ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

縁は異なもの

私は友達が少ない。

高校の友達は皆無だ。

中学は小学校からの持ちあがりだったが、違う小学校の子と混ざるため

一気に友人は増えた。

卓球部に入っていた私は、同時入部の同期女子の3人とそれなりに仲良くできていたと

思っている。大学時代は二人が長崎まで遊びにきてくれて、それはそれは

大喜びした。

大学時代は、あちこちに顔を出していたせいか、知り合いばかり増えており、

その中に私をお嬢、と呼ぶ友人がいた。

 

どちらともゆるかに交流が続いており、今に至る。

新しい年齢の坂道の入り口が見えかかってきたせいか、

どちらからとも「ねえ、だれか紹介してくれない?」と言われる。

 

中学時代の友人は地元にとどまり続けており、大学時代の友人は福岡にいた。

ちょうどいいやと二人を引き合わせてみた。

どちらも人見知り全開だから、

近い距離で交流が生まれる小動物カフェに行ってみたら、もくもくとただ触れ合う。

全然しゃべらんなーこいつらと思って、食事の前にわざと二人きりにして

放置してみたら、三人掛けの真ん中をちゃんと私のためにあけて端に座ってた。

 

・・・・・・あっそ。

 

そうはいっても、中学時代の友人は聞く限りまともな男と付き合えてないし、

大学時代の友人は友人で性格に難あり女子ばっかり捕まえるし、

何なんだろなーと思っていた。二人とも、いたって人間の基礎力が高いんだが。

 

まあ、無理して関わらんでも話したければ話すか、と放置していたのが5月のこと。

そしたら、私の知らないところでちゃんとデートしていたらしい。

まじか。

 

二人で食事して、博物館に出かけていたらしい。

中学の友人の誕生日が8月だとしると、ちゃんとプレゼントも用意していたらしい。

なんなら、10月に一緒に山口県の方までドライブデートしてたらしい。

 

・・・・・・あれ?

 

「最初にトカイ子に報告しようと思って。」

深夜にほど近い時間に、中学時代の友人から届くライン。

 

なんとなく予想がついていたから、「なに、とうとう徳川の埋蔵金見つかった?」

と話をそらしておく。

そうじゃないよーとやさしい彼女は真面目にラインを返してくる。

しってるよーさてどした?

 

「つきあうことになりました!」

 

さよーですか。

根掘り葉掘りは聞きませんとも。ただ、純粋な中学時代に友人(面倒だから中子にする)は、ともかく

大男の方はちとやっかいだ。 

こいつは義理立てとか、めちゃめちゃするから。

好きかどうかはっきりしないまま、そういう雰囲気になったから告白しました、

なんてことがなければいいと、本当に心配した。

 

どちらも大切な二人だから、どちらにも傷ついてほしくないのだ。

 

それにしても、こんなこともあるのねーと物珍しく思う。

 

私の培った人間関係が、そろそろと交わて意外な色を見せた。

二人が今後どうなるのか正直、自然消滅とかになるんじゃないかと

実はこっそり心配しているけれど、

できれば、どんな形でもいいから、笑っていてほしいと思う。

 

思いがけない変化は戸惑いの前に違和感を生むのだな、と思ったこの頃。

 

 

 

カウンターバーのような自由を始めよう

新橋にお気に入りのバーがある。

チャージ料がそこそこ高いからなのか、カウンターバーでメニュー表もないからなのか、同じ年齢の女性に会うことはない。

ようやく飲めるようになったウィスキーをロックで飲みながら、マスターと話すのがちょっとした贅沢だ。

 

ふと、大学生の頃同じようなことをしていて、お店の人から随分邪険な扱いをされて悲しい気持ちになったことを思い出した。

今思えば、学生に居座られたところでお金にならないのだから分からなくはないが、そのあとに入ってきた同じ年くらいの男性グル―プと明らかに対応が違ったことについては絶対に仕方ないと思いたくはない。

バーのマスターは50代後半の男性だった。まあ、そのくらいの年代の人なら仕方ないか、と思っていた部分もある。しかし。

 

「そんなことないんだよなあ。」

 

ぼやきながら、お通しのドライフルーツを食べる。房についたままで出される干しブドウは少し渋みを残してウィスキーの香とよく合う。

 

