ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

英語はスポーツだ。打って打って打ちまくれ。

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トルコ旅に行ってきました。3週間ほど。#トルコ旅

 

英語はスポーツだ。打って打って打ちまくれ。

どうも、脳内筋肉のイナカ子です。

 

イナカ子、英語はTOEIC300点代からのスタートだ。
なんというか、勉強の勘が冴えなくて、コツが掴みにくいというか、「なんで?」「なんで?」が先行して、ちっとも前に進めない。

 

そんなイナカ子がメキシコ人の彼氏を作り、フィンランドに留学し、彼氏と別れた話をしよう。 

TOEIC300点代が、英語で日常生活を送れるようになる方法

英語は勉強じゃない。スポーツだ。基本的なルールを知ったらあとは打って打って打ちまくるしかない。

英語のドラマや歌はある程度リスニング力がついてから

よく、英語のドラマや歌で英語を勉強するといいなんて聞く。
だが待て、我々にはまだ早い。
そんなの苦痛でしかない。泣いちゃう。
思うに、それはできればある程度リスニング力が付いてからの方がいい。その際は英語の字幕と英語の音声でドラマなどを観るのが超おすすめ。結構分かっちゃってそんな自分にびっくりする。

まずは日本在住で第二言語として英語を喋る友達(もしくは恋人)を作る

リスニング、スピーキングの戦闘力0の人は、日本在住で第二言語として英語を喋る友達を作ることがおすすめだ。なぜなら彼らは日本人が英語下手くそなことをすでに知っているから。ついでに恋愛とかしちゃって、彼氏or彼女になっちまうことが超おすすめだ。だから英語スピーカーの人たちがよくたむろするバーとかカフェとかに通う。ハードルが高ければ、「国際交流イベント」とか「言語交換会」みたいな、目的の中に英語を喋ることが内包されている場に行く。
ちなみに私はとあるパーティーで、そこにいたメキシカンとダンスし、それがきっかけでFacebookゲットし、ついでに彼もゲットした。それからは英語を喋る必要に迫られ、英語を喋る頻度が格段に増えた。
ネイティブの人たちは正しい英語を喋るけど、スラングや略語を使われたら初心者にはお手上げだし、なんせ早くて聞き取るのがちょいとしんどい。対して第二言語として英語を喋る人たちは、結構はっきり発音してくれるし、略さないから聞き取りやすい。日本人はRとLの発音が下手なように、それぞれの言語によって癖はあれど、ゲルマン語系(オランダ語、ドイツ語など)、ラテン語系(スペイン語など)、あとフィンランド人の英語が聞き取りやすかった。でももしかしたら、これは言語のせいというよりはその国々の英語教育の賜物なのかもしれない。
彼らにとっても英語は外国語だから、たまに間違うんだけどね。

日本人は皆、すでに武器を手にしている。ただ童貞なだけ。

中学レベルの英文法は抑えておく。とりあえず過去形が使えたら昨日までの身の上話ができる。で逆に言えば中学レベルでそこそこいける。つまり日本人はほぼ全員、英語を喋るための武器はすでに手にしているのだ。ただ童貞なだけで。
たくさん練習を積むと、英語を話すときは脳が英語脳に切り替わるようになる。
私がそれを感じたのは、英語をしゃべっている時、「I think...」まで言って、はて何を喋ろうかと間が空いたとき。脳が、言葉と一緒に動いてる。
日本語を英語に変換しているうちは、言うこと全部決めてからじゃないと喋り始められない。だからI think...で止まることはない。
これらは我らが誇る豆腐メンタルを守るためだ。鬼メンタルのヤツには関係ない。というか、鬼メンタルのヤツは最初から関係ない。

 勝手に傷つかないようにする修行

海外の人と喋ると、勝手に傷つくことが多々あった。これは、英語だと普通の言葉なのに、日本語にするとかなり強めのニュアンスになってしまうことが原因。
例えば平気で「それは間違ってるよ」とか、「You should〜(君は〜すべき)」ってめっちゃ言ってくる。そんなにハッキリ否定しないでよと凹むし、すべきすべきって何度も言われ続けると命令されている気分になってくる。日本語の「〜してみたら?」とか「〜する方がいいんじゃない?」とか「〜してもいいかもね」なんていうバリエーションが少ないのが英語だ。 いや、訳せば英語にもあるんだろうけど、日本ほど回りくどく言わないのが基本だし、ニュアンスはshould が大部分を網羅するっていうのがなんとなくの感覚。ちなみに私はこれが辛くて別れた。

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みんなバリバリに間違えた英語を喋っている

一見ペラペラそうに見える人も、めちゃめちゃ間違った英語を喋っている。それでも多くは大したミスじゃなく、問題なく会話ができてしまう。むしろだんだん母国語ごとに間違いパターンが分かってくるから面白くもある。例えば私は冠詞の「a/an」「the」が上手に使い分けられないし、抜かすことも多い。なぜなら日本語にないから。日本人ならあるあるミスじゃないかな?メキシカンの元彼は「Did you came?」とか「You didn't came」とか、Didに動詞の過去形を重ねるミスが多々あった。メキシコはスペイン語圏なのだが、推測するに、vienes.(あなたは来る)Vino.(あなたは来た)¿Vino?(あなたは来た?)No vino. (あなたは来なかった)と、過去のことを話すときは疑問形でも否定系でも動詞の過去形を使うから・・・か?

とにかく、英語はスポーツだから、打って打って打ちまくり、たくさんミスして実践あるのみだし、周りも間違いだらけなんだから安心してミスればいいということだ。

 

英語が喋れると世界が広がるわけ

英語で話す相手のほとんどはアメリカ人じゃない。考えてみりゃ当たり前のことだが、英語を習得してから喋ったのは圧倒的に非ネイティブの人とが多い。つまり、日本語は日本部屋の鍵なのに対して、英語は共用ルームの鍵みたいなもんなのだ。
だから英語ができるとアメリカだけでなく、メキシコやドイツやフィンランドやスペインの文化にもアクセスできるようになるのだ。
私はもともと好奇心旺盛だから、英語なんか喋れなくても海外には行けると思っていたし、そのほうが冒険感に溢れて楽しいと思っていた。でもそれは逆だった。確かに行けるけど、本当に冒険しようと思ったら、地元の人たちに潜り込めたほうが深い冒険ができる。地元の情報にアクセスしないでする冒険は、結局、ネットに記載されているレベルの情報からしか得られない、浅いものになってしまう。
安心感も、冒険の深度を支える要素だ。母国語の下に英語の表記があることも多い。その意味がさっと見て分かるとか、いざとなったときに英語スピーカーは世界のどこにもいるとか、そういう安心感は旅を支える。特に英語表記に関しては重要で、注意事項や警告が、英語に慣れていなければ目につかないので見落としてしまうのだが、慣れてくると自然と目がいく。


まとめると、英語を喋るということは英語という科目をクリアすることではなく、他の文化へのアクセス権を獲得することだと思うのであります。

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