ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

正しい選択肢

 

 

とかい子はよく拾いものや拾い人をする。

みちもよくきかれるし、うまく説明できないからおくっていくこともある。

 

現存したばかりの写真やおろしたてであろうマフラー

そんなものも拾う。

 

そして今拾った人を絶賛持てあましている。

ほっておけず、つかんだら最後、二度と縁をきることができない

もしくは、きるならその人の一部を絶対にぶち壊すであろうことをわかって

つかんでしまっている。

 

こと、愛情や、自己肯定感に飢えている人に私は好かれやすい。

そして、一時的な気持ちで、つい関わってしまう。いずれは取り上げられると

分っているものを与えられる残酷さを知っていながら、他にどうすることもできなくて、ただただ、必死に気持ちらしきものを注ぐ。

いつだって分岐を間違えてしまう。

わけのわからない罪悪感で、ずたぼろになりながら、それでも、それでも、

拾い人がなんとか、選択肢を見つけてくれることを祈っている。

私をいきがいにせず、私のために何かをしようとせず、自分のために頑張ってもらいたい。それがひいては、私のためになる。そうなることを必死で、必死でおもっている。

 

分岐を間違えた、と言ったけれど、人生の選択におよそまちがいは存在しないとおもう。

もし、私が今の拾い人に関わらなかったとして、でももっとろくでもないのに引っかかっていたかもしれない。

それこそ刺されていたかもしれない。そうなると、今が100%の正解で、ベストなのだろう。

 

正しい選択をするのは不可能だ。だって、選んでみないと、他の選択肢は見えないから。選んで初めて、他の選択肢の存在を認識するし、他の選択肢の可能性を感じる。

だから、選んだ選択肢を正解にする努力をえらんだ瞬間から始めなければならない。

全てが、正しい選択なのだから。

 

だから私は、どちらが正しいかわからない、と悩むことをやめた。

リスクが少ないのはどっちだ、おもしろそうなのはどっちだ、より面倒そうなのはどっちだ、そういう風に悩むことにしている。

 

正解の選択があって、それを探す、みたいな考えがきらいだ。どこかに、これがまごうことなき正解です!っていうのが用意されていると信じている人とは仲良くなれない。

そうじゃない。なぜこれが正解だとおもったのか、説明できればそれが正解なんだ。

間違っているといわれようが、いやいや、と説明できればそれが正解なんだ。なにを自分の正解にしたいか、それだけなんだとおもう。

 

正解なんて、だれも用意してくれない。悩んでもいみない。

何でか知らないけど、腹が立って仕方ないのは、自分が露ほども実行できていないからか。

 

 

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