ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

君がため春の野に出でて若菜摘む

お誕生日おめでとうございます。

あれ、ひょっとして、今年30歳ラストイヤーでしたでしょうか?

私の7つ上だったような気がしているのですが、違いましたっけ。

 

歯を食いしばるような日々が続いています。

この状況を受けてまた生産ラインにも影響が出ていることでしょう。

自転車はまだ少し寒い時期、お子などにも恵まれていれば、子煩悩しているでしょうか。

 

私は今年、実家に帰らず、もやもやした気持ちとともに、今を生きています。

ただ生きていたいだけなのに、最近、かかわりたいくない人とかかわらなければ

ならない時間が増えて、でも、振り返ってみたら私がそう思われる側だったことも

きっと多いのではないかと思い出したりもして。

何もできない大人になってしまったように思って、うええ、、、ってなります。

 

具体的な目標がないからだめなのでしょうね。

そして、目標を達成していないからもっとダメなんだと思います。

 

頑張りましょう。頑張りますね。

それでは、また、この先で会いましょう。

 

君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪はふりつつ

長めの袖は役に立つ~伊豆編~

祝日、二回もある、どこかいこう、と言い出しておきながら、バタバタしていたら当日まで何にも決めていなくて、おろおろした(させたが正しいが)とかい子です。

さて、伊豆の躍り子号に乗り込みまして、二時間(にもかかわらず家でたの11時)、なんとなーく、愛媛っぽいまちにつきまして。

その時点で、13時ちょっとすぎ、このエリアはいろんなものが16時半で終わります。

バスは、そんなに頻繁にはやってこないので、レンタサイクルを狩ります。

そして、ここも16時半だったりするんですけど、延長料金払えば、17時までOKとのこと。

 

電動付きアシスト自転車の恩恵を最大限に活用しながら、長崎のような細くて入り組んで急な坂道を一生懸命に(本当に一生懸命に)上りました。

汗だくです。しんどかった。

ぜえはあ、言いながらたどり着いた大室山。

itospa.com

 

阿蘇にあるカルデラと同じで、茅の産地として有名だったこの土地は、人の手で定期的に野焼きが行われ、草地が維持されている。

360度、さえぎるものがないので、周りをぐるりと見渡せて、君の名は、のロケ地のようだともいわれているそうで。

その日は少しガスってはいたものの、遠くに富士山を望むその景観はここにしかない風景だなあと思う。

一周20分ほどではあるが、そこそこの急こう配、どこで写真をとってもきれいなのでゆっくり進む。

行も帰りもリフトで6分程度、そんなに高くはないけど、想い人さんは終始いやそうな顔していました。

帰りは、楽な方のルートでゆっくり進み、駅の中の散策して、ミカンを買って、隣の伊東市に移動します。

戦争の影響も受けていないため、古い旅館などが億残っているんですね。テルマエ・ロマエのロケ地だったらしい。

そして、食事は全体的にバカ髙です。ちょっとした定食でも1500円くらいします。

海が近いので漁港がありそうなものなんですが、なんでこんな高い。。。?とちょっと首をかしげたくなるほどです。

ito-marinetown.co.jp

 

1961年の写真と現在の地図を重ねてみても、大きな道などは大きく変わっていないので、いろいろそのまんま―なのですね。

まだギリギリ外でたべれるか?とテラス席にて食事。

ウツボのたたきがとてもおいしくなかったです。あんまり鮮度がよくないので、お魚じゃないのかな?

伊豆高原ビールが飲みたかったので、こちらは満足です。

帰りは、新幹線でビューンと帰りました。占めて3万円程度の旅路となりました。

 

という、夏の終わりの記事を冬真ん中に書いております。そして、いつの間にかAIがこちらにも搭載!

