そしてまた転職
2026年2回目の更新。
どうもとかい子です。あ、いつのまにかいなか子はお母さんになってますよ。
なんとまた仕事を辞めてしまいました。
逃げの転職なので、あーとっても良くない、とわかってはいるんですが、
どうにも恐怖心を超えることはできませんでした。
恐怖心はどうにもならん・・
でも、やっぱりあの案件やりたかったな、これやりたかったな、はあるので、
それを乗り越えてできたらよかったのに、と思います。
自分の都合のいい場所を選ぶことなどできませんが、でも、もう少し
心理的に安心感のある場所で生きていきたいです。
何が嫌かって、他人の失敗を願うことほど、むなしいことはありません。
これまでやめてきた会社も結局それが一番嫌でした。
今もいやです。
この頃、モチベーションというかやる気みたいなものが、ずっと低下していて
怠惰、みたいなものに引きずりこまれてしまいます。
今この文章を書いている間も、めちゃめちゃ辞めたい、みたいな気持ちになってます。
やめたい、という気持ちが達成したい、を上回るのがつらいです。
でも、10年位前からそんなことばっかり言っております。
だめだ、集中力の限界がここで終わってしまっている。
住の江の 岸に寄る波 よるさへや
お誕生日おめでとうございます。
昨年は祝いそびれてしまいました。
覚えていますか?私はまだ、忘れることができません。
昨年は比較的実家に帰ったことと、2月にもまた帰るので、
年末年始は東京で過ごしました。珍しくお出かけもして、温泉に入って
初めて大きな富士山を見ました。
富士山ってきれいなんですね。新幹線だとちゃんと見てないし、飛行機も
見てないので、 地上から落ち着いて、しかも風呂につかりながら見れて
個人的には大変に満足でした。
先輩はどんな一年でしたか?子煩悩に暮らしているでしょうか?
まだ、月は好きですか?写真も撮っていますか?
私は、最近、ダイアナというフィルムのトイカメラを買って、
フィルムを無駄にしながら写真を撮っています。
Diana Mini and Flash (ハーフサイズ対応) – Lomography
すっっごく難しいです。まともに撮れません。
一眼レフも大して使いこなせてないのにこんなもんに手を出すから。
70枚撮ったけど、20枚も現像できなかったうえにまともなのはこれくらいでした。

それはそれで面白いかなあと思っています。
基本的に晴れた日の外限定でとればもう少しフィルムを有効活用できそうです。
34にもうすぐなります。
結局何者かになろうとする努力すら怠っていますが、どうにか
何か一つ習慣を作りたいです。特に運動、例えば運動、最低限運動。
ぼけて足腰弱いなんて、人生大変。とにかくボケない、足を丈夫にしてしておく。
本当にこれに尽きる。人生が長いから。
もうすぐ籍を入れるんですよ、そういえば。
困ったもんですね。
子どもは多分生まないんですが、子育てはしてみたいです。
そして、どうにかこうにか実家には帰りたいです。
またふらっと遊びにきてくださいな。
では。
夢の通ひ路 人目よくらむ
スカイプが終わったよって話
今更感が否めないですがおわりました。
21くらいの時、後輩の男の子が「掲示板に書き込んでみたんですよね」ってきな話を落語の枕でしゃべっていたのがきっかけで、覗いてみた掲示板。
最初は、佐賀の大学のこと、いたって事務的な連絡を行うことを目的にしていた、はず。
その後はずいぶん掲示板の皆さんに遊んでもらった。
掲示板なかったら、ずいぶんつまらない人生だったのでは、ともおもうし、そんな遊び覚えてなかったらもうちょい、満足度の高い人生になってたんじゃね、とも思う。
とはいえ、ひーくんも先輩も、不義理を働いてしまった八王子の人も、今の思い人さんも、あの魂胆たる場所に垂らした釣り針がなければ出会えなかった人たちで、何なら、想い人さんとなんて絶対にであえていなかった。
出会いかたもわからない。何にも共通点ないから。
