ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

長めの袖は役に立つ~京都弾丸旅行編①~

ちゃんと冬入りを認識しているのに、昨日秋服を買ったとかい子です。

スナフキンみたいな麻のコートみたいなやつ。多分ワンピースみたいにして

着るんだろうけど。ジーパンとかと合わせたらかわいいかな。

12月上旬ならまだぎり着ていけないことも、、、いやもうさむいか。

 

さて、中学時代の同級生と二人で京都旅行に行ってきた。

本当はゆっくりしたかったが、相変わらずのスケジュール管理能力のなさ。

冷たい雨が確実に体温を奪っていると認識できるような夜、

池袋から関西行きの夜行バスへ。

東京、関西方面は大体6時間くらいで夜行バスだとちょうどいいくらいの

距離感だと思っている。

 

23:40分発6:40分着

 

京都駅に最もちかいネカフェは列ができるほど混んでいるし、

そこ以外のネカフェはあるくには少し遠いので、京都タワー下の

銭湯にむかう。強気の700円だが、タオルはサービスでついてくる。

www.keihanhotels-resorts.co.jp

 

ここも、すぐに来ないと行列渋滞になる。

観光公害なんて言葉ができて久しいが、本当に腹立つくらいどこも混んでいる。

住居としての快適さを保つということをやはり第一にしなければ

豊かな伝統は守られない。伝統は生活にふかくねづいているからこそ、

保ち続けられるとおもうのだ。

 

さくっとお風呂をすまし、始発の新幹線で来る友人をまつ。

まだまだ合流までには時間がかかるので、鴨川まで散歩。途中、あと数年で

すっかりと姿を変えてしまうであろうエリアに立ち寄る。

 

ja.wikipedia.org

 

かつて関西最大級の被差別部落と呼ばれた「崇仁地区」

江戸の昔から残る歴史の中で形成されてきた、あらゆる社会的弱者の方が集まっていた

エリアだそうだ。

再開発として、京都芸大がこのエリアに移築される。

あくまで居住エリアなので写真は控えるが、用地買収のためのフェンスが

張り巡らされ、韓国由来だということが明確に分かる祠や、近隣のレザー店の

多さからその歴史をなんとなく感じ取る。

現在も1,500人ほどが住んでいるはずだが何ら気配を感じない。

生まれてくる場所とタイミングが違えばここにいたのは私だと思うので、

そういう思いで世界を見ていたい。この歴史は違う私の歴史だったと思うと

今の仕事だって、もっと真剣にやるべきなんだけども。。。てへ。

 

そこから抜けて鴨川を散策。途中、釣りをしている青年の横でじっと

魚影を追ってみたりする。

 

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川沿いをひたすらあるき、

ふらふらとあるく。京都は犬もあるけば棒にあたるわけで、菅原の道真の乳母、文子をまつった「文子神社」に行きついた。いわゆる天神信仰の始まりの神社だ。

 

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縁結びの神様でもあるわけで、京都の保存樹木に当たる

相生の木(一つの根から二つの木か伸びているもの)が境内にある。

 

8時

 

友人と合流。相変わらず色白い。かわいい。笑顔がたまらん。

ごった返す京都駅のバス乗り場にへきえきしながら、目的地付近まで行くバスを

探す。京都らしい朝ごはんをいただきたい。

 

町屋カフェ ろじうさぎさん

おちゃやが立ち並ぶ通りに伝統的な京町屋をそのまま利用したカフェだ。

店内には舞妓さんの名前入りのうちわや、写真が飾ってあり、

地元の人がだんらんをしている。とはいえ、やはり観光客ばっかなので

朝ごはんも予約をお勧めする。

 

ameblo.jp

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この裏にも日本最古の恵比寿神社があったりする。名刺塚見たいな

変わりだねがある。かす汁が大変においしかったです。

 

ここに来る途中も、100年目だという飴屋さんにたちよった。

建物はそのまま、手作りで飴を作り続けているというが2代目のおかみさんの

話をきいた。

 

