ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

移りゆくのは我が身なりけり

東京で。

初めてできたお友達は、帰り道にある遅くまで

あいている中華食堂のマスターだった。

なんでも食べたいものいっていいよと、

笑ってくれれるのがうれしかった。

 

ここ最近忙しくて行けてなかった。

ふと今日、その店の前を通った。

休業していた。

 

着物をくれたおばさんが営んでいた銭湯もしまった。

寄席を見に行った帰りに1人たどり着いた浅草の

銭湯。ここも閉店した。

 

私が出会った、東京はどんどんかわっていく

初めて住んだまちの近くの商店街にはどうせ5年以内に撤退するだろう、

タピオカ屋さんが入っていた。

元の場所には確か、時計屋さんか何かがあったような気がする。

 

昔、一緒に熊本を歩いたとき、あの人が言っていた。

東京で、コンビニが変わってても、つぶれてても

なんとも思わないけど、ここでお店がしまってたら

本当にさみしくなるねって。

その時は、そんなもんなんだなって聞き流してたけど、

今ならわかるよ、本当にそうだなって。

 

好景気が続くまちと、5年以内に閉店する店舗の数には

明確な相関が見てとれる。

当然、もう一つ新規開店の相関がないといけないけれど。

 

だから、ここはずっと発展して、生きている町なんだろう。

生きてるって、なくすってことだったんだっけなあなんて、

いつまでたっても使いこなせそうにないまちの風景を眺めた。

 

             

ひさかたの 雨の降る日をただ独り

 

昨日、飲み友達の顔を見に22時ごろ新宿3丁目に繰り出した。

転職先の営業方法に頑張って慣れようとしている飲み友達。もともと

現場で話をまとめてくること、一貫して自分の範囲に物事を収めることに

長けた友人だから、組織体でうごき、誰かの方針に沿うというプロセスが

どうにも性分に合わないらしい。

パワポ作成の手伝いくらいしかできないが、はよ仕事が面白くなるといいね。

 

連れてってくれたのは、友人行きつけのロックバー。

度々彼の会話に登場してくるそのバーに、あれ、私入っていいのかなあと

戸惑った。そういう、自分の内心に近い場所っていくつかあると思う。

不可侵領域というか、自分にとって特別な場所というか。

自分のためだけの場所というか。

 

私は、そういう場所になりそうな店があっても結局おもてなしの

ために使ってしまったりして、完全に自分のための場所になり切れない。

没落する場所というか。そういうわけで結局、人気のない公園とか

川沿いとか海の見える公園とか、そんなところでぼやあっと

アルコール握りしめている。

友人にとって、新宿のそのバーはたぶん自分のためにある数少ない場で。

そういう所に知人の気配が残ってしまっていいのか戸惑ったし、

もう自分のために残すつもりはないのかもしれないなんて、

一抹の不安を感じたのも実はある。

 

適当につくって、とキープボトルのバーボン。焼酎は自分もよくボトルを

入れていたからやり方は分かるが、バーボンはやったことがなく、

割合とか分からない。バーボンを先にいれたらいいのかな。

薄く薄くつくったソーダ割り。銘柄詳しくないけどおいしい。 

 

タブレットと紙が渡される。

指定されたフォルダを開くとアルファベット順に大量の曲が並べられている。

そこから自分が流してほしい曲選び、紙に書いて破って渡す。

最初からかかっていたのは、ビートルズ

そんなに熱心に聞いていたわけではないが、仕事をしている父の職場から

時折聞こえてきていたために、だいたいどれも口ずさめる。

胸に痛いほどの爆音で氷の解ける音も聞こえず。

合間合間に友人の愚痴に耳を傾ける。本人のスキルも上がっているが、

仕事自体のレベル感も上がっているため、評価としては低くなっているのかな、

と思う。何より、お客さんではなく、今は目前の上司に目が行っているのが

大きいのだろう。

まあ、一年生なのだから、スキルが追いつきさえすれば君は大丈夫だ。 

 

