雑記 9
1軒家をとおされて、
何ともかわいらしいおばあ様が出迎えてくださった。
朝からまってたのよーとお茶を入れてくださる。
まあ、想い人さんのおばあ様なわけだから、
人のこと言えないけど、おしゃべりが流れるよね。
話面白いから楽しいんだけども。
本当は人に教えるなんて、やりたくないのよ、
皆で演奏したりするのがたのしかったの、と
おっしゃるおばあさまは、組みひもも大正琴も師範持ちだ。
そうして、30年余り、人に教えてきたらしい。
わたしもいくつか組みひもで作ったアクセサリーをいただいた。
私の人生は、本当に人に恵まれているのよ、
とにっこり笑って下さったが、おばあ様自身が人と丁寧に向き合ってきたからだろう。
そういう所どころが、確かに想い人さんに似ていて、
ああ、こうして育ってきたんだなあって、くすぐったく思う。
なんでもいいのよ、人とたくさん関わった方がいいの。
髪を染めるのは不良がするんだと思ってたんだけど、
この子は不良じゃないもの。ただ、したかっただけなのよね。
昔からよくきてくれたのよ、本当にかわいいの。
手のかからない子で、世話いらずだったわ。
ころころしていたんだろうか、神社で遊んでいたんだろうか。
彼の選択そのものを信じる、という、相手がどうであっても
自分の予想を超えた何かであっても。
丸ごとそれを受け入れる。信じるっていうのはこういうことなんだなあと
ちょっと泣きそうになったのはここだけの話。
度々聞いていたが、おじい様とおばあ様は当時にしては珍しい
恋愛結婚だったそうで、手紙のやり取りを3年続けていたんだという。
その手紙はそっと、義理のお姉さんが他の人に見つからないよう、
米櫃の中に手紙を隠してくれていたんだそうだ。
会社からの帰り道、ほんの1時間程がたまの逢瀬。
全てがパステルカラーなお話だった。
江の島で出会ったそうだが、夏に出会ったんだろうか。
駅まで送ってくれて、妹さんにあげるつもりで買ったであろう物を、
おじい様がおばあ様に上げてから文通がはじまったらしい。
今よりもずっと信じてる、という言葉がもっとシンプルだったころ。
相手を縛る言葉ではなく、己に誓う言葉として、信じてるが使われていたころ。
そんな時代を想って、めちゃめちゃ焼き肉屋で騒いだよね。
また遊びにいらっしゃいと言われた。
ぜひぜひ。次はお着物でも着ていきましょう。