「先代がね、あんたまではお願いいしていいかなといわはるんでね。

まだおばあちゃんがつくってるんよ。」

 

御年88とは思えない、若々しい肌のおばあちゃんの話に耳を傾けながら、

いとおしい不ぞろいさの飴を購入する。

一度に7キロほどの飴を作るそうで、一緒に売っているおかき類は

仕入れをしているそうだ。家の中にはまだ井戸があって、地下鉄開通と同時に

かれてしまったらしい。

 

祇園の方から嫁いできてね。お正月の時は舞妓さんと同じように髪を結って

高枕でねてたんよ。なかなか寝付けなくて、耳がいつもいたくなっていた。」

 

と確かに存在していた美しい世界の話をしてくれた。

便利で暮らしやすい現世しかしか知らない私は、不便でもきっと美しかった世界は

もはや異世界の話のように聞こえてしまう。

昔の人も、今の世界はきっと異世界だろうけれども。

 

閑静な通りから離れて、再びかもがわぞいへ。南座の近くから河原町へ抜ける。

コインロッカーが見つからなかったが、カラオケに預けられるサービスをみつけ

そちらに二人して荷物を手放す。

 

漬物を買いたいという友人を連れて、錦市場へ向かう。

錦市場は5回くらいは来たので、さほど特筆することはないが、前はもっと

生活があったような気がしたが。こんなに、売り声をはるような商店街では

なかったような気がするな。

すぐき付けに、千枚漬け、ゆずだいこんやゴボウ、はんなり付けなどを買い込み

六波羅蜜寺へと向かう。

 

午前中はここまで。

 

 

 

 

第三回寄席を開催した話

11月も終わろうという中、こんなに薄着でいいのでしょうか。

どうも、とかい子です。

 

さて、11月16日に第三回の寄席を開催しました。

開催といっても、出てくれる人との調整とか、場所探しみたいな、

一番大変なところはもう一人の人がやってくれたりするので、

私は当日の裏方とブレストのお相手くらいなものです。

 

大きな変更点としては、これまでワンコインでやってましたが、

今回から木戸銭千円に値上げしたことです。

会場代+演者のお車代くらいは賄うことを目的にしました。

どうしても身内感が強いライブになってしまうことは否定できませんが、

それでも、自分のやりたいを表現できる場所があって、

見てくれる人がいるのは大変にありがたいことです。

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今回は、秋っぽくと思いまして深い赤の着物を選びました。(右側の方です)

ちょっと大きいかなあと思わないではないですが、この秋お気に入りの一着と

なりそうです。

 

人数の多い、少ないに関わらず、人前で表現をするということはどうしてこう、

心地よいのでしょう。

落語を初めてから10年余り、人数の多い所では80名近い人の前で話すことも

ありました。30人、40人くらいではいっかな緊張はしなくなりましたが、

それはあまり良いことではないと思っています。

適度な緊張感こそがミスの少ないパフォーマンスの基本です。

緊張しなくなると、ミスに対しても甘くなってしまうので、いつまでも

高座に上がる最初の一歩はきちんと緊張していたいと思っています。

 

久々にかけたのは「星野屋」という上方のお話です。

桂文珍師匠でネタは覚えています。登場人物は4人、

若い愛人のおはな、おはなのお母さん、おはなを囲う星野屋のだんな、

だんなの部下の藤助です。

性別と年代がばらばらで、キャラクターで見せていくお話でもあります。

話そのものに大きなひねりはありませんが、どんでん返しが多く、

テンポの良い、はめものもある上方らしい話だと思っています。

 

ストーリーとしては、おはなを本妻として迎えようと考える旦那が、

おはなが本当に伴侶にふさわしい相手かどうかを確かめるため、

ちょっとした算段をするというお話です。

 

