酒を飲みすぎたせいで記憶がずいぶんと曖昧。

久々に吐くまでのんだなあ。一緒に言葉も吐き出せたらいいのに。

 

www.youtube.com

恒久的な欠落を愛してこそ

5月ももう残りわずか。

あっという間に6月ですね。日本の方の多くが3月、年度という

時間軸が大きいと思いますが、1月から考えると、もう1年の半分が

終わったのか、、、、と思うと戦慄が走りますね。どうも、とかい子です。

 

さて、思わぬ自粛期間がありましたが、幸いにして、

居場所を分けてくれた人がいたおかげでどこまでも沈み込む、

という事態を避けることができました。

ありがとう。

こんなことを言うと、うわあ、、、と思われるかもしれませんが、

空気にはちゃんと重さがあって、それは沈黙の時だけに感じられます。

 

1人の時の沈黙はほんっとに無慈悲なまでにかっるくて、つかみどころがなく、

無意味に深呼吸を繰り返してしまいます。

相手のいるときは心地よい沈黙というのがちゃんとあって、

心地よく身の周りに沈みこんできてくれるようで。

自分の感じている幸福のほんの少しでいいから、相手にも伝わっていますように、と

思う日々でした。

 

さて。よし、めいっぱい幸せ振りまいたところで。

今日はとかい子の本質的な所を相変わらず書いていく。

というか、吐き出さねばうっかり先輩にでもぐちってしまいそうで

そんなことは許されないから、仕事中だけど吐き出す。

 

テレワーク中は、自ら仕事を生み出さねば!と思いつつ

ぼやあとしてしまっていたので、私はやはり組織が必要な人間だ。

だが、本来的に、私はものすごく自己肯定感が低く、行動力の源泉は罪悪感だ。

人の前にいて、何かを伝えてその反応だけで、ようやく、

ああ、自分にも多少何かできたな、と息をする。

 

人の悪意には基本的に弱い。油断すると、すぐに涙が出る。

だから、相手の求めるものに対するすり合わせは丁寧にしたい。

共通認識が形作られるまで本当は動きたくない。

18から本日に至るまで、いわゆる、バイト、仕事、と言う場で抑圧タイプで

かつ管理型の上司であったためか、

毎日割りと形の合わないピースを削り取りような気持ちで仕事をする。

人とコミュニケーションをとる全ての時におびえている。

これはもう仕方なくて、無駄に人の顔色を読み取ってしまうこともあり、

引き際だけがうまい自分がいる。

 

熱意が向けられない仕事の成長率は遅い。

分かってるんだけども。

被害者ずらをしている場合ではない。

 

いつだってここは高座なんだって、そう思って今日を過ごす。

どんな高座だって上がってみないとお客さんは分からない。

上がってしまえば、ただ一人。言い訳のない、シンプルな世界。 

 

 

 

 

 

大切な人の大切なものが失われていく

じわじわと仕事が日常を侵食し始め、

毎日が100%、自分のものという状況に終わりがみえつつあります。

どうも、パンドラの箱の中のとかい子です。

 

五月も終わりだというのに、急に寒い毎日が続いておりますね。

多少体が弱っているのか、蕁麻疹をはじめとした軽い体調不良が続いております。

 

さて、東京都の新しいロードマップが発表されましたね。

 

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まだ、何にも考えてないし、その背景とか理解もしていないのですが。

おそらく、この建物の区分けは、建物用途別に分けられているんだと思います。

それでも、このくくりでいいのか?なんて思う所ですが。

 

10時までの飲食では、私はなかなかバーに顔をだすこともできないでしょう。。。

マスターは元気でしょうか、お店は残ってるでしょうか。。。

 

またしても名指しでライブハウス。

そこでしか、深呼吸ができない人や、そこでしか表現できないものがある誰かの

背中がいくつか浮かびます。

 

何か、何かしなければ、と思う。ので、まず、できることを整理してみる。

落語も、お笑いライブも、高座も、ずいぶんと私から遠い。。。

 

制限をもうける側の人々は、さらりという。

「はっきりとした手法は分からないが、各経営者の知恵でもって対応していただきたい」

 

背水の陣の挑戦は、思いもよらぬ何かを生み出すかもしれない。

けど、それは、本当に恐ろしいもので。

でも、あとがあるぞ、思い切って飛び込んでいけ、

というの安心も社会が人々に約束したものではなかったか。

 

 

 

持っている言葉の意味が違うから一生うそをつかなきゃいけない

緊急事態宣言もさすがに今月で終わりでしょうね。

なんだか、腑抜けた毎日を送ってしまっています。

最近あまりにも、世間が騒がしく、より一層自分が何したいんだっけなあ、が

見えたり見えなかったり。

こういう時の気力は高座に落ちてたりするので、早くおしゃべりがしたいです。

どうも、とかい子です。

 

あ、タイトルは、最近好きな詩人の方の一句をそのままもってきました。

自作ではありません。

 

itokonda.thebase.in

 