ここ数日間の記憶を掘り起こしてみる。

「子どもを生んだ方に育てるウエイトが偏るのは当然だから、医学部の女性の入学者が意図的に下げられたとしても問題ないと思います。」

悪かったことはそれを隠していたことです、と淡々と話す彼は、20歳の大学生だった。

「あの子、この間男性社員にお茶出しさせててびっくりした。」というのは、私よりも随分年下の女の子だった。

 

年齢が変わらない世代の方が、実は当たり前のように性別を起点とした考え方になっているように思う。私自身、女性であるからと社会的に不当な扱いをうけた記憶はあまりないが、それは不当性を理解できていなかっただけなのかも知れない。

そう考えたとき、私は無性に腹がたった。

別に当事者ではないけれど、気がつかぬうちに強いられている不自由さに腹がたったんだと思う。

 

男性も女性もいつまでたっても、不自由なままだ。いつまでも誰かがつくったクッキーの型抜きに自分自身という折角練り上げた生地を抜かれている。

もうひとつ腹が立つことは、私もひょっとしたら、その型抜きを誰かの生地に使っているかもしれないということだ。

得体の知れない不自由さの恐ろしさは、その認識のしにくさにある。

 

この手の話をすると、海外では、というお決まりのワンフレーズが聞こえてきそうである。しかし、性別によってつきずらい職業があると回答している割合は、実は先進国では日本は最下位なのだ。他国の方がよっぽどあると感じていると回答している。

それが、認識できていないからなのか、本当にないのかはまた別の話ではあるが。

男性も女性もそろそろ性別から解放されたらいいのではないか。男性か、女性かではなくそれぞれの個人がどうしたいか、だ。

 

「私は、子どもを育てたくない。」

私の妹はそういう。いいじゃないか。

誰もが自分にあった選択ができるように環境を変化させていきたいものだ。

 

片手のグラスを満たしていたウィスキーは、ラム酒に替わる。

 

ここまで考えるといつだってもう一つの意見がでてくる。マイノリティーに合わせて環境を変化させることは労力がかかる割に結果が得られず、その他大勢が負担を強いられることになる、それはそれでよいのかというものだ。

これに対して、まだ明確な答えはもち合わせていない。今のところ、これも1つの意見として受け入れた方がいいと思っている。

 

「お次はどうしましょうか。」

 

空になったグラスを指さしながらマスターが声をかけてくれる。そろそろ、大好きなフレッシュカクテルでも飲みたいところだ。

 

「次はどうしましょうねえ。」

さて、クッキーの型工場に殴りこみをかけるのは得策ではないし、自分1人では限界があるように思う。であれば、料理教室でも開いてオリジナルクッキーの作り方を参加者の人と披露しあう方がいいのではないか。

ただ、料理教室に来てくれる人は同じように違和感がある人だろうし、不自由を認識していない人に来てもらわない事には意味がない。

 

「おすすめは、ピオーネですかね。」

「じゃあ、それで」

「しゅわしゅわっとさせますか。アルコールは強めにしますか」

「炭酸なしで、度数高めで。甘くない方がいいかもしれません」

 

承知しました、とマスターがシェイカーをふるってくれる。

 

飲んでみないと、それが自分の好きな味かは分からない。それと同じでいいかもなとも思いだす。

色んな形にしてみて、それを食べてみてすきか、好きじゃないかを先ず考えてもらう機会をつくることが大切かもしれない。

 

「こちらでどうぞ」

 

薄紫のジンでまとめられたすっきりとしたフレッシュカクテルを飲みながら、ペンをノートに走らせる。

あなたのすきを見つけさせてください。そんなイベントを開いてみよう。自分の考え方が自由なものかどうか体験できる機会なら作れる気がする。いつの間にか老若男女、思い思いのカクテルを飲む客で埋まったバ―を眺めた。

 

「かんぱーい」

 

と1人ごちる。自由にならなければ、不自由になれてはいけないと、志新たにカクテルを飲みほした。空になったグラスとは対照に埋まったメモを片手にゆらゆらとまちを出る。

 

あなたがもし、もし、自分の手の中に型抜きがあると気がついたら、もしくは押されているかもしれないと感じたらぜひ一緒にお気に入りを探しましょう。

自由はしんどいですが、多分幸せです。

 

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贖罪

『台風の夜に寄せて』 

 