ビジネスではなく、対話のお遊びツールとして重宝されたのは、結構稀有な存在だったと思う。IDをもって、あくまでSNSの位置づけにもっていこうとしていたのかなーと思ったりするのだけれど、ラインほど電話としての意味合いも持たず、あくまで「匿名性」が担保された、「SNS」だった。
クラブハウス的な発展にならなかったのは残念だ。
昔から、そうしたクローズドのおしゃべり空間は一定存在していた。
真実である必要はないが、事実は告げたほうが良い空間で、そこでしか吐露できなかった思いも多分にあったように思う。
そして、その空間でこの息をつくように話を盛るくせも一定助長されてしまった気がする。
昔、どうしてもこの嘘をつく癖をなくしたくて、うそをついた回数をカウントしていたことさえあったが、(その手帳もう残ってないだろうか、今見たい)、あの常識があいまいな空間にあっては、その罪悪感も薄く、あの決意はどこに行ったのやら、という感じだった。
くだらない大人になり、そしてこのくだらなさを抱えて生きていくにはどうしたらいいのか、途方に暮れている。
努力の砂時計は、高校3年の春にそうそうに尽きてしまった。受験勉強は全然できなかった。何も積み上げられなかったし、そして今も積み上げようとしては崩し、続かなくて崩れる。
目的地を定めなければ迷子にはならい、などとうそぶくのは八割くらい祈りに近い。
そんなふらふらとした夜を幾度も一緒に遊んでくれた空間だった。
さようなら。二度と戻ることのない日々に。
あなたたちが作ったあの空間で、私は素敵な人たちにあいました。
またいずれ。どこかで
ばあちゃん、じいちゃんばいばい
最近頻繁に実家にかえっています、とかい子です。
33になって、支えてもらう側から支える側へ、そして見送る側へと徐々に移行してきた。
そして、ついに一番近しかった祖母を見送ることになった。
身近な人の葬儀も4回目、プロセスもなんとなく頭に入って、遺体に触れることもいとわなくなった。やっぱり怖かったと思う。
今は、亡くなった方を怖いと思わなくなってきた。
でも、葬儀のシナリオはとても長く、多くて忙しくて本当に別れを惜しみたい人が一番ばたばたしちゃうからそれも大変だなと思っている。
積極的に写真を撮っていたり、会いに行ったりしていたから、苦しい感じもなかったが おじいちゃんの「先に行ってしまったよ、私が先にいくと思っていたのに」はさすがにぐっと来たものがあった。
おどり一回くらい見たかったなあ、と思う
その人を象徴するような趣味や好きなことはあったほうがいい。積極的にそれを周囲に伝えたほうがいい。
棺の中に収められた、踊り用の着物や扇子を見て思う。
想い人さんの喪主は私がするが、Tシャツは着せて上げにくいんじゃないかな、なんて思ったりした。
そんなことを思って、強行していった大阪旅行の途中、あとを追うようにじいちゃんがなくなった。
92歳、大往生だろう。最後にちゃんと会話ができたし、挨拶もした。
だからまあよかったかもしれない。
ばあちゃんと違って科目でコツコツと何かをするのが好きなじいちゃん。
延々、焼き物の焼き付いた灰を削って、つるつるにしていた。
煙草を吸い、多くは語らず。
炭鉱で働いていたことくらいしか知らない。
働くことが好きで、一途に極めるじいちゃんだった。
母を思う。帰ることができる実家はもう、他人の家だから、もう戻る場所ではないのだろう。
何もかもうまくいかない状況にあって、最後を迎えるには冷たい場所で、どう生きていくのだろう。
母のそばには誰がいるのだろうか。
人間同士、全然そりが合わない母、あなたはこれからどうやって生きていくのだろう。
棺に収まるばあちゃんもじいちゃんも、とても穏やかで、じいちゃんなんてびしっとした格好をさせてもらっていて、よかったねって。
いい人生だったろうなって。
言葉にしてしまうとつらい何もかもを飲み込んで、頭の片隅にまた整頓する。
何かしなければ、とは思っているがどうにもできなくて苦しい。
悩んでいる場合ではない、行動しなければ。