本当は、友人がリクエストしていた曲も書き留めておきたかったけど、

さすがに一晩明けるとわからんな。。。

ブルーハーツ ラインを越えて、くらいしか覚えてない。

大半は酔っぱらった友人が口ずさむ曲ばかりなので初めてきくのは

なかったのだけれども。

タブレットの使い方、リストの構成がわかって、ちょっとばかりルールも

わかったので、見よう見まねで私もリクエストしてみる。

 

吉田拓郎

ビートルズが教えてくれた

(お店がビートルズばっかりだったからね。) 

ペニーレーンでバーボンを

(いたのは新宿だけどね。ペニーレーンは原宿だし。

そしたら、マスターがペニーレーンはもう行かないを返してくれた。)

 

竹原ビストル

カウント10

(これは友人へ。んで、私へも。)

確かに誰に頼んで鳴らしてもらったゴングじゃない。例えば季節のように、いつの間にか始まっていた戦いなのかもしれない。 しかも運やら縁やら才能やらといったふわついた、しかし、絶対的に強大な事柄がどこまでも付き纏う、 ちっともフェアじゃない戦いなのかもしれない。 だからと言って、不貞腐れて、もがきもせず、あがきもせず、 例えば季節のように、いつの間にか終わるのだけはまっぴらごめんなんだ。
Read more at: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2782959

 

 そしたら頭脳警察のふざけんじゃねえよが返ってきた。

どっちなんだろうなあ、なんて。

 

その前の週末には、飲み友達のパワポ作成を手伝っていた。

何かと日曜日に用事があるというので、土曜日の夜から日曜にかけて

はっぱをかけ続けての徹夜作業。

団体を引退するという友人の友人の試合にもいきたいとのことで、

どうにか間に合わせたいなあと思っていたのに、今いち私の体力が続かず。

まあ、本人もやり切ってない状態でなんか行きたくないだろうから仕方ないんだけど

結局試合終わりにつく時間にしか送り出せなかったが

でも、ちゃんと会えたらしいからよかった。

 

「所属は違っても同い年で、愚痴とか言い合ってたんだけど、

これから会う回数は少なくなるんだろうなって。悲しくなった。」

 

こういうとき、うかつにものを言うと、知ったような口をきくなって、

怒られるってわかってるんだけど。君のさみしいは本当にさみしそうで、

ごめんよ、私、まだ黙ってそれを受け取るだけってのができなくてだな。

ごめんね。

 

私たちは、何かの共通点があるわけじゃないから、どこに行けば会えるとか、

何かのイベントで鉢合うなんてことはこの先たぶんない。

互いが互いの意思をもって会おうとしなければ会えないし、

どっちらかが拒否してしまったらそこで終わってしまう。

間に入る人もいないし、SNSも知らない。探せば出てきそうだけどね。

けど、君は、言外に語ることの方が多いから、

結局言葉からじゃわからないことが多いし。

 

記念にバーでもらった紙をもって帰ろうかと思ったけど、

ま!そういうこと!なんて、走り書いたそれは手元に置いておくのも違うか、

と、手癖で紙飛行機にしてそのバーに置いていく。

ポイって捨てられると思うけど、カウンターに紙飛行機が置かれてる

光景はいい感じだったからしばらく脳内に残ってる気がする。

 

気づけばボトルはあいて追加でもう一本入れていた。

名前のよこに5と書かれたラベルが貼られる。

なんだかね、その数字がカウントダウンのように見えて、ぐっとさみしくなったよ。

 

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長めの袖は役に立つ~京都弾丸旅行編②~

 

クリスマスの気配が濃厚になってきて、皆せっかちだなあなんて思ってましたが、

なんだ、そんなに遠い話じゃないじゃないか。

えー・・・・・やだ。

どうも、とかい子です。

 

季節が完全に変わってしまう前に、第二弾

 

食べ歩きでおなかがいっぱいになってしまい。

河原町からバスで移動して、清水寺の近くへ。行きたかったのは六波羅密寺。

rokuhara.or.jp

 

