ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

薄氷の上でタップダンス

ゴールデンウィークは、生まれ育った土地で、

実家の家業を手伝うと相場が決まっている。

 

人生3回目に、飛行機に乗りそこない、

高い授業料を払いつつ、空と太陽が近い、山の上へと帰る。

もともと、うまくいっていたとは言えない家族だ。

 

一番上は、心療内科、2番目は警察、

一番下は、精神科と、

常にどこかにお世話になってきた。

 

温厚で、職人気質で、友達が多いのか少ないのかわからない父は、

集団行動が苦手で、本当は宇宙とか、機械いじりとか

そういうものが好きで。

母は少し、ヒステリックなところがあり。

 

ぎりぎりのバランスで、ハリネズミの針が微妙にあたりながら

暮らしていた。

大きく距離をとることで保たれていたそのバランスは、

ここ数年で失われて久しい。

大丈夫、心配事の8割は起こらない、と自身に言い聞かせて

帰路につく。母の愚痴と、父の寡黙な背中に右往左往して、

情報を得たくてあちこちに連絡をするも、

すでに私は、「外に出た人」だ。

親戚にすら、何をどう説明してもらえばいいのかわからない。

 

弟のつくる作品はおそらくそれなりの評価を得ているのだろう。

大切にされるべき、時代の担い手だ、あちこちからもてはやされていることだろう。

もともと、文章も音楽も絵も、表現と名の付くものは、

弟が一番うまかった。

 

父の伝統工芸は、多少、「ブーム」からみると、見劣りするかもしれない。

おしゃれでもなければ、写真映えもしない。

 

けれど、一つひとつの形には、脈々と受け継がれていた思想があり、

それは、数こそすくなくなれど、消えることはなく。

そうした、思想のある「伝統工芸」は、8000円や50000円を超える

価格でも、売れていくのだ。

数はすくなく、需要も減る一方だが、用途にそって、

美しいとされる形をもつ工芸品には、価値があるのだと、

改めて思う。

 

なにもかも変わっていく。

変わらないものなど何もないのだという事実が重い。

 

空が近い。自然のもつやわらかな形状で切り取られた空

星が頭上を覆って、通り抜ける風が心地よい。

それらが変わっていなからこそ、

そのほかの変わったものがずしと胸に響く。

変わってほしくないと願ったわけではないが、変わるとも

思っていたわけではない。

 

まだまだ、薄氷の上の家族だ。

時間の流れを他者を通して認識させられることはつらい。