特に、おはなのおかあさんが ザ大阪のおばちゃん。

最初の登場の所でしっかり出オチさせるのがポイントですね。

分かりやすいので、落語を見たことがない人でも「芝居」を見るように

楽しめるとは思っています。

 

とはいえ。

前にも書いた気がしますが、落語は「話術」だと思っているとかい子。

キャラクターで立たせるのはやはり違うなあとも思っているわけです。

あくまでも、芝居になってはいけない、語りであるべきで、

お客さんのイメージを引き出すためのもの。あまりにも

「私」がメインになってしまってはいけないよなあといつも思います。

あとはね、上下まちがえすぎだよね・・・・。

空間ひずんでた。後目線も下がりすぎだよね。

 

落語の上達具合を図るポイントの一つが、視線が定まっているかどうかだと

おもうので、この部分に反省が出るのはよろしくないですね。

 

そうはいってもとても楽しゅうございました。

 

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来てくださった皆さん、ありがとう。こんなにたくさんの方に出てもらえたのも

ありがたい限りでした。

 

 

 

 

ライブの感想※当日編

注意 こころに響きまくって大泣きしたライブの帰って、飲んで寝た次の日の朝に

書きあがっていた文章です。

 

Morohaというアーティストのライブに行ってきた
結果として歯を食いしばりすぎて唇きれてるし、握りしめすぎたせいで爪が刺さって手のこうがいたい
ジャンルを言えるほど音楽に詳しいわけではないから、ジャンルは知らない。
二人組でアコギとラップで構成されている。
自分たちの人生をえぐくえぐく表現する。リズムがあるわけではないから、歌というよりは、詩って感じ。

人によっては暑苦してくて苦手、みたいな人もいるかもしれない。

「誰かに教えてもらうのではなくて、ある日偶然に見つけてほしい音楽」

という紹介がとてもしっくりきているから、気になった人だけ見にいってほしい。
先にいっておくと、私はすべてのライブと称されるものでは大概泣いている。感情のキャパというのはある程度決まっていて、目の前のものを最大限取り込むには余白が必要で、だからなのかなんなのか、目の前の表現者に集中すると、大体なく。

映画も、路上ライブでも落語でも、大体泣いている。

だから、今回のライブもなくんだろうなあと思っていたし、それについては別にいいのだ。

だけど、こんなに直前まで行きたくないなあと思ったライブも久しぶりだった。
生で聞いてしまったら最後、いろんなものにがさっと決着つけたくなると思っていたからだ。あいまいなままにさせておいた現実のあれこれ、進まない理由にしていたもの、清算できなかった過去、なくすくらいなら引きずっておこうと思った関係性、見て見ぬふりをしている本当にやりたいこと。

そういったすべてをざくざくと切り開かれることはわかっていて、やっぱり開かれて、もうやだなあと思いながら、ステージをじっと見ていた。

「途中で君のこと投げ出すような根性なしの女ではなくて、強くて賢い女性をみつけて」

書いてる途中ですら泣きそうになるわ。せっかくぎりぎりのところの手を取ったのに、引き上げる力が足りなくて手を放してしまって、同じような言葉を何度心で祈るように唱えたか。女も男も関係なく、幾人かに思った願いは、ここでこうして音になった。

いうて、そんな大げさな人生は歩んできていない。特筆するようなつらいことがあったわけでもない。共有することさえはばかられるような、想像に及ばないつらい何かがあったわけではない。だから、不幸ぶるのは許さない。せめて笑え、泣くなら一人でなけ。

そう思って、ライブにはほとんど一人で行ったし、だいたいえぐえぐ泣いて、そのあとにこにこしていいものみたなあ、生きてるなあと思って帰る。

今回は、どうしてもにこにこできなかったから、人気のなさそうなところをてくてく歩いて、海でも見えないだろうかと感傷的になりながら、一人岩に腰かけて缶チューハイをあおっていた。どのみちこの状態で電車乗れないし。きっとまだ混んでるだろうし。