詩集は、レイアウトとかフォントとか、紙質とかそういったものも

含めて楽しむものなのです。この一冊には、短歌がまとめられておりまして、

衝動買いしました。

一番好きなのは、

「前髪にかけてきた途方もない時間の一部にあなた」

という一句。

俳句は、スケッチに似ていると思っていて、言葉で景色を描いているようだと

思います。鏡の前でこてを充てて、残り時間を気にするかみの永い女の子の姿と、

いつもと同じようにセットされている髪をただ眺めるだけの誰か、みたいな

そんな絵が浮かびます。

 

俳句といえば、実はとらさんシリーズにも似たようなのがありまして。

現代俳句家といえばの俵まちさんを迎えた一作。

新作の寅さんの主題歌を桑田さんが歌っておりましたが、

この作品の中にもサザンオールスターズの曲が使われています。

movies.yahoo.co.jp

 

この作品は、独身の女医さんととらさんの恋模様が描かれているのですが、

作中に

「結婚して家庭に入る幸せは誰にでも可能性があるかもしれない。

ただ、ここには君にしか負えない幸せがある。」

みたいセリフがあります。

心がゆれる女医さんに上司に当たる方が投げるセリフですね。

まだまだ、女性は家庭に入るもの、仕事は腰掛け、みたいな風潮が当たり前だったで

あろう時代に、こうした職業をまっとうしろ、みたいなセリフが

受け入れられていることが、個人的にはささったポイントでした。

まあ、今だったら、結婚しても働き続けられるようにしろよ、となるんですが。

こうした方々が制度と戦ってきたおかげで、大多数が支持する理不尽な普通が

塗り替えられてきたのかなあと浅い考察を思ったりしております。 

 

旅立ってゆくのはいつも男にてカッコよすぎる背中見ている

 

映画の最後のシーンに使われた一句ですね。

今の作品はダブルヒロインといいますか、大学生の女の子がたびたび登場します。

マドンナの姪っ子に当たる子でこの子が俳句の読み手です。

早稲田大学のキャンパスがたびたび登場します。

 

寅さんが早稲田の杜にあらわれてやさしくなった午後の教室

 

合間、合間に映像が切り取られてスケッチされるのが

面白い映画だと思っています。

 

諸事情あって、ちょっと異常な体のだるさを感じており、今日は

のろのろとしか仕事ができませんでした。

こんな時は早めに寝るに限るのですが、明日は楽しみにしている飲み会が

あるので頑張って仕事を終わらせたい。。。。

 

「秒針が 追い越していく 指の速度」

 

だーだるい、気持ち悪い、眠い。。。。。

 

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光陰矢の如し

片手に四角い小さな海と網とを持ち歩くの当たり前になってずいぶんと時が

流れました。

とかい子の海にはいつも小さなひびが入っています。

誰か、邪魔にならないスマホカバーを買ってください。

絶賛閉鎖都市のとかい子です。

 

とかい子、普段からイベントにやたらめったら行きがちですが、

スケジュール管理はほぼほぼフェイスブックの通知に任せております。

最近なのか、以前からなのかはわかりませんが、イベントを

グーグルカレンダーと同期できることをしり、イベントのブッキング防止にも

なっております。

通知の時間設定を前日にしておけば、仕事帰り、夜寝る前に明日の予定を

自然と確認できるようになりまして、多少は管理ということが

できるようになりました。

できないことをできるように努力するではなく、ツールを使いこなす、

という風にうまく発想を変えていければ、自己肯定感とやらも

多少は改善されるのではないかという淡い期待。

毎日ミッション三昧ですね。

 

さて、とはいえ、とかい子は手帳派です。

日記を書く習慣はないので、手帳が日々の日記かわり。

こんなことあったな、あんなことあったな、と楽しく思いかえせますし。

文字を書くということ自体が好きだったりします。

字は汚いけどね。

あとは、去年の今頃、何にどれくらいかかってたかなあと把握することは

仕事のスケジュールの見立てを立てるのにも役立ててるような気がします。

今年は、こんな手帳を導入してみました。

 

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上が月で、下が週になっているタイプです。

もともと、物事の細分化が苦手な私は、大枠の把握から入ります。

これとは別に三カ月分くらい先までのスケジュールを書き込めるでかいエクセル

シートを用意しておりまして、同時に何が進行しているのかを可視化しております。

 

こんな風に書くとそれなりに仕事できてそうな感じがしますが、

全然、できませんからね、仕事。

 

プラスして、todoリストを導入しました。

作業の洗い出しがこれでやりやすくなりそうです。

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まあ、でも。

細かな作業ばかりにかかりきりになっていると、本来自分がすきな、

仮説をもって適当に動く、ができなくなってしまいますからね。。

小さくていい、何か一つでいいので、今年は作り上げましょう。

昨年度は割とパンフレットをがんばったので、今年はリレー企画をしたいですね。

 

インスタントカメラGPSタグをつけて、駅やバス停においておいて、

写真を撮ってもらって、どんどんわたっていく。

どこかの誰かの視野をシェアをするような、そんなことをしてみたい。

本当は、地元のお祭りでするつもりでしたが、

コロナのためになくなってしまいましたからね。

どこかまた場を探しましょう。

 

