ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

雑記6?

もう数字に意味がなくなってきてる気が、する・・・・。

おはようございますこんにちはこんばんは。

全方位カバーしていきたい、とかいこです。

 

今回もただ文章かきたいだけ。

今朝がた会社に出勤していると、7日目のセミで遊ぶ雀をみかけました。

セミの立場から言えばたまったものではないでしょうが、

時をとめてしまったコンクリの上でじりじり焼かれるよりも、

よっぽど意味があるような気がしました。

 

何のタイミングでか思い出してしまう景色がいくつかある。

小学生のころ、たぶん遠足か何かだったと思う。

当時から集団で生活するのが不得意で、誰かとすごさなければならない、

ということに異様な緊張を強いられていたと思う。

一人でお弁当を食べていてはいけない、でも誰かと過ごすのは怖い、

けど、仲間には入れて欲しい。

そんな気持ちを抱えて、できれば班でお弁当、にならないかなあ、と

当時はそこまで言語化できなかったけど思っていたことを覚えている。

 

そんな遠足の帰りみち、いつの間にか小さな子犬が列に迷い込んでいた。

柴の子犬だと思う。当然皆に人気で、おちゃを飲ませてみたり、

だっこをしてみたりと一緒に歩いてかえっていた。

けれども、ずっとは一緒には当然いれない。

・・・・どうする、んかなあ。と

やっぱり真ん中に行けなくて、たぶん、なでたかったんだけど

かててとは(方言:まぜて?か)いえなくて。

 

つかれてきたのか、子犬が列からおくれはじめたころ。

引っ越しのトラックが止まって、中からお兄さんが下りてきてすわりこみ

子犬を抱き上げてわらっていた。

ああ、よかった、あのお兄さんが連れて帰ってくれる。

 

河川敷、トラック、若いお兄さん、子犬

 

写真のような一瞬だったから、覚えているのかわからないけれども。

 

今思えばね、、ちゃんと連れて帰ってくれたのか、とか、

気になること山ほどあるんだけども。

 

無邪気な雀を見て、思い出した、そのお兄さん。

多分、今の私と同い年ということは、今の上司と同じくらいか、なんて。

 

 

 

雑記5

雑記というか、もはやただののろけ日記と化していますけれども。

あれだから、あの、自分の記録としては、大事だと思っているので。

 

今回訪れたのは高尾山

地元の英彦山と同様、修験道の修行場となっていた山です。

東京には高い山がなく、高尾山くらいが最も高い山になるんだったかな。

修験道と杉の木は何か、関連があるのかもしれませんが、

ここもほぼ杉山ですね。

 

 

修験道神道の一種だと思っていましたが、そういえばなんの神様だったかと、

お社に手を合わせる。

 

山岳信仰だから、山がご神体で、基本は精神や肉体を鍛えることで

悟りを収めるものだと思っていました。ただ、千日回峰行とかって

山伏の格好だな、、と思っていたら、山伏は、真言宗等の密教に分類される

教えを収めるんですね。

修行する山伏の姿から派生してきたともいわれる天狗がたくさんいます。

狛犬がいないので、やはり、神社ではないんだよなあ、と改めて。

 

ところどころ、やはり彫物が立派なお社が立ち並んでいます。

日光に少し近いか、、、?天狗を拝む山伏の姿や、神獣、霊獣の姿が多かったように

思います。

1つひとつゆっくり見ていたかったんですが、

思い立って出発したのが、13時、ついたのは15時。

リフトの最終は17時半。

どうしても山頂にはいきたい想い人さん。

久々に聞く日暮の声に鼓膜が震える感覚に顔をほころばせつつ。

汗で前髪が額に張り付くので、前髪をきらねばなあと先に進みます。

 

ここ数日の雨で植物の蒸散活動も活発、ちゃんと曇りでしたね。

山頂は特にお社などはなく、お茶屋さんがあるのでそこでアイスをほおばり。

日が暮れぬうちにと、下山しました。

日本一の傾斜、とのことですが、慣性に引っ張られてちゃんと落ちそうになりました。実際には落ちないんですけども。あ、おちる、って思いました。

普段何にも気にせずにまっすぐ立つだけで、それなりの重みにさらされていると

想うこの頃。

 