誰にも見つからないように、こそこそしてたのに、うっかり私を探そうとしてくれた誘いに乗っかってしまって、また自分の弱さに落ち込む。
いや、みつからんだろ、駅で待ち合わせだわ。と思って、少しだけ飲むスピードを上げて合流に向けてコンディション作ってたら、後ろからガサガサと近づいてきた。

「ただでさえ、人気のないところなんだから後ろから来るなよ、こえーな!」

とっさに笑い顔を作る。どうせなんもかんも見透かしてるだろうけど、とりあえず笑う。
私が泣いたら、人は私に言いたい放題言えなくなるから、私は泣かない。
なんでもかんでも、傷つける言葉でも重たい話でもとにかく何でも言える存在でありたいから、私は人の前では泣かない。

たまに、例外的に破ることはあるけど、できるだけ泣かない。

くっそ、こいつ絶対泣かせにきてんな。

何とか何とかごまかそうとするが、いかんせん酔ってないときのこいつは本当に他人のことを見ているし、何よりこいつ自身がずっとリスクをとって動いてきた事実を知っているからまともに言い返せない。
そもそも、私に放ってるつもりの言葉の3分の1くらいは自分にも刺さってるくせに。

「他人の人生しょっていく人生は、さぞお辛いようですね。」

るっさいな。

「そうやって、笑ってごまかして、結果的にうそつきなんじゃねえの」
わかってるってーの

「たまにはなけよー」
くっそ、思ってもないくせに。こうやれば、こいつは泣くなーをわかっててやってるだけのくせに。優しくなんかしなくていいんだ、頼むから、寄り添ったりしないでくれ。泣きたいときに人に頼ることに慣れたくはないんだ。

慣れてしまったら最後、そうじゃないときに立ち直れないくらい落ち込んでしまうから。

かろうじて自分に許してきたのは、そういうメンタルの時に人に電話をかけること。10分程度、それも久々に話すな、な相手に近況報告に混ぜてちょっと吐き出して終わりにしてきた。最近、ちょっとそれができてなくて、親しい友人に1時間くらい聞いてもらったりしてたけど。

泣きたいときほど、爪を立てて、刃物を自分に突きつけろ。

いたいのいたいの、どうか飛んでいくな。 

どこにもいくな、ずっとここにいろ、時間に解決なんかされんな。

梅干し※この話は半分フィクションです

私の実家は、いわゆる兼業農家だ。そのため、米をかうという習慣がない。

高校と卒業と同時に実家を出て以来、三か月に一度程度実家に電話を入れる。

 

「あ、お母さん?米なくなったけん、おくってー。」

 

親の愛というのはありがたいもので米だけでいいと言うのに、段ボールの隙間が余ってもったいないからとあれやこれやと詰めて送ってくれる。

 

「ちっこい段ボールに入れてくれたらいいけん、なんもいらんけんね。」

 

と、話してもすきなメーカーのカレールーやら、トマト缶、ご当地の焼きそば、あまりお菓子を買うことのない私が好んで食べていたクッキー、もらいものでおいしかったからという紅茶などが器用に詰められて送ってくる。

その中で欠かさず送られてくるのが「梅干し」だ。

 

私は、母の漬けた梅干し以外は食べられない。

 

塩と梅、それ意外は何も使わないシンプルなレシピ。それが私の口に入るまでにはおよそ半年かかる。

6月、毛虫対策を十分にして梅の木によじ登る。日のあたる部分の枝の方が多く実っているので、子どもが枝の根部分をたわませて大人がその先端を回収していく。1、2時間程度で2~3キロ程度の梅が収穫できる。

 