空也上人をまつる、鎌倉時代から続くお寺だ。

その一言一言から仏様が生まれたという伝承を基にした像を日本史の教科書

何かで見たことがある人もいるだろう。

市上人という言葉が生まれるほど、街角に立ち続けた人だ。

実は大分の別府ともゆかりのある人物。熱湯噴出で荒地と化した焦熱地獄空也上人の法力によって鎮めたとされる伝説が残っている。

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境内には、銭洗い弁天や、水かけ不動なんかもいるので面白い。

また、生年月日で引けるおみくじもあり、鎌倉時代の武士文化も感じられるお寺。

さほど人も多くなく、道行は古い町屋づくりが残っていて、歩くのにも

ちょうどよいように思う。

 

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お寺の前にあるのは、600年近く続くというこちらの飴屋さん。

 

kosodateame.com

京極夏彦 姑獲鳥の夏や日本昔話をみて育った人ならわかるかもしれない。

毎晩飴を買いに来る女性の後をつけると、墓の前でその姿が消える。

翌朝近づいてみると、赤ん坊の泣き声が聞こえ、慌てて掘り返すと、

飴を手に握りしめた赤ん坊が女性の遺体の横で泣いていた、という話だ。

 

そのお話の中に出てくる飴屋さんがこちら。もともと、東北の方から京都に

移ってきた歴史があり、何度か火事で焼失しているそうで、実際どれくらい続いて

いるのかはお店の人も分からないらしい。

500グラムからしか売られていないので、なかなかお土産にしにくいが、

今は亡き米朝師匠もこのお寺を登場させた落語を作っている。

敬意をひょうして、飴を購入。

 

続いて、二条城付近へ移動。もう、人おおすぎてバス乗れなかったので、タクシー

 

塗香(ずこう)づくりを体験しに行く。

邪気払い、修行の前に身を清めるために用いられるもので、かなり細かい粒子の

お香だ。

植物由来のもので作られる。10種類近くの素材を混ぜて作るもので、配分はある程度

決まっているが、二人とも同じ材料、手順でつくっても香りは違ってくるから

ふしぎだ。

そもそも、お香専門店だけで生計たてられるのかなあ、なんて思いぶしつけながら

聞いてみると、京都は2店舗目で本店は東京なんだとか。

1時間半で材料込みで2000円だが、ちょーっとたかかったかな。

 

その後、神泉園へ。毎年の恵方はここで決められる。上方落語「んまわし」の

最後の早口言葉にここがでてくる。

「先年親泉園の門前の薬店」という一説で、薬店があるのかとわくわくしていたのに

全く見つからなかった。残念。

画像に含まれている可能性があるもの:屋外、自然、水

願い事をかなえてくれる橋

 

画像に含まれている可能性があるもの:空、屋外

 

お茶屋さんと連携しているそうで、屋台船なんかが浮かべてある。

きれいな境内のなかだった。

源の義経の奥さん、静御前が舞を奉納したと伝えられている所でもある。

 

公式HP↓

www.shinsenen.org

 

 

ここをまっすぐ抜けていくと二条城がある。が、時間間に合わなかったよね。。。。

まあ、急ぐたびでもありませんから、そこからまたまっすぐ歩いて

護王神社へ。

天皇家に取り入ろうとした道教にゆかりのあるお寺で、

菅原の道真の産湯をくんだとされる湧水が湧いている神社。

狛犬ならぬ狛猪が出迎えてくれる。

 

写真の説明はありません。

・・・・まあ、暗くてみえないよね。いいんだ、分かってた。

境内にはいろんな猪がいて、明るかったらさぞ楽しかろう、と思う。

 

さて、京都の街並みを眺めつつ、2年ぶり(友人に至っては8年ぶり)の

中学の同級生にあうため、再び河原町へ移動する。

 

tabelog.com

 

寒いしおでんでも、と選んでくれたお店で、思い出話やら近況やら。

彼は、現在子持ちの5つ上の女性と交際しているようで何かと悩みは尽きない。

彼ほど素直な人を私はしらない。

ずっと、文章で生きている人で、これからもそうやって

生きていくのだと思った。真剣になるとは何かを、彼は行動でいつも

示してくれる。

 

さて、夕方~夜編はここまで。

 

後は、真夜中編と早朝編。。。え、長くない?

