ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

てきせつなほめ言葉

 

1人1人にあうほめことば、というのがあるとおもう。

例えば、私にとって料理をする、ということは全く特別ではない。

料理ができるようになるために何ら努力してはないし、

母親の手伝いをしているうちになんとなく覚えたもので、

おいしいものはつくれないけど、レシピ通りに作ればまずいものはつくらない。

 

そんな私に、「料理できてすごいね」「自炊しているのえらい」

と言われるのは個人的に「靴ひもむすべるんだ、すごい!」って

いわれているのと同じだ。

4、5年生くらいだったらそれでも喜んだろう。

この年でそれを言われても、むしろ馬鹿にされているのかな?くらいに

思ってしまうわけで。

すごくないし、えらくないし、別に特別ではない。 

これが難しいところだと思うがけれど、じゃあ、ごはんをふるまった時も

ほめなくていいのか?というと。

おいしければおいしいと言ってくれたらうれしいのである。

相手に喜んでもらえたということがうれしいのであって、

私がほめられたいわけではない。

 

てきせつなほめポイントがわからないのであれば

むやみに相手を褒めない方がいいとおもう。

「素敵やね」とか、「きれいやね」とか、感想を伝えるのであればいい。

おいしそうだね、とか、季節の野菜使ってるね、とか。

そうであれば、今日はおいしく作れました―とか時短のわりにおいしいんですよー

とか、素直に反応できるものだ。

相手が喜ぶことを想定したほめ言葉ほど、うすら寒いものはない。

 

なおかつ、相手にはてきせつなほめ言葉、というのがある。

私は、かわいいとかきれいとか言われても、はあ・・・?となる。

かわいくなる努力してない、ろくに手入れもしてないんだから、

そんなわけはない。むしろ、そういうのは、そういう努力をしている人達に

むけて言わなければそれこそ、うすら寒い。

 

私は、「かっこいい」「おもしろい」「ようやるな」「それいいな」

その発想はなかったわ!」を言われると、めちゃめちゃうれしい。

よっしゃ、ようやったな私と心から思う。

相手をほめるためには、相手をよくよく観察してなければできない。

自分にできないことを相手ができるからすごい!と思って口にするのは、

まあ、いい。ただ、それはほめているわけではなく、

一方的に、感想を述べている、ということを忘れないでおいた方がいいとおもう。

相手が、結果よろこんでくれたらいいけども、自分がどうしても

伝えたかったんです、聞いてくれてありがとう!くらいの

それくらいの気持ちでいてもらいたい。というか、私は、そう思っている。

 

二パターンあると思う。

・相手が頑張って、結果を出したことに対しての称賛

・本人が気づいていない本人の価値を本人がうれしい形で伝える

 

圧倒的に後者は難しいんだから、できないんならやめといたほうがいい。

安直なほめ言葉なんか、だいっきらいだ!

それなら、本気の叱責の方がまだましだ。

 

というわけで。

おい!二日目に私とネットを通してあったやつ!

お前だ!

ほぼほぼ初対面で距離つめてくんな、人に対する敬意を払え。

私はお前にちゃんと一人のひととして接っしたし、常識をもって対応した。

なんだ、あれか。お前の常識で言えば、初対面の人の頭を撫でても失礼に

あたらないのか。

キリスト教圏では生きてけないぞ、やめとけマジで。

 

最近、人を見る目がないな、私。いい意味で、都会の安直さに慣れてしまっている。

あーーーーはらったつ!!!!

 

(たとえるならこんな気持ち)