梅雨入り前、収穫した梅をよく洗い水にさらす。本当はうめのお尻のへた部分を取ったほうがよいのだが、口当たりの問題なのでさほど気にしない。

収穫したばかりの梅からさっぱりとしたにおいがして、私は梅をさらした水には味が移るのだろうかとちょっぴり舐めてはしかめっ面をしていたと母は笑って話してくれた。

梅2列分程度を瓶底に敷き詰めたら、それらが綺麗に見えなくなる程度にお塩をふる。その層を交互に繰り返す。

重石をしっかり載せ、2~3日すると梅酢が上がってくる。

これで下処理は終わり。同じように塩を振ってあくを絞ったあか紫蘇とともに漬けて、じっと梅雨が明けるのを待つ。

 

私はこの梅酢もとても好きだった。梅の水分とほぼ塩で酸っぱいと言うよりは渋い、という感じがする。

「塩分高いけん、たべすぎんとよ!」と母に言われるものの、冷ややっこや、そうめん、きゅうりの朝漬けにかけては、その風味を楽しんだ。

 

7月、梅雨が明け、太陽が凶器性をちらつかせだした頃、青梅は水分が抜け、ほんのりと赤色が移った状態になる。

そのころに、大きな円形上のざるにつかりかけの梅干しを干す。天気のいい日を見つくろって3日程度。太陽のもとに干して余分な水分をとばす。

この時は、あまり梅干しの良いにおいはしなくて、かじってみても酸っぱくもなく、かといって甘くもなく、中途半端な感じがしていた。それでも、布団を干すとふかふかになるように、梅干しも柔らかくなっていく様が面白かった。

 

7月中旬、干した梅干しを再度、紫蘇の中にもどす。表面が乾燥しないよう、瓶と蓋の間にラップを挟んでおく。

9月、およそ2カ月。夏の名残りが消え、お米を収穫し、空のグレーがぐっとふかまるころ。新米のお米の上に、濃い赤の梅干しが初登場する。1つ1つが大きく、塩分をつよく感じる。酸味も十分で、梅干しだけを口に入れると思わず片目を閉じずにはいられない。

 

梅干しを入れる壺に、梅干しを漬けた瓶からおいしそうなものを選りすぐって移し入れ、食卓におくのが私の仕事だった。その壺が空になることは絶対になく、古いものから順に食べていく方がよいのはちゃんと分かっていたから、去年の瓶が残っていないかもきちんと確認していた。

 

年に何度か実家に帰るのが当たり前になったある日、欠かさず梅干しが入っていた壺は綺麗に洗われてふせてあった。

 

「あんたがおらんけん、梅干しがへらん」

 

と笑った母の手は、7月の外ぼしされた梅のように柔らかくもふっくらと、そして確実に小さくなっていた。

 

「グランドキャ二オンなんだよねえ。うちの梅干し」

 

お米の上ではなく、焼酎のお湯割りの底に沈む梅干しを父親の横ではしでつっつく。

 

風と太陽と湿度がつくりだした絶景。私達はその過程を見てきたわけではなく、絶景が当たり前となった今をただ堪能している。私が好きな梅ぼしも季節と母の経験値とがゆっくりとつちかってきた。これまでの私はその過程を知るわけではなく、食卓に上がってくるこの完成形しか知らず、ただ、その完成されたおいしさを堪能していただけだ。

                                                                                           

「なあ、こんどさあ、夏にかえってくるけん、梅干しの漬けかたおしえてやあ。」

 

急になんね、と母が振り返る。

 

「いやね。グランドキャニオンも風吹き続けんかったらだめやけんね。」新しい風があるから、変化し続いていけるし、絶景は保ち続けられるのだ。

 

今年の梅は木からとらずによそからかったこと、紫蘇は自分のうちで収穫していないこと、ざるには干せなかったから色があまりよくなかったこと。ふせてあった壺にひょいひょいと、また梅干しを入れながら母の話を聞く。

任せよ。枝の先端の梅はもう私1人でも収穫できる。紫蘇は、ちょっと上手く育てられないかもしれないが、そのあたりは農学部に所属する我が妹ができる。ざるにだって私が干せる。

 