 

 

長めの袖は役に立つ~京都弾丸旅行編①~

ちゃんと冬入りを認識しているのに、昨日秋服を買ったとかい子です。

スナフキンみたいな麻のコートみたいなやつ。多分ワンピースみたいにして

着るんだろうけど。ジーパンとかと合わせたらかわいいかな。

12月上旬ならまだぎり着ていけないことも、、、いやもうさむいか。

 

さて、中学時代の同級生と二人で京都旅行に行ってきた。

本当はゆっくりしたかったが、相変わらずのスケジュール管理能力のなさ。

冷たい雨が確実に体温を奪っていると認識できるような夜、

池袋から関西行きの夜行バスへ。

東京、関西方面は大体6時間くらいで夜行バスだとちょうどいいくらいの

距離感だと思っている。

 

23:40分発6:40分着

 

京都駅に最もちかいネカフェは列ができるほど混んでいるし、

そこ以外のネカフェはあるくには少し遠いので、京都タワー下の

銭湯にむかう。強気の700円だが、タオルはサービスでついてくる。

www.keihanhotels-resorts.co.jp

 

ここも、すぐに来ないと行列渋滞になる。

観光公害なんて言葉ができて久しいが、本当に腹立つくらいどこも混んでいる。

住居としての快適さを保つということをやはり第一にしなければ

豊かな伝統は守られない。伝統は生活にふかくねづいているからこそ、

保ち続けられるとおもうのだ。

 

さくっとお風呂をすまし、始発の新幹線で来る友人をまつ。

まだまだ合流までには時間がかかるので、鴨川まで散歩。途中、あと数年で

すっかりと姿を変えてしまうであろうエリアに立ち寄る。

 

ja.wikipedia.org

 

かつて関西最大級の被差別部落と呼ばれた「崇仁地区」

江戸の昔から残る歴史の中で形成されてきた、あらゆる社会的弱者の方が集まっていた

エリアだそうだ。

再開発として、京都芸大がこのエリアに移築される。

あくまで居住エリアなので写真は控えるが、用地買収のためのフェンスが

張り巡らされ、韓国由来だということが明確に分かる祠や、近隣のレザー店の

多さからその歴史をなんとなく感じ取る。

現在も1,500人ほどが住んでいるはずだが何ら気配を感じない。

生まれてくる場所とタイミングが違えばここにいたのは私だと思うので、

そういう思いで世界を見ていたい。この歴史は違う私の歴史だったと思うと

今の仕事だって、もっと真剣にやるべきなんだけども。。。てへ。

 

そこから抜けて鴨川を散策。途中、釣りをしている青年の横でじっと

魚影を追ってみたりする。

 

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川沿いをひたすらあるき、

ふらふらとあるく。京都は犬もあるけば棒にあたるわけで、菅原の道真の乳母、文子をまつった「文子神社」に行きついた。いわゆる天神信仰の始まりの神社だ。

 

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縁結びの神様でもあるわけで、京都の保存樹木に当たる

相生の木(一つの根から二つの木か伸びているもの)が境内にある。

 

8時

 

友人と合流。相変わらず色白い。かわいい。笑顔がたまらん。

ごった返す京都駅のバス乗り場にへきえきしながら、目的地付近まで行くバスを

探す。京都らしい朝ごはんをいただきたい。

 

町屋カフェ ろじうさぎさん

おちゃやが立ち並ぶ通りに伝統的な京町屋をそのまま利用したカフェだ。

店内には舞妓さんの名前入りのうちわや、写真が飾ってあり、

地元の人がだんらんをしている。とはいえ、やはり観光客ばっかなので

朝ごはんも予約をお勧めする。

 

ameblo.jp

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この裏にも日本最古の恵比寿神社があったりする。名刺塚見たいな