懺悔をして、自己を肯定したところで

何になるだろうと、いつだって自分自身のあれやこれを

全部笑い話にしてきた。

笑えない話も無理して笑い話にして、そうやって私が傷つけた人もいる。

 

本当はなにもかもが怖くて、むき出しの感情や

私を形づくるであろう全てが恐ろしかった。

本音をぶつけられることを恐れた。

曖昧なままにすることで安心をして、何一つ確かに通したい自分なんて

もっていないくて。

 

笑ってほしいんだ 大げさな奴だって

さげすんでほしいんだ 結局お前なにしたいのって

 

そうやってちゃんと突き付けられた現実だけが

アルコールが脳みそと建前を溶かした時にだけ語る夢とやらを

素面の状態で引きずりだす。

 

酔わないと語れない夢なんてごみだって、もうとっくに知ってる。

素面で心臓バクバクさせながら、相手の目も一切見れずに

絞り出すように、でも文章にすらならない単語だけが

多分意味のあるものなんだってそんなこともうずっと前にわかってた。

そうやって震える自分を遠く見ていた。

 

言い訳は優しくて、できない現実に立ちすくむ私を慰めてくれるけど

その先は何にも保証してくれない。

 

やらない理由に安堵して、身を犠牲にしてだれかを守ろとしても

すんでのところで手を放して、なかったことにしてしまった。

 

あのひともあのひともあの子もあの子も!!

あの子も!

 

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苦爪楽髪(なんとも雑な舞台裏)

 

雨が降っていて、いろんなことがうまくいかなくて、

自分に関わる全てが煩わしくて、大げさなことを言えるほど

自分の人生に真剣じゃなくて、流れていく締め切りとか、

愛想笑いでごまかした信用とか

そういうものの一切が煩わしくて、見知らぬ上野のカウンタバーで一人

飲み慣れぬシェリー酒をあおっていた。

脳みそが音を立てて流れていっていた。この瞬間はもはや死と同義な

気がしてきた。少なくとも生きてはいない。

こんなんではだめだと分かっているのに。

 

聞きやすい洋楽と映画タイタニックの流れるバーで、ぼやーっと

時間をひねりつぶしていると隣に人の気配を感じた。

なんだか、渋い声の人だなーと横を見やるとあら、同い年くらい。

「ひとりでのんでるの?それとも、だれかまち?」

おひとりですよ、もちろんとわざと髪で顔を隠しておどけて見せる。

よかった、ちょっと付き合ってよ、なんて、なんて安いセリフでしょう。

 

基本的に個人情報を守るなんて考えはないので、

本名を明かし、でも素性は全部嘘で塗り固めて台本を進めていって。

2杯目をあおったところまでは覚えている。映画の二人は、

駆け落ちの約束をしていた。まもなく船は氷山にぶつかるなあと、

彼に映画タイタニックのストーリーを解説していた。

二人の恋愛物語はフィクションだが、彼らを取り巻く社会情勢は真実で

なくなったとされる乗客のほとんどが3等船室だったこと、

映画の撮影にあたって監督は何度も深海に沈むタイタニックをみにいったこと、

なぜ、主人公は死ななければならなかったのかという解釈等。

それからさーと続きをしゃべろうとして記憶が飛んだ。

 

気が付いたら、またもや久しぶりの見知らぬ天井に、覚えのない体温。

このパターン、脚本にしてもべたすぎだよ。

夕日に向かって走ってくくらいメタファーなシーン。

陳腐すぎて経験してなくても、想像できるし多分想像とちょっともたがわない。

 

足が痛い。体勢を変えたくて、起き上がろうとして手首と太ももの違和感に気が付く。

あれ、固定されてるわ、これ。

マッサージチェアに器用に固定された私の手足。

単独の撮影とかでよく見るやつだなあなんて、現実味がないので

あっさりした感想。

というか、よくあの体躯でこの体勢に持ってこれたね、私のこと。

こちらは現実的な感想。真面目にやせなきゃ。

 

脳みそが溶けて、危険認識なんかできなくて取り合えずがちゃがちゃと

安っぽい固定具の音をきき、動かないなあって思ってやっぱり天井を見ていた。

後ろから目隠しされて、視界が消えた。

さっきの渋い声で、相手は同じ人かということを把握する。とりあえずほかに人は

いないらしい、ということも確認する。

口の中に強引に指が入れられる。喉奥をかき回されて、物理的な涙がにじんだ。

 