面白かったので、使ってみました。なるほど、読んでみたくなる(笑)

 

ながらへばまたこの頃やしのばれむ

誰かに書く、という形じゃないとうまく言えないような気がして、

先輩、お久しぶりです。暑いですね、お元気ですか。

転職して引っ越ししました、先輩の方も何か動きがありましたでしょうか。

私は、また少しつまらない人間になったような気がして、焦りを隠せません。

 

今日は叔母がなくなりました。もともと、難病だといわれていたので、

それほど大きなショックはなかったのですが。

近しい親戚がなくなることは、これから増えていくのだろうと、

葬儀に集まった面々の、いつの間にか小さく、白くなった顔を見渡して思いました。

私の叔母は、それはそれは私たちをかわいがってくれたようで、

めったに買ってもらえなかったおもちゃをお正月にはたくさん持ってきてくれて、

おじさんはいつも優しくて、おばさんは少し厳しかった。

大学受験の前の日に泊めてもらって(私立の滑り止め おちた)、カツを

あげてくれた。福岡の大学院に進学したときは、一番に声をかけてくれて、

靴を買ってもらって、食事に連れて行ってもらった。

子どものころ、本格的なキャンプに連れていってもらって、三角のパンを焼くやつで

おじさんがトーストを温めてくれた。

大きい車で、実家に来てくれるたびにすごくうれしかった。家にも何度か

遊びに行った。最後に話したのは、何年前だっただろうか、何て思います。

葬儀なんてのは、生きている間に何かをしてあげられなかった人間の罪悪感を

薄めるためにするものだと思っていて、そして一番泣いていいはずの人が

笑っているものだから、涙を流すタイミングを逃して、この時間に至ります。

旅行好きな人で写真をよく撮っていた、と思う。

父の、常に水を扱って荒れ放題だった手は、いつの間にかつるつるに戻って、

毛が生えていて、それは「仕事をしていないから」だとつぶやいて、

母は、写真の中で見たことがなかった、私が生まれたばかりの頃の短い髪にしていて、

後何度、なんど、と思います。

「みんなに看取ってもらえてよかったね、一番最後だから、だれもいない」と

「自分の時は眼鏡をつけていてほしい」と「迷子になるからね」と

父は言いましたので、忘れないように。

本当は一人で、のんびり過ごすことが好きな父は「次は人とかかわらんでいいような

ものがいいな」と、渦中においてきているうしろめたさが可視化できたら、

ギリシャ神話の大空を支える罰を背負った神様とはりあえるくらい、

肩がきたわれていそうだなと思ったりします。

まあ、そんなに真面目じゃないから、結局、普通に明日がきてしまうのですが。

美しい満点の星が浮かぶ、故郷の空は、東京の夜景より見つめ続けるに値すると

どのまちの明かりよりも美しいと、自信を持っていえるのに。

矛盾した自分の態度が、体に反映されていたら、ウエストの細さのギネスにだって

挑戦できそうです。

 

長々愚痴ばかりになってしまいましたが。

愚痴なのかな。

明日からは、あの人がいない世界で、そういう意味では世界は毎日死んでいる。

死んでいく世界の変化に気づいた瞬間に自分もまた死んでいるとは思うんですが、

でも、昨日との違いは伸びた髪ほど実感できないものです。

 

従妹は、きっと今後5年以内に、父親もなくしてしまう未来が決まっていて、

そうなったときに、私が何かできるように、もっと、、、、

もっと。もっと。もっと、なんなんだろう。

 

人に何かしたいという気持ちはあれど、全然、何も間に合っていなくて

こんな文章を書き捨てるのももう何回目かわからなくなりました。

 

最近、飛行機に乗ると、信じられないくらい体調が悪くなり、

体に悪いものを取り入れると、しばらく胃が悪い。

もう、地に足付けた考えしかできなくなってるんだろうか、とか、

毒も一緒に飲み込めなくなってるんだろうか、とか

いらんこと考えて夜目が覚めて(そして朝起きれない)

吸えもしないたばこの煙を空に吐き出して、視界を濁らせるような、

そんな呼吸を続けています。

今も名残で、胃がむかむかしている。でももうねなくちゃ。

 

