ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

たまに下書きを整理してみた

 

年度末の戦争に向けて、帰れない日々が続くとかい子です。

一度家に帰ってしまうと籠城しがちだから、

できるだけ家にはかえりたくない、いたくない。

たたかい続ける人の心に必要なのは、休息場ではなく、

新たなる戦場である。戦い続けられなければ、死んでしまいそうだ。

・・・・この考え方がそもそも死んでいるような気がしている。

 

さて、当ブログは、「都会」と「田舎」をどのように生き抜くか、

をだらだらとつづることがテーマになっている。

なので、なにか出来事があると書く、という形。

忘れないように、メモがきを下書きに残しておいて、後で書き足す。

とかい子はお酒飲んだ帰りとか、寝る寸前とかに書いていることが多いので、

下書きをみるとこんなんかいたっけかーみたいなのがたまにある。

たららたーとみなおしていると、こんなのがあった。

 

付き合うこともなかったおだやかな日常より

別れてしまったさみしさの方を選ぶ

 

会えなかった人生より

別れることがわかっていても、出会える人生を選ぶ

 

なーんかの小説の一節かなんかだと思うんだけどな。

なんだろ。これ。

さて、冷静に考えてみるが。どうなんだ、今の私から考えてみると、

 

どちらかというと、寺山修司さんを引用したい。

思い出さないでほしいのです。

思い出されるためには、忘れられなければならないのが嫌なのです。

(思い出さないで)

 

出会えたことさえ忘れてしまいたい。この苦しさに耐えるすべを知らない。

あ、これ、RADの歌詞にもあったな。

なんとまあ、私が悩んだり、苦しんだりすることの対外はすでにだれかが

悩んで、悩み抜いて、美しく浄化されて、言語化されている。

 

言葉にできない思い、というのはたくさんあると思っているが

それは、言葉にされた思いにまだ触れていないだけで、精進不足なんだろう。

 

こんなに苦しので、できれば、もう恋愛はせずに、楽しく

一緒に入れる友達を増やして、来年や再来年をあっけらかんと信じれて、

大切な人を大切に思い続けられる人生を歩んでいたい気がする。

 

恋愛から逃れたし、自分の女性性から逃れたい。

楽しむためには自分が正しくあらねばならんな。