口の端が切れたのか、血の味がした。

左足にいたいというより熱いという感じがした。てっきりろうそくでも

垂らさされたのかと思ったが、どうにも安い鞭が当たったらしい。

乱暴にあちこちに指が入る。危機的状況に対して、自分の体を守ろうと、

私の体は防衛状態に入る。

「え、こんななっちゃう?すきなんだね。」

んなわけあるか。お前がへたなんだばーか。

 

口の中に、モノが押し込まれてやっぱり物理的な涙がにじんで、

苦しいから逃れようと舌を動かして、そうしてあっさり相手は果てた。

強制的に飲み込まされて、言い知れぬ吐き気に耐える。

水を与えられたので、それはおとなしく飲み下す。

気づけば拘束具は外されて、今度はベットに引き倒される。

 

ほんっとに下手だった。なんか、痛いとか苦しいとかそんなんじゃなくて、

まじで何にも感じなくて、こう、へたくそな撮影に付き合ってる感じで

物理的な圧迫感で声は出るけど、本当にそれだけで。

まじか、こんな奴いるんだ、くらいの下手さで。

監督ってたぶん大事だわ。こう、心構え的なのどこで落としてきたんだろう。

もしくはよっぽど愛されてきたか、よっぽど適当に扱われてきたかの

どちらかだと思う。

これが正解だと思わされてきたのなら、それは彼にとってとても不幸なことだ。

 

愛のない行為に何をかけてもゼロ。いくら積み重ねたとしても何もない。

空っぽだわ、ほんとうに。

 

愛のなせる奇跡ってちゃんとある。

だって偶然に出会った二人はこんなに雑な結末しか作れないんだ。

愛にしかできないことがたくさんある。

一度でも、幸福を感じる一夜があったんなら、大丈夫

あなたは人を幸せにできるよ、きっと。

 

無意味な夜が明けて、満足げに眠る彼の携帯からさくっとデータを消して、

適当な駅名を告げて私たちは別れた。

 

もう二度とたどり着けないバーと二度と会うことのない彼は

地面に残る痕跡でしか、昨日の雨を確認できないような、

雑に残された私のあざでしか確認できない存在と同意義で、

二日後には思い出しもしないだろう。

 

「こんな時、」

たばこでもすえたらな、とおもうのだ。

青空に溶けるたばこの煙はきっとこの空の青さに透けて、

それはきれいに見えるだろう。

私の体を通ったものがわずかでも美しく見えるのであれば、

あの安い舞台の結末も多少は締まるかもしれない。

 

ばいばい、昨日の役者さん。

出る舞台は選んだほうがいいよ。特に監督との相性は大事だからね。

 

恐怖は過去からやってくる

とかい子といなか子はともに大学院卒だ。

二人とも他大学から院に進学してきた。入学当初はボッチ会なる飲み会を

開いては騒いでいたものだ。

この大学院進学、とかい子的には、(親に金を出してもらっていて言うことではないが)、素直に失敗したと思っている。

 

特に、とかい子は文系大学生から一応理系の大学院に進学している。

そして、すでに関係性が出来上がっており何かを取り組むにあって

チームがすぐ組めて、かつ、自らのスキルも明確な学生たちの中に

入っていくのはそれなりに自分にもスキルが必要だったりするわけだ。

その見立てが大変に甘かった。

 

文系学生諸君、大学院に進むという選択肢を

就活のために使うことなかれ、人生の選択肢として広い視野でとらえよう。

 

 

 日本は新卒一括採用で、時期が決まっていて一斉にスタートする。アジアでもこの方法は珍しい。そもそも、大学卒業したかたと言って就職が約束されているわけでもない。台湾では、卒業した後一年間くらいはアルバイトをしつつ、採用の告知があれば、都度応募をするというスタイルだそうだ。

 また、インターンが必須ではないもの珍しい。大体は、どこの企業もインターン募集しており、そこに参加した生徒の中から採用をしていく。だから大学生は即戦力となるべく学問に課題に、研究に取り組むのだ。

 そういう意味では、機会が平等に与えられる日本の就活制度が必ずしも悪いわけではないだろう。しかし、2020年度から、ついにこの制度も終わりを迎える。時期を固定せず、各々の行動力に任せられる時代がやってくる。

