ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

苦爪楽髪(骨と私の同時通訳)

久々に、友人たちにあった。

下世話な、という一言で片づけるには奥が深く、

若気の至りで、くくるにはあまりにも惜しい、

そんな、人間として生まれた特権を謳歌する素敵な3時間を過ごした。

 

うち一人は家庭がある人だから、

過去の食レポを教えてもらい、もう一人は、冒険家らしく、

その探検記を聞かせてくれた。

 

かたや、私はというと、想い人さんと、家路を一つにしてからというもの

人様にお披露目できるほど話はなかったりする。

お土産にともらった、受動的愛玩道具の説明書を眺めつつ、

好奇心が足元から這い上がってくるのを感じていた。

 

私は、おそらく一般的な人よりは、自分の声を知っている。

高校時代からずっと、自分の声を録音しては、聞き返し、修正するという

行為をくりかえしているから、周りの人が聞いている声と

自分が聞いている声に大きな乖離はない。

 

何なら、自分の普段の会話を録音して聞き直したこともあるし、

寝言を録音できるアプリで寝言を録音してきいたこともある。

自分の声は存外すきなんだな、と思う。

 

文法的な正しさより、声に出した時の心地よさの方を

優先してしまから、私は、多分、音という存在が好きなんだろう。

 

だから、彼氏といるときの自分の声も知っている。

写真や動画じゃなくて、ただ、その時の声をとっておきたい。

やや、ご機嫌な心なし高めのトーンの自分の声。

 

そうなると、がぜん気になってくるのが、

褥に響く声である。

普段は、できるだけ声を低くして話しているので、

夜の声は、昼よりも高いことはわかっている。

 

さすがに、相手の許可なしに録音はできないし、

聞こうものなら、変に張り切ってしまうことも目に見えている。

リアリティを求めるなら、自主練の時の方がいいかもしれない。

 

せっかくもらったし。

聞いてみたいし。

 

時間にして10分もかからない。

それでも、いつもとは確実に違う10分。

 

特別な行為ではないし、ストレス発散と気分転換を兼ねた

リラックスタイム。

目をぎゅっと閉じてすることが多いんだけど、その時にいつも、

超えれそうでとどかない、白い壁が見える。

それは、初めて感覚を得たときから変わらないイメージで

壁の淵からフッと落ちる感覚がする。

頂きとかくのに、落下なんだよなあと心臓の音を聞きながら思う。 

 

いそいそと録音音源を再生してみる。

 

無駄に、布の擦れる音まで入っているだけに、

当然ながら、強すぎるリアリティ。

 

音の波形を見ながら再生する。 

こぼれる、という表現がいいのか、

こんな感じかあ、ほおーなんて、思いながら一通り聞き終える。

 

悪くないんじゃない?

混じりけのない、本能からの声。いいんじゃない。

 

人間の感覚で最後まで残るのは音らしい。

生物学的にも、声を出した方が血の巡りもよいという。

 

ダイエットも筋トレも一日してならずだが、声はいくらでも

どうにもでもなりますから。

 

体内で響く、音を互いで感じ取って、

感覚がまじりあって、骨ごと震えあえたなら。