汗もかき、適度に服も濡れたので、

府中によって銭湯へ。たまたま行き着いた銭湯、リニューアルオープンしたばかり

だそうで、内装もとてもきれいでした。

おもったよりストーリーのある場所だったようで、また機会があれば

行ってみたいものです。

 

tokyosento.com

 

 帰りは想い人さんはライブハウスに里帰り、

私は一足先に帰って読書にいそしむことに。

 

待ち時間が楽しい、と思えたらきっとそれは本物だな、なんて一人思ったり

するわけです。

程よく?相変わらず面白い感じに酔っぱらってかえってきました。

周りに酒癖の悪い人はたくさんいましたが、一番面白い酔い方するので

毎回楽しみで仕方ありません。

 

おなかすいた、と言わずにかえってきたので

ちゃんと飲んで食べたんやな、明日は二日酔いにならずに済むだろうと一安心。

 

これからも遠慮なく楽しく酔っぱらってかえって来てください。

けがせずに、落とし物なく、できれば夜のうちにかえってきてくれれば

大満足です。

 

最初から最後まで楽しかった。

 

 

雑記4~秘密基地があったなら~

空の青をそろそろ忘れそうなくらい、毎日毎日あめ。

うずくまって聞く雨音は決して嫌いではなかったし、

内にこもってていい正当な理由を与えられたような気になれたから、

どちらかと言えば雨の日は好きだ。

 

いくつか鮮明に浮かぶ情景があるが、雨の日は一人暮らしを始めた日の

初めての夕方を思い出す。

その日はいつの間にかお昼寝をしてしまっていて、

目覚めるともう部屋の中は薄暗く。子どものころ作った秘密基地を作ったことを

思い出して、一人笑った気がする。

暗闇に自分の声が溶け込んでいく様子を見ていた気がする。

自分の声が、溶けた薄闇。雨の日は、あの日の薄闇を感じる。

 

きらいじゃないと、言い放った1人暮らしの夕方。

薄闇に自分の声が溶ける情景にもなんとも思わなくなって久しいのに。

雨の日は暗いせいか、その薄闇がずっとそばにある。

家にも内にもこもってしまう。

無性に泣けてくることもあれば、何かに熱中できる時もある。

ぼんやり雨音を聞いていることもあれば、

こうして文章をつづっていることもある。

 

正直に言ってしまおう。

1人暮らしは、ちゃんとさみしかった。

でも、別に実家に帰りたいとか、家族が恋しいとかではなかった。

1人でいることが苦痛でないのに、雨の日はずっとさみしかった。

皆で作った秘密基地に、いつも自分しかいないような。

そんなさみしさがあった。

だけど、雨の日は嫌いじゃなかった。この矛盾をどうしたらいいのかなと思う。

さみしい、と口にしないよう、口にしないよう。

本音のさみしいは、冗談の中に少しだけ溶かした。

誰かとともに過ごせないさみしさとは違う、雨の日のさみしさを。

 

かばんの中で軽めの金属音が響く。

ここ数日の雨の日、ふと握りしめることが増えた。

熱伝導性の性質に従って、私の想い人があったかいね、と言ってくれる

自分の体温がうつる。

なくさないようにと、キーホルダー代わりのアクセサリーとぶつかって

なじみのない音が骨を伝って耳に届く。

薄闇に溶かす音が増えて、さみしいと感じていた感情は

どうやら違う名前ではないか、と思いだした。

 

「・・・・こいしい。」

 

言葉にしてしまって、慌ててしまう。

何を言ってるんだと。あきれてしまった。

 

薄闇に言葉を溶かす。

「かえってくる場所だからね。」

誰かの言葉が薄闇に溶けたのは初めてもかもしれない。

言葉が形になったのも初めてで。

 