40人近く集まった親類を見て、枝葉の一部の自分を認識します。

昔の人は迷う暇もないくらい必死に生きていたんだなと、

女で1つで、6人を育てて高校にやった祖母の面影を思う。

もっと話しておけば、と思うけど。ばあちゃんは本当に厳しかったのだ。

誰のストーリーも受け継げぬまま、自分の大げさな苦労話風の日常を振りかざして

生きていくんかな、と思った時、別の戦慄が走る。

 

いかん、寝るんでした。

それじゃあ、先輩、また。いずれこの先で会いましょう。

 

ながらへばまたこの頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき

長めの袖は役に立つ~しまなみ海道編~

一カ月開いてしまって、

その間に職が変わって住所が変わって季節も変わってた。

 

朝、一生懸命、目を覚まして、朝ごはんを食べた。

おにぎりにみそ汁。朝からおにぎり。いいね

 

肝心のおにぎりはチェキで撮ったのに、そのチェキを実家に忘れた。

事前にレンタルをしておいた、しまなみサイクルを借りる。

https://shimanami-cycle.or.jp/rental/

乗り捨てにしたので、5000円くらい。

憧れのジャイアントレンタルはできなかった、、、

荷物を一緒にもっていかないと行けず、後ろに荷台とかもないので、

結構四苦八苦しながらなんとか固定し、荷物は最低限しか背負わずに進む。

自転車が少し小さくてそれがやや困りものだったが。

www.cyclonoie.com

https://shimanami-cycle.or.jp/rental/

 

とにかくこのサイトが優秀で、こちらのマップをたよりに

休憩スポットやら写真スポットやらを確認していく

いきのフェリーで、ブルーラインをたどっていけばいいよ、と

聞いていたので、頼りに進む。

ちょいちょい二股に分かれていて、しっかり間違えてビーチ沿い

走りそびれたりしてはいるけども。

 

前日までの雨が嘘のように晴れ渡り、

日焼けどめ持っていたのに塗らず、比較的元気に進む。

ギアをガチャガチャと頻繁に変えながら、ええ、のぼれるかなあ、、、

と不安になりそうな坂も意外といけることを知る。

 

17%くらいだったらギアがついてれば登れるのね。

スポーツ車の魅力は坂道でこそ生きる、と改めて実感

坂道沿いには延々と広がるレモン畑。途中でガチャガチャとかあって、

疲れはてて、全然回すきになれなかったけど、まわしとけばよかったなあ

尾道から今治に抜けるには、7つの橋を渡るけど、これが一番大きな橋。

ここにたどり着くまで、また結構な登りで、本当につくのかな、と心配になるのだけど

足を止めなければいつか必ずたどり着く

 

自転車はどこかにたどり着くための乗り物だ、と改めて思う。

途中で写真を撮ってあげたり、外国人にここは無料だよーって教えてあげたり、

旅先では、いつもよりもずっと、人に親切にできるような気がするのは

なぜなのか。

 

ぜえはあ言いながらようやく今治

ほらね、ついたじゃん、と驚き半部、確信半分

クラファンで愛媛からやってきた、バックもようやく里帰り

 

今治は、駅前に本当になんっにもなかったので、近くの銭湯に重課金

寝たら死ぬ(夜行バス)なので、漫画読みまくりました。



 

長めの袖は役に立つ~倉敷-尾道編~

雨降りしきる倉敷の町、いわゆる美観地区にようやっと抜けまして、

この辺はもう観光地。

川に沿って生える柳に白壁通り、ほとんどが再建だとは思いますが、

美しい通りであることに変わりはなく。

人生で初めて人力車に乗ってみようかなーと値段聞いてみたら、六千円

。。。。。は、六千円!?ってなったのでやめました。

 

後は、再建した木造建築をみたりしつつ、一番良かったのが、音楽図書館

 

kuratoco.com

 

