ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

ほろびゆく故郷

 

私のふるさとは、その辺のいなかより、いなか。

king of いなか、とまではいかないけれど、

いなかの大名クラスではある。

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ふゆになるとこんな感じ

福岡県の東峰村、というところだ。

  

 人口およそ2000人、小中一貫校の生徒数はおよそ100名

国勢調査で計算したら、人口減少率は5年で30%

焼き物のまちでもある。

 

2017年の九州大豪雨で、一部の窯元は被害をうけ、

ちかくの集落は地図から消えた。ここも大きな災害があれば、

昨今の財政状況と、人口減少率から考えると、同じような運命をたどる可能性は

たかい。

人口がへり、インフラを 使う人がいなければ再整備するより集約したほうが

経済的だからだ。

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家の高さ以上に泥が積みあがった

このふるさと、職人が豊富、ということで、しょっちゅう「活性化」という

なのプロジェクトに巻き込まれている。

上手くいっているのもある。

 

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これは、とても有名な広告代理店が間に入って、ブランドを構築

してくれた。

ブランドの定義は様々あるだろうがここでは、大学院の定義を引用し

「よいイメージの連鎖」

としておく。

ブランドは構成するのは4つだったとおもうが、さっぱり思いだせないので

後ほど追記する。

ブランドの価値を維持するために、一定の品質を絶えず供給する必要がある。

そして、ブランドの価値を宣伝するのは、素人集団では出来ない。

職人は、あくまで、職人。

作家ではない。求められたものをつくるのが職人である。

作家は自分の作りたいものをつくるのかもしれないが、職人は求められたものを

つくるしかない。

もともと、卸売りの制度がもっときちんと機能していた時代。

商店は、職人にこんなものを作ってほしい、とちゃんとオーダーしたし、

職人が作ったものをきちんと売り込んでいた。

職人は表に出ず、ただただ求めらる品質をつくっていればよかったのだ。

 

だが、最近はそうもいかない。職人自身がきちんと商売をしなくては

ならなくなった。何が売れるのか、人が何を欲しがっているのか

だれもよくわからない時代になったからだ。

だから、ブランドがうまれ、価値を謳うことが求めらるようになった。

 

私の父も、ブランドデザイナーがつくったイメージに沿い、

商品を作っている。売れるようにマーケティングされた商品は

ちょっと前までは考えることができなかったくらいよく売れ、

若者が焼き物屋をつぐための見通しを建てたと思う。

 

一方で、少し前までは、似たような焼き物、というのは見かけなかったが、

どこのお店をみても、似たような形、がら、色のものが多くなった。

ブランドの権利は、元の広告代理店が持っているため職人は自分の店で

同じ商品を売ることができない。だから類似品をつくってうる。

それは、けっきょくブランドの価値を下げているし、品質が一定であることを

求めらるブランドでそれをやってしまうと意味がないのだけれど、

言い方は悪いがそれを職人さんが理解をできているとはあまり思えない。

 

ブランドの権利が完全に職人のものになってしまったら、運用はできないだろう、

そうおもっている。

自分たちでは管理できないものに生活を支えられている。

それでいいのか、私はまだよくわからない。

ただ1つ、職人という人たちは何が売れるのか、ということは

よくわかっていない。地元のために、とか思ってる人はどれくらいいるのか。

 

20年後、この村は残っているだろうか。職人たちはここにいるだろうがか。

あるいは、住民が望む形の生活はできるのだろうか。

 

無理に活性化させて、むらが違う人のものになり、しらないイベントや

行事が増え、いろんな人がこの村の私の知らないところを

「むらのよさ」として発信したとき、私は素直に喜べるのだろうか。

 

そんな自分のもやもやを何とかしたくて

私は今の職に就いた。いまだ、この道が正解か、全く分からない。

村にもどりたい、とおもうこともあれば、このとかいにとどまることに

いみがあるとも思う。

 

1つの指針にしている考え方がある。

"地域活性化"を軽々しく語るな! 消え行く集落の最期を偲ぶ、「ふるさとの看取り方」 - ログミー[o_O]

 

どんな集落であっても、生活の場である。

絶対に活性化できないところもある。どうやってその故郷を看取るか。

 

生活は、周りの環境に適応するためにつくられたシステムだ。

環境が変われば生活が変わるのは自然なことだが、

生活に合わせて周囲の環境を変えるのははたして自然なことなのか。

私は違うと思う。

活性化とは、周りの環境をえてして変えずに、生活を変えようとする

パターンが多い。

その結果周囲の環境をないがしろにすると、下手したら文化が代わりかねない。

プラスの変化であれば、風通しがよくなり、文化がさらに洗礼されることも

あるだろうけど、わけわからない箱モノをつくってはいおわり、なんてことも

ままある。

 

必要な変化とは何か。

もう少し、小さくトライしながら考えてきたいな―と思ったりする。