悩むのにつかれたのでプロポーズをした
お久しぶりではありますが、とりあえず一年以上放置にはなっていなくてよかったなと思うとかい子です。
先輩にあててのお手紙も出しそびれてしまいましたが、お元気でしょうか。
もう忘れてしまいましたか。
私はまだ、この先を信じていますよ。
2024年12月26日に、ほぼ勢いで仕事を辞めてしまい、
2025年1月からあたらしい職場へ。
やめてしまった理由としては、いろいろあるけどあまりにもあっさり
日々人が辞めていくのに影響された、理由の一つではあったと思う。
ただ、それは1社目の状況と大きく変わらなかったのに何でかなあと思うと
(1回辞めたらやめやすくなる、というのもあるが)
やっぱ、性に合ってなかったんだろうな、とも思う。
仕事で幸せになりたい。それは変わらないけれど、
もう少し解像度が上がるといいなと思っている。
(そして直感でここやべえな、って思いつつまたそこに就職してる)
(でもそれが実力なんじゃね、とも思っている)
さて、仕事を辞めてからすぐ、いなか子に会いに行って、2泊3日を過ごした。
わざわざ言葉にするようなことでなかった様々を
素直な気持ちで吐き出して、聞いてもらって、風の音や海の音や、空の広さとか
そういうものを目いっぱい取り込んで、今ここ、を確かめたような気がする。
子ども、親、田舎、生き方、これからかかるであろう様々なお金、
不安は尽きないしそのために動かねばならないが、
もはや想像しえないような出来事も少なくなってきたこの年。
起こりうるであろうあれこれに立ち向かえるだろうか、と現状維持に甘んじていた自覚がある。
もう悩みたくない、とこぼれた本音。
次に行きたい、動き出したい、でも名前を変えたくない。
それらを全部ひっくるめて、最後に出てきたこととして
「この人の最後は、私が引き取りたい」
だった。
この先やっぱり喧嘩するだろうし、もう嫌だってお互いになるかもしれない。
一緒に入れないからと辞めた就職先もある。
それほどに、一緒にいる、ということは私の中で最重要事項である。
少なくとも今は確実に。
実家の問題に巻き込む覚悟もない、名前も変えたくない
だけど一緒にいたい。
事実婚か?結婚関係は必要か?そばにいるだけなら別に今のままを維持する
努力をすると決めるだけでもいいのでは?
名義変更のもろもろも面倒だし・・
そんなぐるぐるの中で確実に思えたことは、
「この人の最後は私が何とかしたい」
この願いをかなえるには、やはり婚姻関係が必要だ。
そこで決めた。正直覚悟はまだない。でも、もう、違うことで悩みたい。
いつまでも、タラれば並べている場合ではない。
正直、想い人さんが何か迷ったとき、心の支えにするのは私ではないだろう
踏ん張り時だって時や、うちうちの決心を固めるときに私はいない。
彼を形成するすべては、もはや完成された彫刻のような過去にあって
日々形をいびつに変える今や未来にはないわけで。
そして私が今や未来の側にいる人間で。
だからずっと自信もなかった、今もない。
だけど、一人で過ごすのはさみしいだろうなって思う。
死んだことを伝えてほしいといった3人の女性の名前
骨をスタジアムにまいてほしい、という冗談
部屋のあちこちに眠るさびることのない産物たち
本にCD、様々なグッズたち。
私は今や、未来の側にいる人間だから。
ずっと向き合い続けている過去に入ることは決してない。
大事なもののど真ん中に行けることはない。
だけど、その過去たちがきっと届かないと思う、一番最後を
私は預かりたい。
後1晩、2晩ねてしまったら決意が揺らぎそうだったから、
19時まで延長の日に婚約届を取りに行って、近くのカフェに行って
記入して、その日のうちにポストに出した。
出してからもやっぱり揺らいで、でも、
もう悩みたくないんだって。
気合入れるために、洋服着て、最低限の化粧して、
もう、落語の高座に上がるようなもので。
デザートのプレートがで、紅茶のんで、とりあえずお皿を下げてもらって