 紡績工場の社長が自身のコレクションを寄贈したことが発端となったこのと図書室には、音楽に関する書物のほか、多数のLPが保存されていて

さながらロックバーのごとく、曲名を書いてカウンターにもっていくと、

その曲を聞かせてくれる。

 

クラシックやオペラが当然のように多いのだが、ロックやフォークソングもあり、

吉田拓郎の爪だけ、聞かせてもらうことに。

柔らかなホワイトノイズの中に、糸を切るような針が落ちる音があって、

そこかライブバージョンの爪がかかる。

 

小雨が降り注ぐ、倉敷のまちであたたかな空間で温かみのある音を聞いて

じんわりとした充足感に包まれる。

 

ほうと、一息ついて、サクサクと次のまちへ。

結局飲んだのチャイだけだなー何て。

日照量日本一の岡山で、マジで曇り空しか見ていない。

 

駅に向かうと、何やら写真展をやっていた。

そういえば、やたら詩碑や漢詩の寄贈などが多かった。

ネコの分対策としてのストリートアートもあったりして、街中アート的なものが

昔から根強いのかもしれいない。

 

 

これだけの大きさで写真をみるとやはり迫力が違う。

久々に東京写真美術館にも行きたくなった。

 

3両連結の電車に揺られ、尾道へ。

空家再生プロジェクトを知ったときから憧れの町。

きたいと思ってから10年近い時間が流れたように思うが、ようやくこれた。

感慨深い。

 

 

斜面に張り付くように立ついえいえは、長崎を彷彿とさせる。

港町だし、町のつくりは似るのかもしれない。

 

 

 

900m程度しかない商店街を、あっちふらふら、こっちふらふらしながら

歩く。

 

 

小道は一つひとつ名称があり、その由来を小学生がまとめて調べたものが

あちこちに貼ってあった。敵の侵入を防ぐ役割もあったそうで、人ひとりがギリギリ通れるくらいの道が多いのだという。

 

隔週で絵をかいて、物語を完成させていく、という黒板アートがあったり

 

 

うどんと大きくありながら、うどんがない店があったり、

 

 

ゆっくりじっくり歩いて向かった先は、あこがれてやまないゲストハウス

あなごのねどこ

 


入口からもうたのしい。

 

昨今はやりの本屋×宿の走りってぜったいここだと思っている。

何年も前から、ずっとこんな感じ。

そして、漫画のラインナップはガロ系が多めだった。

すきなひとがいるのかな。。。?まあ、こういう機会にしか読まない漫画ではある。

 

雨の日の体育館のような、雨音が屋根にぶつかる音を聞きながら本を読める。

排水管を雨水が通っていく音を耳を当てて聞いた。

 

奥に設置されている本屋さんもまた素敵で、思わず感嘆の声が漏れた。

こう、特にほしいものがないんだけど、何かかいたい、と思う空間は、

小手先のデザインとかではない、人間性みたいな部分が必要なんだよな、と

テントの中のような雰囲気にあれこれと本を手に取る。

雨じゃなければ、このベンチに腰掛けて読書しても楽しかっただろうな。

 


港町には当然のごとく猫も多く、過疎地域は空家も多い。

斜面に立つ一軒の空家は、ネコの住処になっているようで、近づいてみると、

壊れた壁の間からひょこっと猫。

さらに近寄ると、こちらの様子を窺うように偵察組の猫が下りてきた。

いろんな柄の猫が多いから、捨て猫も一定数いるのかなと思いながら、

立ち去る。

 

 


海岸沿いには、倉庫を改装したショップが並ぶ。

もともと5つあった倉庫のうち、2番だけがのこったそう。

憧れのジャイアントの直営店もこちらです。

 

 

夜は、フラッとのみくして、ホテルへ。

炬燵に居合わせた図書館司書の方と、TSUTAYA図書館の話などを聞く。

国際共通の図書分類を無視した図書館なんて、とのことや、

学校における図書館の新しい役割なんかについて話を聞く。

 

