ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

肩書で語らnaighatというイベントでめちゃくちゃしゃべってきた

 

4月は時間がある。

そのため、うろうろが充実する。落語も覚えられる。

連休に備えて、あんまり散在しないように、そろそろと遊ぶ。

交通費とかね、日々の食費をちょこちょこ削りつつね。

 

そんな、ある日のうろうろ。

「肩書で語らnighat」というイベントに参加してきた。

肩書禁止の試験的なワークショップ(以下WS)のイベント。

名刺は個人を伝えるのか?という疑問から、個人を伝えるための

「面刺」をつくろうというもの。

あ、写真撮り忘れちゃった。引用させていただこう。

 

新しい自己表現!「面刺」ワークショップはじめました。https://note.mu/mi_hara/n/n52ef4eaff7bc

 

まだまだ、このWSのターゲットを考え中だということではあるものの、

言葉以外で自分を表現するということは最近のWSの流行りなんかなーと思った。

ちょっと前にも、レゴブロックを使ったWSもあった。

言葉だと、個人でもつイメージは異なってくる。青、と聞いても、

どんな青をイメージするかは異なる。

イメージを形にすることで、言葉以外での共有を可能にすることができる、

という目的だったはず。

言葉ではない共有は、相手と自分は違うんだということを視覚的に理解するため、

意見の対立ではなく、議論を進める上での有効な手法の一つだという。

 

13名程の方々が集まる隠れバー。

この手のイベントは、大体同じような人が集まる。

年齢や、性別やバックグラウンドは違っても、もつ雰囲気は同じだ。

つまりは、「この手のWSにひるまない人」が来る。

新しもの好き、交流好き、フットワーク軽い、的な。

 

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びっみょーな写真しかなかった

魅力的な23歳女性に出会ったので、この話は次回に持ちこそう。

 

特性で自己紹介をしてください、と始まる回。肩書を使わずに、自身の事を話して

ください。

んー・・・・そだなあ・・・

 

皆様、旅行が好きです、おいしい食べ物の情報を探している、いろんなことに

興味がある、などなど

 

んーーーーー・・・・どしようかなあ。

 

「私はおしゃべりが好きです。もっと言えば、人前で話すことが好きです。

人前でしゃべることができる機会はどんな形でもテンションが上がります。

それが高じて、落語を趣味にしています」

 

こんな機会だし、全力本音で行かせていただきましょう。

一番好きなテンポと、テンションで話そう。

 

「ただいまもやもやしております。でも、年齢的にもやもやばかりも

していられないので、なんか一緒にできる人を探してきました。

現在、第二思春期を迎えております。どうぞよろしくお願いします。」

 

落語の枕と同じ様な感じで、でも、聞きにくくならないように。

どこかに、ちょっとだけキャッチ―な単語を。後は、わかりにくくなく、

わざとらしくない程度に倒置を混ぜる。

会話しながら、こんなこと、考えてたりします、はい。

 

そして、人と話すことで、自分の考え方を整理しがちだから、

質の高い人たちに話す、というのが一番考えが整理できる。

まあ、しゃべれることがある時限定ではあるんだけれども。

 

さて、肩書とはなんぞや、と考える。

そもそも、肩書で語らない、という場に魅力を感じるとは何ぞや。

前提条件として、皆さん、自分の肩書に納得していらっしゃるんでしょう、と思う。

学歴も会社でも、自分が持っている肩書がそもそもそんなに苦ではないんでしょう、と、参加者の顔を見ながら酒を飲みほしてたりする。

 

私、めっちゃ自分が持ってる肩書、苦しい。

大学院卒、職業の肩書も、性別も、自分が持つにはふさわしくないと思っているから。

肩書が苦しいのではなく、その肩書が形成している社会的イメージが苦しい。

だって、私、別に、そうなりたくてその肩書を持っているわけではない。

そこを通過したら、ついてきた。

 

肩書は、便利なコミュニケーションツールに過ぎない。

前提条件を相手に付与するものだ。

その条件に答える人、もしくはふさわしい人を人は「優秀」と呼ぶ。

 

個人で仕事ができる人は、こういう時、いいなあ、と思う。

人で仕事ができるということ、組織人である必要がないこと、

そうなりたいなあって名刺の要らない働き方、したいなあって。

努力したいなあ・・・・・