変わりだねがある。かす汁が大変においしかったです。

 

ここに来る途中も、100年目だという飴屋さんにたちよった。

建物はそのまま、手作りで飴を作り続けているというが2代目のおかみさんの

話をきいた。

 

「先代がね、あんたまではお願いいしていいかなといわはるんでね。

まだおばあちゃんがつくってるんよ。」

 

御年88とは思えない、若々しい肌のおばあちゃんの話に耳を傾けながら、

いとおしい不ぞろいさの飴を購入する。

一度に7キロほどの飴を作るそうで、一緒に売っているおかき類は

仕入れをしているそうだ。家の中にはまだ井戸があって、地下鉄開通と同時に

かれてしまったらしい。

 

祇園の方から嫁いできてね。お正月の時は舞妓さんと同じように髪を結って

高枕でねてたんよ。なかなか寝付けなくて、耳がいつもいたくなっていた。」

 

と確かに存在していた美しい世界の話をしてくれた。

便利で暮らしやすい現世しかしか知らない私は、不便でもきっと美しかった世界は

もはや異世界の話のように聞こえてしまう。

昔の人も、今の世界はきっと異世界だろうけれども。

 

閑静な通りから離れて、再びかもがわぞいへ。南座の近くから河原町へ抜ける。

コインロッカーが見つからなかったが、カラオケに預けられるサービスをみつけ

そちらに二人して荷物を手放す。

 

漬物を買いたいという友人を連れて、錦市場へ向かう。

錦市場は5回くらいは来たので、さほど特筆することはないが、前はもっと

生活があったような気がしたが。こんなに、売り声をはるような商店街では

なかったような気がするな。

すぐき付けに、千枚漬け、ゆずだいこんやゴボウ、はんなり付けなどを買い込み

六波羅蜜寺へと向かう。

 

午前中はここまで。

 

 

 

 

第三回寄席を開催した話

11月も終わろうという中、こんなに薄着でいいのでしょうか。

どうも、とかい子です。

 

さて、11月16日に第三回の寄席を開催しました。

開催といっても、出てくれる人との調整とか、場所探しみたいな、

一番大変なところはもう一人の人がやってくれたりするので、

私は当日の裏方とブレストのお相手くらいなものです。

 

大きな変更点としては、これまでワンコインでやってましたが、

今回から木戸銭千円に値上げしたことです。

会場代+演者のお車代くらいは賄うことを目的にしました。

どうしても身内感が強いライブになってしまうことは否定できませんが、

それでも、自分のやりたいを表現できる場所があって、

見てくれる人がいるのは大変にありがたいことです。

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今回は、秋っぽくと思いまして深い赤の着物を選びました。(右側の方です)

ちょっと大きいかなあと思わないではないですが、この秋お気に入りの一着と

なりそうです。

 

人数の多い、少ないに関わらず、人前で表現をするということはどうしてこう、

心地よいのでしょう。

落語を初めてから10年余り、人数の多い所では80名近い人の前で話すことも

ありました。30人、40人くらいではいっかな緊張はしなくなりましたが、

それはあまり良いことではないと思っています。

適度な緊張感こそがミスの少ないパフォーマンスの基本です。

緊張しなくなると、ミスに対しても甘くなってしまうので、いつまでも

高座に上がる最初の一歩はきちんと緊張していたいと思っています。

 

久々にかけたのは「星野屋」という上方のお話です。

桂文珍師匠でネタは覚えています。登場人物は4人、

若い愛人のおはな、おはなのお母さん、おはなを囲う星野屋のだんな、

だんなの部下の藤助です。

性別と年代がばらばらで、キャラクターで見せていくお話でもあります。

話そのものに大きなひねりはありませんが、どんでん返しが多く、

テンポの良い、はめものもある上方らしい話だと思っています。

 

ストーリーとしては、おはなを本妻として迎えようと考える旦那が、

おはなが本当に伴侶にふさわしい相手かどうかを確かめるため、

ちょっとした算段をするというお話です。

 

