ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

梅干し※この話は半分フィクションです

私の実家は、いわゆる兼業農家だ。そのため、米をかうという習慣がない。

高校と卒業と同時に実家を出て以来、三か月に一度程度実家に電話を入れる。

 

「あ、お母さん?米なくなったけん、おくってー。」

 

親の愛というのはありがたいもので米だけでいいと言うのに、段ボールの隙間が余ってもったいないからとあれやこれやと詰めて送ってくれる。

 

「ちっこい段ボールに入れてくれたらいいけん、なんもいらんけんね。」

 

と、話してもすきなメーカーのカレールーやら、トマト缶、ご当地の焼きそば、あまりお菓子を買うことのない私が好んで食べていたクッキー、もらいものでおいしかったからという紅茶などが器用に詰められて送ってくる。

その中で欠かさず送られてくるのが「梅干し」だ。

 

私は、母の漬けた梅干し以外は食べられない。

 

塩と梅、それ意外は何も使わないシンプルなレシピ。それが私の口に入るまでにはおよそ半年かかる。

6月、毛虫対策を十分にして梅の木によじ登る。日のあたる部分の枝の方が多く実っているので、子どもが枝の根部分をたわませて大人がその先端を回収していく。1、2時間程度で2~3キロ程度の梅が収穫できる。

 

梅雨入り前、収穫した梅をよく洗い水にさらす。本当はうめのお尻のへた部分を取ったほうがよいのだが、口当たりの問題なのでさほど気にしない。

収穫したばかりの梅からさっぱりとしたにおいがして、私は梅をさらした水には味が移るのだろうかとちょっぴり舐めてはしかめっ面をしていたと母は笑って話してくれた。

梅2列分程度を瓶底に敷き詰めたら、それらが綺麗に見えなくなる程度にお塩をふる。その層を交互に繰り返す。

重石をしっかり載せ、2~3日すると梅酢が上がってくる。

これで下処理は終わり。同じように塩を振ってあくを絞ったあか紫蘇とともに漬けて、じっと梅雨が明けるのを待つ。

 

私はこの梅酢もとても好きだった。梅の水分とほぼ塩で酸っぱいと言うよりは渋い、という感じがする。

「塩分高いけん、たべすぎんとよ!」と母に言われるものの、冷ややっこや、そうめん、きゅうりの朝漬けにかけては、その風味を楽しんだ。

 

7月、梅雨が明け、太陽が凶器性をちらつかせだした頃、青梅は水分が抜け、ほんのりと赤色が移った状態になる。

そのころに、大きな円形上のざるにつかりかけの梅干しを干す。天気のいい日を見つくろって3日程度。太陽のもとに干して余分な水分をとばす。

この時は、あまり梅干しの良いにおいはしなくて、かじってみても酸っぱくもなく、かといって甘くもなく、中途半端な感じがしていた。それでも、布団を干すとふかふかになるように、梅干しも柔らかくなっていく様が面白かった。

 

7月中旬、干した梅干しを再度、紫蘇の中にもどす。表面が乾燥しないよう、瓶と蓋の間にラップを挟んでおく。

9月、およそ2カ月。夏の名残りが消え、お米を収穫し、空のグレーがぐっとふかまるころ。新米のお米の上に、濃い赤の梅干しが初登場する。1つ1つが大きく、塩分をつよく感じる。酸味も十分で、梅干しだけを口に入れると思わず片目を閉じずにはいられない。

 

梅干しを入れる壺に、梅干しを漬けた瓶からおいしそうなものを選りすぐって移し入れ、食卓におくのが私の仕事だった。その壺が空になることは絶対になく、古いものから順に食べていく方がよいのはちゃんと分かっていたから、去年の瓶が残っていないかもきちんと確認していた。

 

年に何度か実家に帰るのが当たり前になったある日、欠かさず梅干しが入っていた壺は綺麗に洗われてふせてあった。

 

「あんたがおらんけん、梅干しがへらん」

 

と笑った母の手は、7月の外ぼしされた梅のように柔らかくもふっくらと、そして確実に小さくなっていた。

 

「グランドキャ二オンなんだよねえ。うちの梅干し」

 

お米の上ではなく、焼酎のお湯割りの底に沈む梅干しを父親の横ではしでつっつく。

 

風と太陽と湿度がつくりだした絶景。私達はその過程を見てきたわけではなく、絶景が当たり前となった今をただ堪能している。私が好きな梅ぼしも季節と母の経験値とがゆっくりとつちかってきた。これまでの私はその過程を知るわけではなく、食卓に上がってくるこの完成形しか知らず、ただ、その完成されたおいしさを堪能していただけだ。

                                                                                           

「なあ、こんどさあ、夏にかえってくるけん、梅干しの漬けかたおしえてやあ。」

 

急になんね、と母が振り返る。

 

「いやね。グランドキャニオンも風吹き続けんかったらだめやけんね。」新しい風があるから、変化し続いていけるし、絶景は保ち続けられるのだ。

 

今年の梅は木からとらずによそからかったこと、紫蘇は自分のうちで収穫していないこと、ざるには干せなかったから色があまりよくなかったこと。ふせてあった壺にひょいひょいと、また梅干しを入れながら母の話を聞く。

任せよ。枝の先端の梅はもう私1人でも収穫できる。紫蘇は、ちょっと上手く育てられないかもしれないが、そのあたりは農学部に所属する我が妹ができる。ざるにだって私が干せる。

 

だから、これからは梅干しの壺にいれる役割は、母よあなたがやってほしい。ご飯の上にのせるのもあなただ。もう、お酒の量も気をつけないといけないからね。

塩分は控えめ、梅酢はかけ過ぎたらいけんよ。

 

f:id:tsumehaya:20191108125405j:plain