だから、これからは梅干しの壺にいれる役割は、母よあなたがやってほしい。ご飯の上にのせるのもあなただ。もう、お酒の量も気をつけないといけないからね。

塩分は控えめ、梅酢はかけ過ぎたらいけんよ。

 

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始まらなければ終わらない

連休明けってどうしてこうもみんな当たり前なんでしょうね。

二日もあっていないだけでずいぶん久しぶりな気がするのに、

びっくりするくらいコピーアンドペースとな毎日になりがちです。

私が東京に来てから3年程度、変わらなかった景色なんて何一つありません。

しいて言うなら、あの日あの人と見た不忍池のハスの葉くらいでしょうか。

どうも、とかい子です。

 

最近ね、自己肯定感高めの文章書いていますが、

あんなもの本質的じゃないのでね、あんまり気にしないでください。

ああいうこともたまに書いておかないと不幸であることに酔いしれてしまいそうで

そういうときって本当にむかつくくくらい性格悪くなるのでね。

嘘でもいいので自分を見てほめて、ほめられた記憶を虫干ししておかないと

自分の外殻さえ保てそうにありません。

 

人間には成熟というフェーズもあって、たぶん変わらない変わらないと

自身でいう人は変わっていく毎日に変わらずに対応できるように

自身の考え方を柔軟に当てはめなおしていく作業をしていて

だから腐らずに済むんだと思っていたりするわけです。

 

そして、私は、何かを始めてしまうと、終わってしまうことも知ったし、

それを失う怖さももうなんだかどう悲しめばいいのかわからないくらい

分かってきてしまって、最近いろんな人間関係をあやふやにしています。

 

始めるのはいつだって簡単ですが、続けていくこと、重ねていくこと、

それから、変えていくことは足がすくむような思いがします。

 

これだけ、何でも話せて居心地のよい思いができる相手は、そうそういないと

知っていて、でもそれを消費してはならないと分かってるので。

また、がむしゃらにボロボロになるまで動き続けるしかありません。

 

だから、私は遠距離恋愛ばかりしているし、仲のいい子とは

あえて連絡を取らない時期を設けたりしてしまいます。

その心地よさが当たり前になってしまったら、失ったときに耐えられないと

分かっているからです。

それくらい、3度目の失恋は私に痛手を残していったんだなと、

ここ数日なぜか毎日酒で記憶を飛ばしながら思っているのですが。

 

あの時のように、もう一度話せてたら、もう少しそばに入れたらなんて

不似合いなことを思わなければ。願わなければ。

まだ私は、やめてしまったふがいなさにも、負けてしまう心細さにも

恐れずに何かに挑み続けられてたかもしれないと思うわけです。

 

本音で話すことは恐ろしく、建前ばかりがうまくなり、もはや本音なんて分かりません。

そんなのは10代限定ボーナスステージかと思ってたら

いつの間にか抜け出し方なんてわからなくなった。

20も後半、子どもだっていても別におかしくない年でもこのあり様。

 

笑い声さえも出てきません。

 

自分の中の感情を説明する言葉さえ、古いまま

何もかもアップデートできず、自分を楽にする手段を身に着けるための

試行錯誤すら指の間をすり抜けていく。

 

病名にすがって薬を飲めば、努力しなくていいこと許されるとでも思ってんの?

 

※つまり死ぬほど仕事したくないってことと、現実逃避してえをめっちゃ大げさにかくとこうなります。

 

 

 

 

 

私が高座にあがるとき

 

「えーまいど古いお話でございますが」

通勤中のイヤホンから、耳に心地よい語り口調が流れる。満員電車を嫌って、雨の日と寝坊しなかった日以外は片道40分、通勤のため自転車をこぐ。そんな私のお供は、幾人もの落語家たちだ。

もうすぐ、耳当てが必須の時期になるだろう。そのころには、立川志の輔師匠の「蜆売り」を聞きたい。桂米朝師匠の「除夜の雪」でもいい。それとも、すでに春を心待ちにしての「百年目」だろうか。