特に、おはなのおかあさんが ザ大阪のおばちゃん。

最初の登場の所でしっかり出オチさせるのがポイントですね。

分かりやすいので、落語を見たことがない人でも「芝居」を見るように

楽しめるとは思っています。

 

とはいえ。

前にも書いた気がしますが、落語は「話術」だと思っているとかい子。

キャラクターで立たせるのはやはり違うなあとも思っているわけです。

あくまでも、芝居になってはいけない、語りであるべきで、

お客さんのイメージを引き出すためのもの。あまりにも

「私」がメインになってしまってはいけないよなあといつも思います。

あとはね、上下まちがえすぎだよね・・・・。

空間ひずんでた。後目線も下がりすぎだよね。

 

落語の上達具合を図るポイントの一つが、視線が定まっているかどうかだと

おもうので、この部分に反省が出るのはよろしくないですね。

 

そうはいってもとても楽しゅうございました。

 

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来てくださった皆さん、ありがとう。こんなにたくさんの方に出てもらえたのも

ありがたい限りでした。

 

 

 

 

ライブの感想※当日編

注意 こころに響きまくって大泣きしたライブの帰って、飲んで寝た次の日の朝に

書きあがっていた文章です。

 

Morohaというアーティストのライブに行ってきた
結果として歯を食いしばりすぎて唇きれてるし、握りしめすぎたせいで爪が刺さって手のこうがいたい
ジャンルを言えるほど音楽に詳しいわけではないから、ジャンルは知らない。
二人組でアコギとラップで構成されている。
自分たちの人生をえぐくえぐく表現する。リズムがあるわけではないから、歌というよりは、詩って感じ。

人によっては暑苦してくて苦手、みたいな人もいるかもしれない。

「誰かに教えてもらうのではなくて、ある日偶然に見つけてほしい音楽」

という紹介がとてもしっくりきているから、気になった人だけ見にいってほしい。
先にいっておくと、私はすべてのライブと称されるものでは大概泣いている。感情のキャパというのはある程度決まっていて、目の前のものを最大限取り込むには余白が必要で、だからなのかなんなのか、目の前の表現者に集中すると、大体なく。

映画も、路上ライブでも落語でも、大体泣いている。

だから、今回のライブもなくんだろうなあと思っていたし、それについては別にいいのだ。

だけど、こんなに直前まで行きたくないなあと思ったライブも久しぶりだった。
生で聞いてしまったら最後、いろんなものにがさっと決着つけたくなると思っていたからだ。あいまいなままにさせておいた現実のあれこれ、進まない理由にしていたもの、清算できなかった過去、なくすくらいなら引きずっておこうと思った関係性、見て見ぬふりをしている本当にやりたいこと。

そういったすべてをざくざくと切り開かれることはわかっていて、やっぱり開かれて、もうやだなあと思いながら、ステージをじっと見ていた。

「途中で君のこと投げ出すような根性なしの女ではなくて、強くて賢い女性をみつけて」

書いてる途中ですら泣きそうになるわ。せっかくぎりぎりのところの手を取ったのに、引き上げる力が足りなくて手を放してしまって、同じような言葉を何度心で祈るように唱えたか。女も男も関係なく、幾人かに思った願いは、ここでこうして音になった。

いうて、そんな大げさな人生は歩んできていない。特筆するようなつらいことがあったわけでもない。共有することさえはばかられるような、想像に及ばないつらい何かがあったわけではない。だから、不幸ぶるのは許さない。せめて笑え、泣くなら一人でなけ。

そう思って、ライブにはほとんど一人で行ったし、だいたいえぐえぐ泣いて、そのあとにこにこしていいものみたなあ、生きてるなあと思って帰る。

今回は、どうしてもにこにこできなかったから、人気のなさそうなところをてくてく歩いて、海でも見えないだろうかと感傷的になりながら、一人岩に腰かけて缶チューハイをあおっていた。どのみちこの状態で電車乗れないし。きっとまだ混んでるだろうし。