秘密基地だから、だれも探しに来れないから。

ここになら置いていいんだろうか。

 

手の中で熱を持つ金属と薄闇に溶ける雨の音

 

雑記3

雑記というカテゴリーを置いてみた。

その他との違いは?という感じだが、その他はもう少し、仕事よりの気づきとかを

書いていこうと思う。

 

そもそも、だらだら文章かくの、そういえば私好きだったんだって、

改めて思ったりする。

回顧録的な文章ばかりなのが、また、なんとも、って感じではあるけれども。

 

最近、そういえば、私の音楽のルーツってなんだっけ、とかって

考えてみたりする。

 

母親がよく聞いていた浜田省吾(母はファンクラブのかなり初期の会員)、小田和正

父親がよく聞いていた宇多田ヒカル吉田拓郎

私が小学校一年生の時に流行ったkinkikids

いとこが好きだった浜崎あゆみ

 

でも、覚えるほどよく聞いていたのは、実はブルーハーツじゃないかなと思う。

母親は実は、フェスとかにガンガン行っていた人で、

そういえば昔見せてもらった若かりし頃のアルバムの、自分の部屋で撮影したと

思われる写真には、壁にフェスやロックバンドのポスターが貼られていた気がする。

 

もともとの気質はそちらのようだ。

小学生のころから、リンダリンダや、1985年、人にやさしく、あおぞらなんかを

口ずさんでいたと思う。

小学校2年生の当時のお気に入りは、なんと「1985年」

 

1985 今、この空は 神様も住めない そして 海まで 山分けにするのか  誰が作った物でもないのに

 

まだまだ習いたてのピアノで音を探しながら、この曲のこの歌詞を

何度も歌っていた。

あまり友達と遊んでた記憶ってなくて、いつも図書館にいた小学生だったけど

誰かと音楽の話なんてしてたのかな。

ギターも実は持ってみたりしたんだけど、指が痛くてあきらめてしまった。

 

常にラジオが家にかかっていて、

小学校4年生のとき、はじめてラジオのリクエストに電話をしてみた。

オペレーターの人に繋がって、受け付けてもらえたんだけど、

緊張しすぎて途中で切ってしまった。

その時、ラジオから流れてほしかったのは、「人にやさしく」だったと思う。

 

マイクロフォンの中から がんばれって言っている。聞こえて欲しい。あなたに がんばれ

 

何でこの曲だったのか、今では思い出すこともできないが、

古い固定電話と、電話番号をメモしたかみと、受話器の向こうから聞こえる

オペレータの女性の声と、その声を聞いてはねた心臓の音は今でも

明確に思い出せる。

 

音楽をきく、という行為ができる子どもだった。

CDラジカセ?何って言ってたかな、忘れてしまったけど、

その前に座って、窓に背を預けて、曲を聞いていた。

不思議なことに、絶対に窓に背を向けていたはずなのに、

決まってその時には、青々とした稲が風に揺れる光景も思いだす。

眺めながら音楽なんか聴いていなかったのに。

 

ながらで音楽を聴くようになったのはたぶん、小学校高学年くらい。

当時犬夜叉にどはまりしていた私は、サントラを全て集めていて、

多分、今でもアニメを見たらセリフほとんど言えるんじゃないかなってくらい

見つくしていた。何だったら、アニメの音声をカセットに録音して

覚えるまで聞いてた。

ラジオの音声やら、アニメの音声やら、そういうのをカセットに録音して、

オリジナルのテープを作っていた気がする。

どこにやったのかなあ、あれ。

 

大学院以降は、音楽好きの友人ができる機会が多くて、

本人はさほど聞くわけでもないのに、いつの間にか

テレビでは流れない音楽たちを知るようになったなあと思う。

フェスなんかも言ったしね。知らないアーティストの、知らない曲でも

全然楽しめるようになった。

 

そういうのは全部、私が人からもらったものだな。ありがとう。

ありがとう、本当にありがとう。

足りない言葉を尽くして伝えたい。ありがとう。

もう、言葉が届かないところにいる人へも、もう二度と会うことができない人へも

ありがとう。

 