知らず知らず、私の口からも慣れた語りがこぼれだす。

 

「当方にて一席お付き合い願います。」

 

大学入学と同時に落語研究会に入った。もともと演劇が好きで、ずっと舞台に立ってお芝居がしたかった。でも、ナレーションも小道具も衣装をつくるのも楽しそうだな、と思っていた私が行きついたのが「落語」だった。

小道具も大道具も主役も脇役も、全部ひとりでできる。

そうして、着物に袖を通し、扇子に手拭い、頭の中に原稿を詰め込んで私は高座に上がった。

以来、およそ10年、いまだにアマチュア落語家として活動をしている。

 

私はどちらかといえば、プライドの高い人間である。だから、最初は落語もなんだかかっこよさそうなものばかり選んでいた。変な表情やおまぬけなキャラクターをしたくなかったからだ。でも、そんな噺は笑いは取れなかった。思うとおりにできず、高座で大泣きしたこともある。

今ならわかる。

思う通りにできないのは、噺が難しいからではない。「落語のキャラクターが自分の中にいない」からだ。

 

品行方正で正義感が強く、ひたむきに不器用に現実に立ち向かう、そんなキャラクターばかりやってきているが、実際の自分はなかなかそうはいかない。そもそも、落語のキャラクターはみんなどこかしらの「欠点」と思われる部分がある。

実はそれこそが大切なのだ。「面白く」あるためには、「完璧」でなくていい。

それは、日常が毎日完璧に過ごせるわけではないのと同じだと思う。当たり前の毎日は、ちょっとしたエラーが常にあるのが「当たり前」だからだ。

 

落語はそんな日常を讃えている、日常賛歌だと思っている。

生活をしていれば、せっかちな人、焦ってばかりの人、信じられないようなミスをする人、本当に人間なんだろうかと思うくらい優しい人、逆に驚くような悪人、多様な人が時にぶつかりつつ共存をしている。

落語は、そんな人間のどちらかといえばエラーだよね、という部分を笑いという形に変えて称賛してくれているのだ。

だから、落語をするときは自分のそんなちょっとエラーだよね、をよく理解するところから始めなければならない。だって、それこそが落語に必要な要素の一つだからだ。

自分の好きな部分、見せたいところを表現するような部分は何もせずとも、表現できる。

 

例えば、私は物知りキャラクター、若者が困ったときに、「こういう時は、裏町のご隠居のとこだな。あの人は何でもしってるってんだからな」と訪ねていく相手の役なんかがはまる。

 

自分も、学んだことや知識を人にわかるように伝えることが好きで、どうしたら伝わるかとあれこれ考えている。

ところがこのご隠居はちゃんと教えてくれることもあれば、わからないと言えずに知ったかぶりをして適当にこたえてしまうこともある。

 

「なあなあ、ご隠居、やかんはなんでやかんってんだい?」

「それは、戦場で兜の代わりにかぶっていたものに矢がカーンとあたったから、やかんやな」

「なるほど!」

 

そんなわけはない。

 

私もそんな一面がある。友達からは、名字の元永をもじって「モトペディア」だね、なんて言われていた。某インターネットの百科事典ツールをもじっているのだ。信じるか、信じないかはあなた次第、なんて。

 

そんな自分の一面を無視して、見ないようにしていたが、落語をするうちにそんな自分のダメなところをちゃんと受け入れようという気になってくる。

なんのことはない、最初から言ってしまえばいいのだ。信じるか信じないかはって。

それは、日常をちょっと面白くしてくれるし、ちゃんとわかっているときはきちんと伝えたらいい。そして、そのあと一緒に調べればいいのだ。

 

そう思えるようになった、大学2年生の夏。年に2回、落語研究会が主催する寄席で私はた「阿弥陀が池」というネタをかけた。はじめて、寄席のアンケートのもう一度聞きたい話に私の名前とネタが上がった。

 