誰にも見つからないように、こそこそしてたのに、うっかり私を探そうとしてくれた誘いに乗っかってしまって、また自分の弱さに落ち込む。
いや、みつからんだろ、駅で待ち合わせだわ。と思って、少しだけ飲むスピードを上げて合流に向けてコンディション作ってたら、後ろからガサガサと近づいてきた。

「ただでさえ、人気のないところなんだから後ろから来るなよ、こえーな!」

とっさに笑い顔を作る。どうせなんもかんも見透かしてるだろうけど、とりあえず笑う。
私が泣いたら、人は私に言いたい放題言えなくなるから、私は泣かない。
なんでもかんでも、傷つける言葉でも重たい話でもとにかく何でも言える存在でありたいから、私は人の前では泣かない。

たまに、例外的に破ることはあるけど、できるだけ泣かない。

くっそ、こいつ絶対泣かせにきてんな。

何とか何とかごまかそうとするが、いかんせん酔ってないときのこいつは本当に他人のことを見ているし、何よりこいつ自身がずっとリスクをとって動いてきた事実を知っているからまともに言い返せない。
そもそも、私に放ってるつもりの言葉の3分の1くらいは自分にも刺さってるくせに。

「他人の人生しょっていく人生は、さぞお辛いようですね。」

るっさいな。

「そうやって、笑ってごまかして、結果的にうそつきなんじゃねえの」
わかってるってーの

「たまにはなけよー」
くっそ、思ってもないくせに。こうやれば、こいつは泣くなーをわかっててやってるだけのくせに。優しくなんかしなくていいんだ、頼むから、寄り添ったりしないでくれ。泣きたいときに人に頼ることに慣れたくはないんだ。

慣れてしまったら最後、そうじゃないときに立ち直れないくらい落ち込んでしまうから。

かろうじて自分に許してきたのは、そういうメンタルの時に人に電話をかけること。10分程度、それも久々に話すな、な相手に近況報告に混ぜてちょっと吐き出して終わりにしてきた。最近、ちょっとそれができてなくて、親しい友人に1時間くらい聞いてもらったりしてたけど。

泣きたいときほど、爪を立てて、刃物を自分に突きつけろ。

いたいのいたいの、どうか飛んでいくな。 

どこにもいくな、ずっとここにいろ、時間に解決なんかされんな。

梅干し※この話は半分フィクションです

私の実家は、いわゆる兼業農家だ。そのため、米をかうという習慣がない。

高校と卒業と同時に実家を出て以来、三か月に一度程度実家に電話を入れる。

 

「あ、お母さん?米なくなったけん、おくってー。」

 

親の愛というのはありがたいもので米だけでいいと言うのに、段ボールの隙間が余ってもったいないからとあれやこれやと詰めて送ってくれる。

 

「ちっこい段ボールに入れてくれたらいいけん、なんもいらんけんね。」

 

と、話してもすきなメーカーのカレールーやら、トマト缶、ご当地の焼きそば、あまりお菓子を買うことのない私が好んで食べていたクッキー、もらいものでおいしかったからという紅茶などが器用に詰められて送ってくる。

その中で欠かさず送られてくるのが「梅干し」だ。

 

私は、母の漬けた梅干し以外は食べられない。

 

塩と梅、それ意外は何も使わないシンプルなレシピ。それが私の口に入るまでにはおよそ半年かかる。

6月、毛虫対策を十分にして梅の木によじ登る。日のあたる部分の枝の方が多く実っているので、子どもが枝の根部分をたわませて大人がその先端を回収していく。1、2時間程度で2~3キロ程度の梅が収穫できる。

 

梅雨入り前、収穫した梅をよく洗い水にさらす。本当はうめのお尻のへた部分を取ったほうがよいのだが、口当たりの問題なのでさほど気にしない。

収穫したばかりの梅からさっぱりとしたにおいがして、私は梅をさらした水には味が移るのだろうかとちょっぴり舐めてはしかめっ面をしていたと母は笑って話してくれた。

梅2列分程度を瓶底に敷き詰めたら、それらが綺麗に見えなくなる程度にお塩をふる。その層を交互に繰り返す。

重石をしっかり載せ、2~3日すると梅酢が上がってくる。

これで下処理は終わり。同じように塩を振ってあくを絞ったあか紫蘇とともに漬けて、じっと梅雨が明けるのを待つ。

 