 

 さて、そんな時代を目前に控えているあなたに、ちょっとだけ伝えてみたい事がある。文系の大学院進学についてだ。

 

 とかく、文系の大学院生とは下に見られがちだ。就職失敗したから大学院にいくんだななんていう印象を抱かれる。ネットスラングでは、文系大学院生の事を揶揄して「入院した。」なんていったりする。理系でもないのに大学院まで進学したのはなぜですか、と私自身、就職活動の面接で聞かれた。

このように認識される理由としては、文系の大学で学んでいることが分かりやすく実学、実際に何かを生み出したりするような、技術に結びつかないケースが多いからだろう。しかし、思想なき経済は悪、という有名な一文にあるように、ただ何かを発展させることが必ずしも幸福に結びつかない。文系の大学院進学は、決して現実からの逃げの選択肢ではない。

 

そのうえで、どう大学院生活を送ればよいのか。まずは、絶対的な主軸を決めることだ。

2年という期間は短い。学部の様に幅広く知識を身につけていると、卒業後、何も深堀できていなかったということになりかねない。軸足を見つけてその部分について深堀をした方がよい。

大学4年間は、いわば武器屋さんで武器を選んでいる段階だ。どんな武器があって、どんな場合に強みを発揮するのか、その武器そのものの特徴を、大学教授という専門会に教えてもらう。大学院に進む頃には、その中から自分と相性の良い一本を見つけ、そいつの扱いを徹底的に学んでいく方がよい。

もちろん、幅広く様々なことを学んでいく中で、書類をまとめたり、基本的な分析をしたりする、根底的なスペックは上がっていくかもしれない。だが、残念ながら、その根底スペックは社会人の1年分と同じだったりするから、そこを大学院で徹底し過ぎないようにした方がいい。主軸の中で学んでいくことをお勧めする。

次に、実践フィールドを持つことだ。武器の知識を身につけただけで実践したことがなければ、本当の意味で武器が自分のものになったとは言えない。大学院の外でも中でもかまわないので実際に手を動かし、足を使うフィールドを1つもった方がよい。これは、必ずしも専門分野と関連していなくてもいい。ただ、疑問に思ったことや、やってみたい事があった時に実践出来る場所を1つもっておくことで、戦い方、知識の使い方を覚えることができる。

そうやって過ごした2年間があれば、就職活動の自己PR欄に書くことに困ったり、バイトリーダーやサークルの副会長の経験ばかりしゃべることにはならないだろう。大学院生なのだ、堂々と自分の専門分野を語り、挑戦してみたきっかけと結果を語ればいい。

そして、この軸とフィールドのイメージがつかないようであれば文系の大学院進学は慎重になったほうがいい。

 

かく言う私は、フィールドばかりを増やし過ぎ、主軸となる専門分野が弱いまま卒業してしまった。専門性の低さはそのまま、報告書やレポート作成の完成度にも反映される。訓練の機会が少なかったからだ。それは、大学院にも行ってたのに、この程度なの?というあからさま評価にも苦しむことになるのは事前に言っておきたい。院に行けばやはり、これくらいはできるよね、のハードルは上がることはある程度覚悟した方がいいだろう。

 

もちろん、就職のために大学に行くためでも、大学院に行くわけでもない。だから、大学院の進学が就職に不利になるかもしれないから、であるなら迷う必要はない。自分が期待値に届かなくて落ちたならともかく、文系大学院生だからなんて理由で落とす企業には用はない。全ての選択肢は自分が満足できるかどうかで決めた方がいい。

 

※以前書いた記事のリメイク版

「はい、こちら800円になります。」

どうもーと大学生くらいの一団が買っていったのは、「底に穴の開いた」さかづきだ。

「空吸(そらきゅう)」という高知の民芸品で、時代劇に出てくる頭にかぶる笠のような円錐形をしている。穴をふさがなければ酒がこぼれてしまうし、注がれた酒を飲み干さなければ机に置くことができないという、ちょっとした宴会のジョークグッズのようなものだ。

私はこのさかづきを「自己肯定感」のようだなと思った。

 