 

雑記

※ただただ、文章を書きたくなっただけ。

 

夏の気配を感じると、いつも思い出す情景がある。

 

平日の朝だ。

暑かったからなのか、

それとも、テスト勉強か何かが終わらなくて熟睡をさけるためだったかは

覚えていないが、硬い床の上で目を覚ました。

私の幼いころの夏は今ほど暑くなく、家にクーラーはなかった。

夏でも窓を開けて寝れば寒いほどで

当然、震えながら目を覚ましたはずだ。

 

起き上がって窓の外を眺めるとよく熟れたスイカを思わせる赤が

空を染め上げていた。

かぜがよく吹いていて、いつもより早く雲が流れて。

そして、ひぐらしの鳴き声が響き渡っていた。

思い込みも入っているかもしれないが、杉の木が左右に揺れるのに合わせて

なく日暮の声は、風が通った道を示しているようで。

 

なんというか、音を見ていたような気がする。

 

それ以来、夕方をつげるひぐらしの鳴き声は、

私にとってまっさらな朝を象徴するものとなっている。

まあ、ここ数年、ひぐらしの鳴き声も聞いていなければ、

鮮やかな赤に染まる広い空も見ていないのだけれど。

 

実家の2階から幾度となく眺めた景色でさえ、

あの夏の朝から大きく変わっている。

風に揺れると大きな一つの生き物のように見えた杉山はずいぶんと木が切られた。

不ぞろいだった田畑はきちんと区画整備がされて、真四角になった。

自作の罠をつくりイモリやカニを捕まえていた用水路も

コンクリートで固められて川に降りるのでさえ困難になった。

 

大切な今を保つために変えられた過去の蓄積たちを

私はちゃんとかなしむ子どもだった。

変わってしまうことと失うことが同義ではないと分かっていても、

見覚えのない姿になってしまったことに呆然としていた。

 

私がこの年になっても環境の変化に弱いのは、そうしたことが原因ではないかと

思わなくはない。

とかくいなかに住んでいると、変わらずにあり続けるものの象徴である「自然」が

実はいとも簡単に壊せるものだと、何度となく

身をもって体験する。

それは、なんというか、あのビルがなくなった、

あの店がつぶれた、というのとは違うさみしさがある。

 

それは、だれとも共有する必要のない自分だけの良さがあったからだと思う。

同じものを見ても同じ感想はいだかない。

同じものを見ても同じではない。

そういうものが壊される。「お前のものじゃない」って

知らない誰かに言い放たれたような、そんな気持ちになる。

 

頭ではわかっている。

私の大切なもは誰かの好きできらいで、どうでもいいものだ。

私の嫌いなものは誰かのすきで嫌いで、どうでもいいものだ。

 

それにいちいち怒ってはいけないし、落ち込んでもいけない。

 

それでも、私はこれから先もあの夏の空を思い出す。

目に見えそうな音を思い出す。

あの、冷たい床の感触を思い出す。

そのすべてを一人で受け止めて、だれとも共有する必要がないと

当たり前のように思えたあの頃の自分を思い出す。

 

 

別に誰かと共有したいとも思わない。これからも私だけのものだ。

それがやっぱりひどく悲しい。

 

28回目の夏が、くる。

私はまた、あのひぐらしの声を見る。

 

 

 

山越え谷こえ渋谷散策

ふるぞ、ふるぞ!きっとふるぞ!