たまたまご一緒した方の中に、堀米秀明さんという、尾道の空家再生等の

仕掛け人のとなる方がいた。年10回程度、ここに泊まっているとのこと。

この時は、あまり知らなくて、もったいないことをした。

 

https://www.hiwave.or.jp/wp-content/uploads/2016/11/2016.11.12.pdf

 

ふける夜、翌日のサイクリングに備えて寝なければならない。

ごそごそと布団にもぐりこみ、たたき落とされるよに睡魔に沈む。

 

 

 

リフレイン

夜中に文章を書くとろくなことにならないことは前提で、

脳内にこびりついたいくつかの言葉や映像がちらついて、

どうしようもなくなることが常である。

 

弟に関しては、小学校のとき、理不尽に私が切れて突き飛ばし、

まだ対格差では私が大きかったため、悔しそうにこちらをみて泣いて

学校に行っている時の顔や、

妹といつも一緒に寝ていて、なぜか私が怒って自分のベットに行けと

強く頬を叩いた時の手に残った感触とか、

野球に行くたびに母が怒鳴るのを嫌がって、帽子を隠してしまったこととか

そんなことばかりがよぎって

高校の時、いじわるせずに電子辞書貸してあげればよかった、とか

宿題教えてあげればよかったとか、

もっと味方になってやればよかったとか

私がいじわるだったから、今こうなってるんだろうなあとか、

もっと優しくしておけばよかったなあって

 

RADも、教えてくれたのは弟だったのに。

もっと優しくできればよかったのになあって。

 

全部が自分のせいだと思うほど思い上がってるつもりはないけど。

でも、もしもう少し優しければ、もう少し話し相手になってやれていたら

違う結果があったんだろうなと思わずにはいられない。

 

そういうことばかり鮮明に覚えていて

そうじゃない記憶が全然浮かばない。

ひたすらに祈っては、泣いて終わりだ。

 

優しくあればよかったのに。

どうしてこう、自分勝手にしか動けないんだろうと、

家に帰りながらまた泣いた。

仏壇に手を合わせてはないて、父がようやく笑ってまた泣いた。

そして今また、泣きながら文章をつづっている。

 

昔から泣き虫な方で、本当はちょっとしたことでもすぐに泣いてしまう。

泣いている暇があったら、と思うのだが、泣くくらいしかできなくて

そう思うとまた涙がでる。

 

傷つけた人の顔ばかりが浮かんで、打ち消すように

人に親切で在ろうとするのは、あさましいことだと理解している。

 

伝えたいごめんなさいが多すぎて夜が永遠であればと思ってしまう。

 

 

長めの袖は役に立つ~倉敷編①~

GWですね。

社会人になって、おそらくこの先仕事を辞めるまで一生ないであろう、

長期休暇の真っただ中にいます、どうも、とかい子です。

 

サンライズ出雲に乗って、東京から倉敷へ向かいました。

サンライズ出雲、最初は快適じゃーんと思ったんですが、床も床暖ついて

あったかかったし。いかんせん床、固いんですよね。

もう、腰が痛くって。キャンプ用のマットとかあるといいのかも。

寝台列車というと、石田衣良の小説を思い出すのですが、一冊の本を探すけど、

その本は実は存在していなくて、見たいな話だったと思うんですが。

タイトルまったく思い出せないので、

石田衣良じゃなかったのかなあとも思っています。

 

電車好きの方が多いのか、電車に関連する標識のキーホルダーをカバンに

つけている方や、大きなカメラで何枚も写真を撮る方など、それぞれ、

移動すること自体をとても楽しんでいることが伝わってきて、

いいねえ、と思いつつ。

夜行バスももう、数えられないほど乗ったけど、やはり、年々眠りに落ちるまでが

困難で、多少酒を入れていくのが恒例行事。

少し高めのお酒を二本ほどかって、大きな窓のある電車ならではの風景を眺めつつ

胃の中に流し込む。

程よくよいが回ってきたころに眠ってしまう。消灯時間を過ぎるまでは、そんなに

速度を上げない電車も、深夜になるころ、終電後の世界では、いくつもの駅を飛ばして

進んでいく。

 

