ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

海は広いな大きな

 私たちは、生活の中に手のひらサイズの海を手に入れた。どこまでも深く、いつでも変化し、災害も恵ももたらす、そんな四角い海を手にいれた。

 ここでいう「海」は、インターネットのことだ。私たちは、よせてはかえす情報の波にだばっと浸っている。

 海は、きれいだけれど怖いものだから、面白そうなものがあっても、うかつに手を触れてはいけないよ。毒をもっているかもしれない。浅そうに見えて急に波が高くなることもある。だから、深入りしてはいけないよと、私たちは教えられる。でも、遠く波を乗りこなすサーファーたちの姿への憧れがないといえばうそになる。

 なにせ、この海には本当に面白ものがたくさんあるんだもの。年から年中楽しめる海水浴。日焼けをきちんとぬって、水分補給も用意して、危険な箇所さえ学べば、陸では出会えない非日常を存分に楽しめる、ネットを通じた出会いは怖いことばかりではない。

 

 ネットと現実世界のコミュニケーションの大きな違いは何か。匿名性?違う。過剰なまでの自由さ?それも違う。

 その違いは、「明確な目的」にあると思う。現実世界にも、専門的なセミナーや、もしくは婚活等テーマが設定された場というのはある。しかし、必ずしもみんなが同じ熱量ではない。もちろん、その多様性こそが素晴らしいのだけれど、今日は思いっきり語りたかったのに、とか、あれ、思ったより周りと自分の知識量に差があったなと思ったりすると不完全燃焼さを残してしまう。

 ネットは、「○○をこれくらいの熱量でしたい、話したい、知りたい」が最初から明確だ。そして、そのためのだけに人が集まる。

 偏りがあると言ってしまえばそこまでだが、本当にのめりこんでいることがあって、それを好きなだけ語り合える幸福だって必要だ。

 

 現実世界における情報発信は、相互発信でかつ大勢と一度に情報交換ができるわけではない。また、必ずしもみんなが自分自身を発信することに慣れているわけではない。

 ネットは、文字でのコミュニケーション、音声でのコミュニケーションを基本とする。だから、一方通行の情報発信となる。みんながみんな、同じように発信することができるのだ。また、文字をベースとしたコミュニケーションというのは、実は信頼関係を形成しやすいと言われている。自分のペースで考えながら言葉をまとめられるため、早い段階から自分を前に出すことができるからだ。また、表情などの情報量が少ないからこそかえってコミュニケーションが深まりやすい。

 

怖い思いをしないためには、ライフジャケットをきちんと着ることだ。ここでいうライフジャケットは、個人情報の保護、そして、先ほど述べた明確な目的の維持だ。

 明確な目的のある人には、意外と変な奴は絡んでこない。現実世界と同じで、ちょっとふわふわしているなというとあっという間に足元をさらわれてしまう。

 私はこれがしたいんだ、という目的意識をもってネット上で交流をしていると現実世界ではなかなか会えないような人にあっさり会える。

 

 私は、ネット上で落語仲間を見つけ、自転車仲間をみつけ、古代エジプト仲間を見つけ、なんだったら私自身すら見つけた気がする。

 ネットのやり取りは情報量が少ない。本当に話したいことだけ話せばいい。

 

 とはいえ、実は適切なツールや窓口はまだまだ少ない。私が普段使っているいわゆる掲示板もまだまだ治安は悪い。安心して入ってきていいよ、とはちょっと言えない。きちんと護身できるようになってから、明確な目的が見つかってからの方が絶対によい。

 不安であればサポートいたしますので、お気軽に声をかけていただきたい。

 

 ネットで出会うなんて軽そう、あんまり賢くなさそう、なんていう言葉がすでに聞こえそうだ。某芸人の言葉をかりれば、「この星に何人いると思っているの?」。

 人間がしうる共通の贅沢は人間関係における贅沢だ。謳歌しないなんてもったいない。

立地にとらわれず、リッチに生きていこう。海は世界のどこにでもあるのだから。