とかい子がとてもお世話になっていた先輩がお二人辞めました。

私はとても、自分のいる環境の変化に弱い人間です。

そのため、こういう時期はできるだけ新しい環境や

知らない人と出会ってバランスを取りに行きます。

今年は、それをさぼってしまっているせいか、ダイレクトに体に来てしまいましたね。

 

面白いことをしていかなければ。

それを見せたい人もいますのでね。

(在宅にだれつつ、愚痴をこぼしつつ)

 

あひ見ての後の心にくらぶれば

絶賛、緊急体制下の大都会

人がまばらな東京の空はとはいえ相変わらず狭いようです。

変化を愛してやまないとかい子、

不安定だろうが何だろうが、変わりゆく毎日でできることをやっていこうスタンスは

変わらずでいたいものです。

 

医療従事者のあなた、絶賛闘病中のあなた。

いきのこっていきましょう、いつもありがとうございます。

一般人な私は、せめて皆さんが繋いでくれた未来がよくなるように

力を蓄えていきます。

(訳:在宅ワークでもさぼりません、、頑張ります。)

 

さて、毎回、このブログの趣旨を確認するところではありますが、

「トカイ砂漠をサバイバル」がテーマのはずです。

実態は、大体、トカイ子の内面話を暴露しては満足する、王様の耳はロバの耳―と

叫ぶための大穴をせっせと掘ってしまっています。

 

今日も叫ぶとしましょう。

 

「なんか、彼氏ができましたーーー!!」

 

ね。この間まで、元カレ結婚したわ、とかぐすぐすしてたのにね。

 

もはや、関係性を失うことが怖くて仕方のないトカイ子。

人間として大好きな人とずっと関わっていくためには、友達でいればいい、

と思っていました。

始まってしまった瞬間に、終わりができてしまうので、全ての楽しいことは、

その終わりのつらさを明確にするようで。

もう、本当に好きな人とは付き合うのやめよう。

好きになれそうな人とつきあおう。その前に、恋愛せずに一人で豊かに生きよう。

そう思っていたりしたのです。

 

そうやって言い聞かせて、自分の気持ちを改名して仲良くやっていこうじゃないの、

となだめていたのです。

 

 

自分のことに、好きなまちや作っていきたい未来に集中して

今助けが必要な人にできるだけ寄り添えるような、

めちゃめちゃタフな笑顔の持ち主になろうと思っていました。

  

ただ楽しいだけでいることはもうなくて、楽しい度に少し切ない。

それでも、結局目前にどうぞ、と置かれたものにおずおずではあるものの

手をのばす。

会うたびに小さな切り傷は増えて、楽しいなあと思う気持ちがアルコール消毒のように

ピリピリとしみる。でも、もういいやあと思ってしまいました。

 

でも思う。なんの戸惑いも、違和感も、責任感も、義務感も後ろめたさもなく。

誰かをおもいっきり心配できる立場を、何気ない毎日を共有できる権利を

行使できるって本当にうれしい。

久々である。ただただ、「あなたが大切だ」と純粋に思うことができるのは。

あれ、何だったら小学生ぶりじゃね?

・・・今までがね、死にそうだったり、遠すぎたり、緊張しっぱなしだったり、

遠慮し放題だったからね。尽くしすぎてしんどい日々。自家中毒に陥る毎日。

愛は病名ですよ、本当に。

 

私が好きだなあと思ったその人は、

内面の一番隠したいところにしっかり踏み込んでは

「なんだ、ただ、自分大好きなだけじゃん?」と

吸殻をポイと捨てていくような人でした。

そのくせ、自分が言った言葉がまんま自分に跳ね返ってたりして。

 

私の好きになったその人は、

私とよく似ている部分もあって、人に平気でいろんなものを渡すのに、

自分が渡されたら受取方が分からなくて、

素直に受け取れずに、わざとちょっと傷つけたり、時間を置いたりして

ようやく受け取ったりして。

 

私の好きなその人は、

自分を主張することに躊躇しなくて、そのくせ少し人見知りで

自分のテリトリーに踏み込んでくる人を見るたびに、

いつまでいてくれるのかなーなんてちょっと不安になっちゃうような人で

好きなものに夢中で取り組める所があって、きれいな言葉を使うひとで

「ありがとう」が口癖で、人に気づかれないように気づかいをするひとです。

 

私を好きになってくれた人は、

私の不安に私より気づいて、私がより自由に動き回れるようにしてくれて、

私が渡すものをなんの躊躇もなく受け取ってくれて、大げさな物言いを許してくれて

酒とたばこと音楽が似合う人で、モチベーションになってくれる人で

過去とか未来とか置いといて今の楽しみ方が上手な人で、

私に居場所を分けてくれる人で。

 

そんな、私のわたしが好きな人。

 

・・・・・・・・・・はい、おおのろけでした!

早くコロナ収束しないかな!

 

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お題「ささやかな幸せ」