とかいの街角にたつ
人口2000人、九州の片田舎。
同級生10人。
人の数よりいのししとしかの数が多く、
足跡をみればなんの動物かわかる・
軽トラのない家なんてない。
おおぞらと満点の星。うるさいくらいの蛙の声。
寒さで目覚める真夏の朝に聞くひぐらし。
そういうものでつくられた私が、樹木の数より人の数が多い東京にきて、
ちょうど一年がたった。
一番最初にしたことは「ともだちをつくろう」だった。
もともとかたいなかだと、友達なんていらなかった。
ひとりで自然のうつくしさとか、そういうものをみて満足できていた。
ところがこの大都会はそういう感動を人と分かち合わなければ
寂しい気持ちにさせるという、自己満足をみたしてくれないせつなさがあった。
こういうとき、酒が飲めると便利だ。
ねらうのは、できるだけ小さいカウンターの店。入りにくそうなところだと
なおいい。時間帯は22時近く。
のれんをくぐって、ちょっと怪訝な顔をされたらこちらのもの。
「こんな店に」「若い女性」「夜中」「1人」
声をかけたくなる要素満点。案の上、マスターが声をかけてくれる。
次に役立つのは
「九州の言葉」「上京」
これがそろうと、話が盛り上がる。
二回目にいくと、「あ、この間の九州の子!」となる。今度は、もう少し趣味の話。
三回目に「九州の子」という記号から「とかい子ちゃん(私のこと)」と
認識してもらえて、お友達が増え始める。
いろんな人がいた。不動産屋の社長、映画監督、中華料理店のマスター、フリーのプログラマー、熟年夫婦、謎の美女。
肩書きはかれら、かのじょらのなにかを語るものではないし、
皆、認識してほしい肩書きを名乗る。そういう関係が心地よいのは東京ならでは。
人となりが明確でなくてもよい気楽さは故郷にはなかった。
映画監督さんが私は好き。50代のセクシーな声の持ち主。そのうち、うっかりのみすぎて動けなくなって袖でもつかんでみようかしら。