・・・・・よし、と思って渡した。
「あなたの葬式は私が上げます」
きっとここに至るまでのあれこれは全然伝わっていないと思うけど。
けど伝わらなくていいんじゃないかな。
渡しただけで出したわけじゃないけど、悩みは次に進めた。
挨拶いつ行くか、顔合わせはどうするか、そして名前をどうするか。
2017年の4月に出会った、目つきの悪い男の子は、サイズが小さくなって
少し性格も丸くなった。
飲んだくれることもなくなったし、酔っぱらって電話する相手は私ではなくなった。
何を言ってもいい相手のポジションにもう私はいない。
相談相手に私はなれない。
2019年の私よ、覚えていてくれ、深夜1時に決まったようにかかってくる電話を。
その中で投げつけられた、生の言葉を。
決して今の私が踏み込めなくなってしまった、心の奥からにじんでくる
「言わなくてもいい」本音たちを
あの日々の、あの時間が、私の彫刻だ。
物理的に距離が近いということは、少し、遠くなることだと知っている。
一緒にいるということは、決して分かり合えないことがあると
自覚することだと知っている。
溶けかけの氷を掌に載せているような、溶けてしまってもその冷たさは
決して消えることはなくて。
そのさみしさは、時間がたつと日常の中に溶け込んで鈍化していく。
忘れないでくれ、2025年の私よ。
そのさみしさを言葉に出せず、酒で流した日々があること
連絡を辞めて、じっと帰りを待った夜があったことを。
いつまでこんななんだと思っていやになって、ため息をつくためだけに深夜に起き上がったことを。
そのさみしさを、忘れないでくれ。
次に進みたいんだ、私は。
覚えておくんだ、この先、どんなことがあっても。
仮に、距離が開いて、一緒にいることをあきらめてしまうような未来があっても
私は絶対に想い人の、最後を預かる。
プロポーズ、なんて名前がつくのかわからない。
決意表明、であることに間違いはない。
書き残しておきます。
さよならを言える別れは贅沢だ
ものすごく久々になってしまいました。
日記的に描き続けていきたいと思っているのですが、なかなか。
本日、大学1年生の時にお世話になっていた先生から、別れの挨拶がとどきました。
抗がん治療を10年近く続け、これ以上はつらいと判断、ご自宅に戻られ
おひとりおひとりにお別れの挨拶を送ってくださっていて
きっと先生のお人柄を考えると、多くの人に送っていると思いますが
その中に私がいただいたと思うと、涙が出てきました。
何もかもが希望だったあの頃に比べて、愚痴ばかりこぼす大人になってしまったし
何一つ思い通りにはいっていなくて、
かっこわるい自分になってしまって、あの頃の自分を覚えてメッセージを残してくれて
そんな状態において乞うたのは許しだった。
すみません、素晴らしい人間になれなくて
ごめんなさい、私は、くだらない人間になりました。
こうなる未来が分かっていなかったわけじゃない
努力の砂時計の最後の1粒が落ちる音を聞いてから。
辞書をめくれなったあの日から。
年号を答えられなかったあの日から。
もうやめたい、と心から願ったあの日も
この足を止めたらもう二度と動けなくなる、と必死に通勤したあの日も
もうだめだと思った日も
どうしようもなくて、イライラしてとにかく腕を切り裂くしかなかった日も
父の背中が小さくなったことに気づいたあの日も
母がないたあの日も
弟を人とみなすことをやめようと決めたあの日も
罪悪感を酒で流すことを覚え
一時の快楽で気持ちを押し流すことも覚え
ごまかすことばかり上手になってごめんなさい
許してください。
私は、何にもできません
なにも、犠牲にできません。
何もかも投げ出して、終わらせてしまいたい朝は毎日のように巡ってきます。
それでも、実行する勇気は何もありません。
弱い私を許して
くだらない私を許して
強くなれなくて、賢くなれなくて、だれかを守れる人になれなくて
誠実になれなくて
素直になれなくて
嘘つきになってしまってごめんなさい