ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

後ろ向きとか前向きとかしらないけど向いてる方向がとりあえず前

こう、日々新しいことを書いているつもりなのに、

気が付けば過去の振り返りになっているのは、今という瞬間が

過去の積み重ねによって形成されているものだからなのか、

はたまた、新しい体験をしていないからなのか。

出会えている人の幅も最近偏っている気がする。

どうも、とかい子です。

 

とかい子は、人間関係の贅沢だけはとことん謳歌したい。

 

人生、出会うべき人には必ず出会う。しかも、一瞬遅からず、早からず。
しかし、内に求める心なくば、眼前にその人ありといえども縁は生じず。

 

出会うべき時に出会えた人にちゃんとアンテナをはっていれたらなと思う。

なかなかそれが難しいのだけれども。

 

さて、今回は少し重たいテーマについて書きたい。

「貧困」

 

私は、おそらく、この「貧困」している「同年代」に

割とあってきたほうだと思う。一時的なものではない、どこに出口があるかも

わからない、日々の生活にも手一杯な、運が悪かっただけの人たちに。

何もできない無力さと、中途半端に関わってしまった後ろめたさばかりを積み重ねて

その人たちとつかず離れずの距離を保ってきた。

 

貧困は連鎖する。親が貧しければ、子も貧しい。

そして、行政のセーフティーネットの仕組みは恐ろしく使いにくく、

前時代的だ。あまりにも多様化し、複雑化した「現代の貧困」に対応できるような

仕組みにはなっていない。

生活保護を受けるには、「保証人」がいる。さて、生活保護を受けるまでに

社会的に追い詰められた人が、「独立生計を持った保証人」など、

たてられるわけなどない。そこに目を付けていくのが貧困ビジネスなわけで。

 

生活保護は、受けるまでのノウハウは大量に公開されているが、

抜けるための手段は皆無に等しい。

月2万まで、ないしは3万までは、就職活動の資金のような形で

一時的に認められるが、それ以上の収入があった際は返金しなければならない。

突発的に現状が回復したので、試しに働いた結果、どうにもならないくらい

お金が無くなる、なんていうのはよくある。

家賃補助は5万まで、ただし物件は選べない。貯金は認められない。

返金だ。

 

 

医療費は無料だが、どの病院でも、というわけではない。

決めれた病院のなかでのみだ。

病院をかえること、あった先生にすることもできない。

 

家庭環境の崩壊、それがもとになった長期的な精神障害

低学歴、それによる非正規雇用の不安定な収入状況

複合的な要因によって、追い詰められていく。

 

愛情とか、安心感とか、悪いけど、そんなものある程度金がある状況でないと

それらを感じる気持ちの余裕さえない。

受信できるアンテナを持っていなければ、電波が発信されていたとしても

受け取ることはできない。デジタルチューナーなしに、地デジは見れないように、

人間の心にもアンテナが必要だ。

 

貧困は自己責任か?

自己責任でどうにかできる範囲のものか?

 

大学のあの子は、望まない子と言われ、施設に入れられたり、

家庭に戻ったりを繰り返した。大量の奨学金を借りながら、

それでも生きていくために大学で必死に学んでいた。

気の進まないバイトでも、収入には代えられなかった。

 

歪んだ過保護な愛情のため、複雑な価値観を持った後輩は、

人に愛情をもらうことも与えることもできず、依存傾向を認識しながら、

努力して入った大学になじむこともできず、半ばホームレスのような生活をしながら

孤独に耐えられずどこかへ消えた。

 

実の父親からお土産のお寿司にカッターの刃を仕込まれる、

小学校卒業と同時に家を放り出される、年齢を偽って路上ではたらき、

まともに学ぶ機会もなく、進学もできず。

 

それでも、必死で生きています、夢をかなえました。

素晴らしい美談だ。だけど、多くはそうじゃない。

生きていて、先が見えないのに、生きていればいいことあるよ、なんて

どうして言えるだろう。

 

あきらめたような笑い方から目を背けて、

自分自身が納得したいだけの、うわべのやさしさを重ねた。

 

最近、暗めのとかいこ。