ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

友達が鬱になった

友人がいる。

気の置けないのみ友達だ。

相変わらずネットでばかり出会っているが、

こやつとは、既に5年近くの仲だ。

飲んでくだまいて、そこで終わり。

 

過去に落ち込むことはない
未来に怯えることはない
過去は もう ここにない
未来も まだ ここにない
明日という言葉は幻想で
誰1人として見たことがない
いつだって
目の前に 広がってるのは
今日だけ

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/represent-chikyu/j/

 

 これは、「レペゼン地球」という集団の「J」という曲の歌詞だ。

決して薄っぺらいとは言わないが、まあまあ、そこそこ厚みにむらがある

この集団の、そんな感じの曲が合うような。

そんな薄いんだか、厚いんだかわからない感じの、ぬるーい仲。

明日の約束とか、前もっての予定とかそんなのはなんにも無くて。

ただ今、のめればいいやーという仲でしかない。

何かしら思い出のようなものを探しても、

本当にその都度その都度だから、何にもない。

 

そんな友達が、「鬱」になった。

感情がはぎとられたような声をしていた。

何にも覇気がなくて、何にもわからないんだと、どうしようもないんだと、

そんな声をしていた。

私は、そっか、と話を聞いていた。

 

ここ一か月の飲み方ががおかしかった。

仕事で悩んでいた、元気がないなあと思っていた。

思わぬ再開や、過去にゆすぶられていたことも、ちゃんと休めていなかったことも。

ただ、いかんせん踏み込んだことはせずに

いつも、そうか、と話を聞いているだけだった。

ああ、壊れていくなあ、というのをぼんやり見ていたと言うと

また大げさかもしれないけど。

 

病院にいけ、とその感情のない、起伏のない声に言い放った。

診断書をもらってこい、と促した。

きっとかれには病名がつく。私がだらだらと酒を飲み交わした

やつにあうことはもうないかもしれない。

人格の死に時に、この病は近しいことを知っている。

 

特殊な環境をくぐりぬけてきたやつで

一本筋を通すことはできるのに、自分の内側の声にしたがって

あっさりと路線変更は出来ないやつで。

やめることもできず。

 

ああ、柄にもなく、と思った。

感情にが起伏のない声は、こんなにも不安をあおる。

でも、多分誰もいないところではこんな感じで自分と話していたのだろうか。

笑い話になってしまうくらい、気障で大げさで

大立ち回りをしている彼の人生がこのまま続いていけばと思っていたのに。

 

さみしいなあ、と思わずにはいられなかった。

上手く、彼が彼の心と向き合えることを祈って。

 

「東京にいるのがもう限界やったんかもな」

やっぱり起伏のない声でそういう。そうなんかもねと返す。

このまちは、全ての人に理由を与えてくれるような気がしている。