自己肯定とは、「自らの価値や存在意義を肯定できる感情等」と定義される。日本人の若者は総じてこの自己肯定感が低い。2019年版の内閣府の調査によると日本の13~29歳の若者の自己肯定感は、欧米6か国と比較して最下位だった。ついでに、「自分は役に立たないと強く感じる」の、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」の回答の合計は51.8%だった。2人に一人は自分が「価値のない人間」だと思っているということになる。

 

その数字が示す通り私も自分が、大嫌いだ。

 

自己肯定感が低いと何が起こるか。まず、自分に不利益があるとかどうでもよくなる。無茶な徹夜を必須とする業務も、「まあ別に私だし」と引き受けてしまう。

それから、自分を信用できない。だから、他者からの評価を受け入れられず、何をしても「失敗」だと認識してしまい、自己成長ができない。

人間関係にも影を落とす。恋愛がうまくいかない。そりゃそうだ。だって、自分が「ゴミ」みたいに扱っているものをどうして「他人」に大切にしてといえるだろうか。

人生で初めて付き合った彼氏も、私が自己否定を繰り返すたび、「お願いだから、俺の好きな人のこと、そんな風に扱わないで。悪く言わないで。」と困ったように言ってくれた。

 

本来は、穴の開いたさかづきなんて不良品だ。面倒なだけだ。飲むという簡単な行為を難しくしている。けれども、穴が開いていることで楽しい空間を作り出してくれるから価値が生まれる。穴の開いたさかづきをちゃんと自らの意思でふさいで、そこに注がれたものを受け取って、血肉に反映させていく。そうして取り込んだものを糧にして、自らを成長させていく。

さて、思春期をとっくに終えた私はいまだに「自己肯定感」という「空吸」を楽しめておらず、今すぐにでも叩き割りたいが、毎日3つ自分をほめる、とか、心の中でプチパーティーを開いてどうにかこうにか抜け出そうとしている最中だ。

 

抜け出そうと思ったきっかけも、やっぱり失恋だった。

彼のことを大好きで大好きで、男女としてというより戦友のような仲になりたかった。背中を預ける、安心してもらえる、頼りにできるような、戦友のようなカップルになりたかった。だけど、最初の恋愛と同じ失敗を繰り返し、直接的な原因は違うけど、私たちは別れてしまった。

私のさかづきの底の穴は、大きく大きく広がった。破片は拾ったけどどうしていいかわからなかった。失恋の痛みだから一過性かもしれないが、でも、とにかくすぐに対処しなければ本格的な修理にも至れなさそうで、このままではもっとダメになる。

だから、私は一時的な修理のために瞬間接着剤を使うことにした。どきどきしながらサイトを探し当て、意を決して予約を確定させ、小雨降る夜に新宿のホテルに向かった。そわそわしながら待っていると、「こんばんはー」と来てくれたきれいなお姉さん。私が予約した瞬間接着剤、「レズ風俗」のキャストの方だ。

「めっちゃ緊張してますねー」とにこにことおもてなしをしてくれて、女性のやわらかさとか、言葉の素敵さとか、全力の癒しを受けた。時間が来て、お別れのキスをしてもらってお見送りした。

「そうだ、私も素晴らしい」 一人残されたホテルでつぶやいた。だって、あのお姉さんは素敵だった。柔らかくてあたたかくて、髪もさらさらで、声もきれいで、しゃべり方も素敵だった。

ベットに腰かけて世間話をした時も、私を楽しませようとしてくれているのが伝わってうれしかった。

クオリティは違うけど、私もあの人と同じものを持っている。私も、私が今感じている幸福感のようなものをきっと誰かに与えられたはずだ。別に、ベットの上の交流だけじゃなくて、それ以外の部分で私が感じた幸福感を誰かに与えられたことがあったはずだ。

「だから、きっと私も素晴らしい」。

一方的にサービスを受け取るだけ受け取ったその数十分が、欠けた私のさかづきの破片を貼り合わせて修復してくれた。水漏れだってまだするけど、本格的な修理に踏み出すだけの余力を与えてくれた。

レズ風俗じゃなくてもいい。自分を信じられなくなったら自分が誰かに与えたものと似たようなものを疑似的に経験してみると


いいと思う。ご飯を作ってもらうとか、チケットの予約をしてもらうとかなんでもいい。その時と同じ幸福感を自分は誰かに与えられていた。だから、きっと大丈夫だ。あなたは十分素晴らしい。