私はこの梅酢もとても好きだった。梅の水分とほぼ塩で酸っぱいと言うよりは渋い、という感じがする。

「塩分高いけん、たべすぎんとよ!」と母に言われるものの、冷ややっこや、そうめん、きゅうりの朝漬けにかけては、その風味を楽しんだ。

 

7月、梅雨が明け、太陽が凶器性をちらつかせだした頃、青梅は水分が抜け、ほんのりと赤色が移った状態になる。

そのころに、大きな円形上のざるにつかりかけの梅干しを干す。天気のいい日を見つくろって3日程度。太陽のもとに干して余分な水分をとばす。

この時は、あまり梅干しの良いにおいはしなくて、かじってみても酸っぱくもなく、かといって甘くもなく、中途半端な感じがしていた。それでも、布団を干すとふかふかになるように、梅干しも柔らかくなっていく様が面白かった。

 

7月中旬、干した梅干しを再度、紫蘇の中にもどす。表面が乾燥しないよう、瓶と蓋の間にラップを挟んでおく。

9月、およそ2カ月。夏の名残りが消え、お米を収穫し、空のグレーがぐっとふかまるころ。新米のお米の上に、濃い赤の梅干しが初登場する。1つ1つが大きく、塩分をつよく感じる。酸味も十分で、梅干しだけを口に入れると思わず片目を閉じずにはいられない。

 

梅干しを入れる壺に、梅干しを漬けた瓶からおいしそうなものを選りすぐって移し入れ、食卓におくのが私の仕事だった。その壺が空になることは絶対になく、古いものから順に食べていく方がよいのはちゃんと分かっていたから、去年の瓶が残っていないかもきちんと確認していた。

 

年に何度か実家に帰るのが当たり前になったある日、欠かさず梅干しが入っていた壺は綺麗に洗われてふせてあった。

 

「あんたがおらんけん、梅干しがへらん」

 

と笑った母の手は、7月の外ぼしされた梅のように柔らかくもふっくらと、そして確実に小さくなっていた。

 

「グランドキャ二オンなんだよねえ。うちの梅干し」

 

お米の上ではなく、焼酎のお湯割りの底に沈む梅干しを父親の横ではしでつっつく。

 

風と太陽と湿度がつくりだした絶景。私達はその過程を見てきたわけではなく、絶景が当たり前となった今をただ堪能している。私が好きな梅ぼしも季節と母の経験値とがゆっくりとつちかってきた。これまでの私はその過程を知るわけではなく、食卓に上がってくるこの完成形しか知らず、ただ、その完成されたおいしさを堪能していただけだ。

                                                                                           

「なあ、こんどさあ、夏にかえってくるけん、梅干しの漬けかたおしえてやあ。」

 

急になんね、と母が振り返る。

 

「いやね。グランドキャニオンも風吹き続けんかったらだめやけんね。」新しい風があるから、変化し続いていけるし、絶景は保ち続けられるのだ。

 

今年の梅は木からとらずによそからかったこと、紫蘇は自分のうちで収穫していないこと、ざるには干せなかったから色があまりよくなかったこと。ふせてあった壺にひょいひょいと、また梅干しを入れながら母の話を聞く。

任せよ。枝の先端の梅はもう私1人でも収穫できる。紫蘇は、ちょっと上手く育てられないかもしれないが、そのあたりは農学部に所属する我が妹ができる。ざるにだって私が干せる。

 

だから、これからは梅干しの壺にいれる役割は、母よあなたがやってほしい。ご飯の上にのせるのもあなただ。もう、お酒の量も気をつけないといけないからね。

塩分は控えめ、梅酢はかけ過ぎたらいけんよ。

 

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