ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

雑記3

雑記というカテゴリーを置いてみた。

その他との違いは?という感じだが、その他はもう少し、仕事よりの気づきとかを

書いていこうと思う。

 

そもそも、だらだら文章かくの、そういえば私好きだったんだって、

改めて思ったりする。

回顧録的な文章ばかりなのが、また、なんとも、って感じではあるけれども。

 

最近、そういえば、私の音楽のルーツってなんだっけ、とかって

考えてみたりする。

 

母親がよく聞いていた浜田省吾(母はファンクラブのかなり初期の会員)、小田和正

父親がよく聞いていた宇多田ヒカル吉田拓郎

私が小学校一年生の時に流行ったkinkikids

いとこが好きだった浜崎あゆみ

 

でも、覚えるほどよく聞いていたのは、実はブルーハーツじゃないかなと思う。

母親は実は、フェスとかにガンガン行っていた人で、

そういえば昔見せてもらった若かりし頃のアルバムの、自分の部屋で撮影したと

思われる写真には、壁にフェスやロックバンドのポスターが貼られていた気がする。

 

もともとの気質はそちらのようだ。

小学生のころから、リンダリンダや、1985年、人にやさしく、あおぞらなんかを

口ずさんでいたと思う。

小学校2年生の当時のお気に入りは、なんと「1985年」

 

1985 今、この空は 神様も住めない そして 海まで 山分けにするのか  誰が作った物でもないのに

 

まだまだ習いたてのピアノで音を探しながら、この曲のこの歌詞を

何度も歌っていた。

あまり友達と遊んでた記憶ってなくて、いつも図書館にいた小学生だったけど

誰かと音楽の話なんてしてたのかな。

ギターも実は持ってみたりしたんだけど、指が痛くてあきらめてしまった。

 

常にラジオが家にかかっていて、

小学校4年生のとき、はじめてラジオのリクエストに電話をしてみた。

オペレーターの人に繋がって、受け付けてもらえたんだけど、

緊張しすぎて途中で切ってしまった。

その時、ラジオから流れてほしかったのは、「人にやさしく」だったと思う。

 

マイクロフォンの中から がんばれって言っている。聞こえて欲しい。あなたに がんばれ

 

何でこの曲だったのか、今では思い出すこともできないが、

古い固定電話と、電話番号をメモしたかみと、受話器の向こうから聞こえる

オペレータの女性の声と、その声を聞いてはねた心臓の音は今でも

明確に思い出せる。

 

音楽をきく、という行為ができる子どもだった。

CDラジカセ?何って言ってたかな、忘れてしまったけど、

その前に座って、窓に背を預けて、曲を聞いていた。

不思議なことに、絶対に窓に背を向けていたはずなのに、

決まってその時には、青々とした稲が風に揺れる光景も思いだす。

眺めながら音楽なんか聴いていなかったのに。

 

ながらで音楽を聴くようになったのはたぶん、小学校高学年くらい。

当時犬夜叉にどはまりしていた私は、サントラを全て集めていて、

多分、今でもアニメを見たらセリフほとんど言えるんじゃないかなってくらい

見つくしていた。何だったら、アニメの音声をカセットに録音して

覚えるまで聞いてた。

ラジオの音声やら、アニメの音声やら、そういうのをカセットに録音して、

オリジナルのテープを作っていた気がする。

どこにやったのかなあ、あれ。

 

大学院以降は、音楽好きの友人ができる機会が多くて、

本人はさほど聞くわけでもないのに、いつの間にか

テレビでは流れない音楽たちを知るようになったなあと思う。

フェスなんかも言ったしね。知らないアーティストの、知らない曲でも

全然楽しめるようになった。

 

そういうのは全部、私が人からもらったものだな。ありがとう。

ありがとう、本当にありがとう。

足りない言葉を尽くして伝えたい。ありがとう。

もう、言葉が届かないところにいる人へも、もう二度と会うことができない人へも

ありがとう。