浅い眠りのまま、早朝6時半に到着。

夜行バス到着後、することない問題に直面しつつ、とりあえず情報収集しながら

駅のトイレでごそごそ着替える。

朝ごはんを食べたい。

 

朝ごはんを食べられるカフェを探して移動。

f100cafe.blog.fc2.com

 

この時はコーヒーを頼んだのだけれど、後から調べたら紅茶の店だったのね、、、

知らなかった。

 

朝7時半という早い時間から開いており、店内には本やらCDやらで。

カフェとギャラリー兼用の店舗なんだろう。

600円のモーニングセットを頼み、棚にあった萩原慎一郎の滑走路という詩集を読む。

急ぐ旅でもない。31歳でこの世を去った、彼もまた、同じように東京の四角く切り取られた空を見上げながら、

言葉をつづっていたのかなあと、ページをめくる。

 

そろそろも店も開いてくるころか、と、店舗を後に。

商店街を抜けて阿智神社へと向かう。

途中にある教会にもよる。

 

ja.wikipedia.org

 

 終日解放の礼拝堂に入ると、神社やお寺と同じように、何もいないけど

何かいるような、そんな独特の空気感。

反響する室内に自分の足音がこだまする音を聞きながら、最前列に座って

ぼやあと眺める。

空気に飲まれているだけだろうけど、ぱたぱたっと涙がでる。

あと何回、神頼みをするんだろうな、私。

 

achi.or.jp

 

  渡来人の帰化の歴史とも関連するこの神社、小高い丘の上に立っており、

町内を一望できるようになっていた。

後は、和算の奉納もあっているようで、まだ真新しい問題も奉納されていたから、

保存会のようなものが残っているのかもしれない。

 

 

 あとは、樹齢200年を超える藤。

藤は大木にはならないからその樹齢を感じることは少し難しいけれど

 

 

2段にわたる藤棚が一本の木から伸びている状態からその時間の長さを感じる。

いや、迫力だけなら福岡の藤棚とかの方がすごいけどね。

 

後は、おみくじを自分の干支に結んでいくものがあった。

竜のひげやら、蛇の下やらに結び付けられていて、若干罰当たりそうだなと思わなくはない。

こんなのもあるんだあね。

 

 

相変わらずどういうルートで歩いているかわかっていないのだけれども、

白壁通りに出ることに成功する。

 

 

現役の呉服屋さんなんかもあって、張りぼてではない暮らしの中の建築を感じた。

倉敷といえば、マスキングテープ、本命だったMTの直営店はお休みだったけど

負けず劣らずの店舗で爆買いする。

かわいいーはさんするーかわいーはさんするー。。。

 

 

引き続きふらふらと抜けてアイビースクエアー

 

 

もともと、紡績工場だったとことろを改装して使っているそうで。

ここに、記念館があったのだけれども、大変に素晴らしかった。

労働者福祉はここから始まったのだということがよく分かった。

労働者は道具同様の扱いを受ける中、社員の幸福をということで、教育や文化芸術についても学べる環境があったことは、非常に興味深く、

社会問題研究所というものが、あったことも知らなかった。

棟方志功の書などもあり、非常に見ごたえのある場所だったと思う。

健康診断もここから始まったそうで、そうして、先人たちの知恵の上に成り立つ

制度なのだから、ちゃんと受けなきゃな、という気持ちになった。

 

旅行先というのは、ご飯を食べるタイミングを失うもので、

ここで飲んだのはご飯変わりのチャイぐらいなもんでした。

何気に入館料とかかかるから、そんなに食べれないのよね。。。。

 

続く