自分のダメな部分、知ったかぶりのご隠居が出てくる話がお客さんに面白いと思ってもらえたのだ。その時少し、ダメダメな自分も悪くないと思えた気がした。

 

私だからこそ、できた落語、笑ってもらえた落語がある。

それは、とっても努力してたどり着いた自分じゃないかもしれないけど、どちらかといえば情けないなあと思うことの多い自分で未完成な自分だけれども。

そういう部分こそが、いきいきとしたキャラクターをつくり出す。

 

いろんな人が言っているが落語がつくってきた400年の歴史の端くれを担うものとして再度伝えさせていただきたい。

 

400年の歴史が証明しているのは、あなたがあなたであることが何よりもの価値だということだ。

 

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縁は異なもの

私は友達が少ない。

高校の友達は皆無だ。

中学は小学校からの持ちあがりだったが、違う小学校の子と混ざるため

一気に友人は増えた。

卓球部に入っていた私は、同時入部の同期女子の3人とそれなりに仲良くできていたと

思っている。大学時代は二人が長崎まで遊びにきてくれて、それはそれは

大喜びした。

大学時代は、あちこちに顔を出していたせいか、知り合いばかり増えており、

その中に私をお嬢、と呼ぶ友人がいた。

 

どちらともゆるかに交流が続いており、今に至る。

新しい年齢の坂道の入り口が見えかかってきたせいか、

どちらからとも「ねえ、だれか紹介してくれない?」と言われる。

 

中学時代の友人は地元にとどまり続けており、大学時代の友人は福岡にいた。

ちょうどいいやと二人を引き合わせてみた。

どちらも人見知り全開だから、

近い距離で交流が生まれる小動物カフェに行ってみたら、もくもくとただ触れ合う。

全然しゃべらんなーこいつらと思って、食事の前にわざと二人きりにして

放置してみたら、三人掛けの真ん中をちゃんと私のためにあけて端に座ってた。

 

・・・・・・あっそ。

 

そうはいっても、中学時代の友人は聞く限りまともな男と付き合えてないし、

大学時代の友人は友人で性格に難あり女子ばっかり捕まえるし、

何なんだろなーと思っていた。二人とも、いたって人間の基礎力が高いんだが。

 

まあ、無理して関わらんでも話したければ話すか、と放置していたのが5月のこと。

そしたら、私の知らないところでちゃんとデートしていたらしい。

まじか。

 

二人で食事して、博物館に出かけていたらしい。

中学の友人の誕生日が8月だとしると、ちゃんとプレゼントも用意していたらしい。

なんなら、10月に一緒に山口県の方までドライブデートしてたらしい。

 

・・・・・・あれ?

 

「最初にトカイ子に報告しようと思って。」

深夜にほど近い時間に、中学時代の友人から届くライン。

 

なんとなく予想がついていたから、「なに、とうとう徳川の埋蔵金見つかった?」

と話をそらしておく。

そうじゃないよーとやさしい彼女は真面目にラインを返してくる。

しってるよーさてどした?

 

「つきあうことになりました!」

 

さよーですか。

根掘り葉掘りは聞きませんとも。ただ、純粋な中学時代に友人(面倒だから中子にする)は、ともかく

大男の方はちとやっかいだ。 

こいつは義理立てとか、めちゃめちゃするから。

好きかどうかはっきりしないまま、そういう雰囲気になったから告白しました、

なんてことがなければいいと、本当に心配した。

 

どちらも大切な二人だから、どちらにも傷ついてほしくないのだ。

 

それにしても、こんなこともあるのねーと物珍しく思う。

 

私の培った人間関係が、そろそろと交わて意外な色を見せた。

二人が今後どうなるのか正直、自然消滅とかになるんじゃないかと

実はこっそり心配しているけれど、

できれば、どんな形でもいいから、笑っていてほしいと思う。

 

思いがけない変化は戸惑いの前に違和感を生むのだな、と思ったこの頃。

 

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