東山魁夷の美術展に行ってきた。たまには文化的な人間生活を。
どうも、イナカ子です。
土曜日がやっと休みだったので、美術展などに赴いてみた。
交流があったという川端康成と東山魁夷の作品と美術コレクションを巡る展示だ。
そこで拾ってきた言葉たち。
絵になる場所を探すという気持ちを捨てて、ただ無心に眺めていると、
相手の自然の方から、私を描いてくれと
囁きかけているように感じる風景に出会う。
その、なんでもない一情景が
私の心を捉え、私の足を止めさせ、
私のスケッチブックを開かせるのである。(東山魁夷)
はっとさせられる。
「こういう図」というのが頭にあって、それに当てはまる風景や音を探したところで、
それは自分の内側と会話をしているだけであって、外界との会話ではない。
いいものに出会うと自分の命を拾った思ひがある。
(川端康成)
いのちをあまりにもどうでもいいことに削っている昨今。
今日一日、私は一体何に対して命を削ったのだろう。
削るためにあるわけじゃないぞ、私のいのち。
いやしかし、川端康成が恋人にこっぴどく振られた手紙とか、
「お願いだよ〜僕にも賞くれよ〜〜今までのはいいから、最後の作品だけは、ね、ね、お願い!おかんにもいい思いさせたいんだよわかってくれるだろ?」
みたいな内容の手紙を宛てたのとかが公開されているのだが、
まさか本人たちも、死んでからこんな風に晒されるとは思っていまい。
SNS大時代より怖いよ。