って天気予報がそわそわしていた週末に限ってからって晴れたりして、

洗濯物、、、、となる週末をを過ごしております。

どうも、都市型水害が気になるとかい子です。

 

最近はもう、のろけしか書いてませんね。

まあ、我々の日常は、食卓、お散歩、読書、おしゃべりで

いまのところ構成されてたりするので、こう、街歩き的発見は多く。

書き留めておきたいことも増えてきたりします。

 

今回は渋谷をまちあるき。

別になんだというわけではないですが、円山町をうろうろしておりました。

かつては花街だったそうです。知らなかった。

調べてみると、かなり大きく、げいこさん400人近く、お茶屋さんも

50軒以上あったそうで。

そう聞くと、何件か、ああ、ここはお茶屋さんだったんだろうな、

という趣、2階建ての間取りが小さい、いわゆる見世部分のある建物が

いくつかありました。

今でも4名のげいきさんがいるそうです。

もっとも、黒服と出勤中のお姉さんが悠然と歩く今の風景も

それはそれで色気のあるまちの風景かなと思いますけどね。

 

ちらりと、改装中の建物をのぞましたが、昔ながらの吹き抜けのある

長屋づくりでした。

 

続いて、創業100年を超えるという喫茶ライオン。

http://lion.main.jp/info/infomation.htm

lion.main.jp

全然知らなくて、古い見た目にひかれて面白そうだと寄ってもらった喫茶店

中は、ブルーライトで照らされた、クラシックが立体音響で鳴り響く、

小さなオペラハウスのような空間でした。

入店早々、「おしゃべり禁止ですが、大丈夫ですか?」と聞かれる。

二階も一階も荘厳な造りで、音楽が主役な空間でした。

渋谷百軒店の事業がはじまる際に、招致されて最初にやってきた喫茶店

大人の社交場として、大正10年からこの東京にいるそうです。

 

しゃべっちゃだめといわれたので、携帯で会話をする。

周りをみると、本に没頭するわかめの女性、

正面の席に陣取って、音楽に聞き入る人、ここは、一人で楽しむ空間かなと思う。

しゃべらないし、二人で何かできるわけではないけど、

それぞれがそれぞれで過ごしていても別に不安にはならない。

 

続いて、前から行きたいと思っていた、「森の図書室」に

連れて行ってもらう。

もうね、方向音痴過ぎて、スポットは決めても場所にはたどり着けないので

連れていってもらう。

 

morinotosyoshitsu.com

 

会員制で自分が置きたい本もがおいてもらえるし、飲食もできる。

ブックカフェとの違いは、「図書館」だということ。

ブックカフェは購入であるが、図書館なので貸し借りだ。 

私の思い人いわく、「ブックカフェは自ら本の価値を下げている」とのこと。

 

うろうろとして本を探す時間の不思議さは昔から変わらない。

これをかう、これを借りる、と決めているわけではないときは、

ただ、うろうろする。あ、と思う、一冊がある。

これだなーっていう。 

今回は、村上春樹の風の歌をきけ、だった。

 

このメニューは小説にちなんだドリンクやフードがあり、

その中の一つに引っ張られてるんだとおもうけど。

 

カウンター、机、奥はベッドソファのようになっていて

ごろごろと転がってよめる。

こういう時は、ちゃんと、運命ってのが待っていてくれて、

渡されたオリジナルコースターの裏には、ずいぶん前からちゃんと見たい、

とおもっていた映画の原作が紹介されていた。

思い人は、13年ぶりの新作にして最終巻、「おいしいコーヒーの飲み方」を

手にしておりました。

10ページ読んでは息を吐き、5ページ読んでは酒をのみ、

20ページ読んでは空を仰いで、一生活字にもてあそばれてた。

 

そのあとは、妹と合流して焼肉店

バスの時間がなくなって、二人であるいて家路につく。

思い人さんは帰宅後、

少し読み残してしまった部分を、笑い泣き叫びながら、堪能し。

 

そんな様子をまじまじ見てたら恥ずかしがると思って、

気配だけを感じながらそばの定位置で私も読書を進める。

 

「最終巻、かそうか?」

と、おそらく、早く内容について話したい思い人は言ってくれるんだけれども、

いや、自分でかいたいから、というと、

早く感想戦しようと、そわそわとした答えが返ってくる。

 

私はラジオドラマからこの小説は入っているから、

もし探せたらドラマCDでもプレゼントしようと思う。

バカ長いけどね。

 

 

晴耕雨読な休日でした。