私はレズ風俗で、人間が存在するだけで持てる素晴らしさに気付けた。私たちは同じ可能性を秘めた器をもって生まれている。今日も自分自身の「空吸」に何とか注げたわずかな液体を、まだなじまぬ味に苦労しながらもそっと飲み干す。いつか楽々となみなみと注いで飲み干せるようになれたらなと、そう思う。

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海は広いな大きな

 私たちは、生活の中に手のひらサイズの海を手に入れた。どこまでも深く、いつでも変化し、災害も恵ももたらす、そんな四角い海を手にいれた。

 ここでいう「海」は、インターネットのことだ。私たちは、よせてはかえす情報の波にだばっと浸っている。

 海は、きれいだけれど怖いものだから、面白そうなものがあっても、うかつに手を触れてはいけないよ。毒をもっているかもしれない。浅そうに見えて急に波が高くなることもある。だから、深入りしてはいけないよと、私たちは教えられる。でも、遠く波を乗りこなすサーファーたちの姿への憧れがないといえばうそになる。

 なにせ、この海には本当に面白ものがたくさんあるんだもの。年から年中楽しめる海水浴。日焼けをきちんとぬって、水分補給も用意して、危険な箇所さえ学べば、陸では出会えない非日常を存分に楽しめる、ネットを通じた出会いは怖いことばかりではない。

 

 ネットと現実世界のコミュニケーションの大きな違いは何か。匿名性?違う。過剰なまでの自由さ?それも違う。

 その違いは、「明確な目的」にあると思う。現実世界にも、専門的なセミナーや、もしくは婚活等テーマが設定された場というのはある。しかし、必ずしもみんなが同じ熱量ではない。もちろん、その多様性こそが素晴らしいのだけれど、今日は思いっきり語りたかったのに、とか、あれ、思ったより周りと自分の知識量に差があったなと思ったりすると不完全燃焼さを残してしまう。

 ネットは、「○○をこれくらいの熱量でしたい、話したい、知りたい」が最初から明確だ。そして、そのためのだけに人が集まる。

 偏りがあると言ってしまえばそこまでだが、本当にのめりこんでいることがあって、それを好きなだけ語り合える幸福だって必要だ。

 

 現実世界における情報発信は、相互発信でかつ大勢と一度に情報交換ができるわけではない。また、必ずしもみんなが自分自身を発信することに慣れているわけではない。

 ネットは、文字でのコミュニケーション、音声でのコミュニケーションを基本とする。だから、一方通行の情報発信となる。みんながみんな、同じように発信することができるのだ。また、文字をベースとしたコミュニケーションというのは、実は信頼関係を形成しやすいと言われている。自分のペースで考えながら言葉をまとめられるため、早い段階から自分を前に出すことができるからだ。また、表情などの情報量が少ないからこそかえってコミュニケーションが深まりやすい。

 

怖い思いをしないためには、ライフジャケットをきちんと着ることだ。ここでいうライフジャケットは、個人情報の保護、そして、先ほど述べた明確な目的の維持だ。

 明確な目的のある人には、意外と変な奴は絡んでこない。現実世界と同じで、ちょっとふわふわしているなというとあっという間に足元をさらわれてしまう。

 私はこれがしたいんだ、という目的意識をもってネット上で交流をしていると現実世界ではなかなか会えないような人にあっさり会える。

 

 私は、ネット上で落語仲間を見つけ、自転車仲間をみつけ、古代エジプト仲間を見つけ、なんだったら私自身すら見つけた気がする。

 ネットのやり取りは情報量が少ない。本当に話したいことだけ話せばいい。

 

 とはいえ、実は適切なツールや窓口はまだまだ少ない。私が普段使っているいわゆる掲示板もまだまだ治安は悪い。安心して入ってきていいよ、とはちょっと言えない。きちんと護身できるようになってから、明確な目的が見つかってからの方が絶対によい。

 不安であればサポートいたしますので、お気軽に声をかけていただきたい。

 

 ネットで出会うなんて軽そう、あんまり賢くなさそう、なんていう言葉がすでに聞こえそうだ。某芸人の言葉をかりれば、「この星に何人いると思っているの?」。

 人間がしうる共通の贅沢は人間関係における贅沢だ。謳歌しないなんてもったいない。

立地にとらわれず、リッチに生きていこう。海は世界のどこにでもあるのだから。