ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

住めば都~陣定(じんのさだめ)編~

 

梅雨時期にきて日常的に頭が痛いこの頃です。

かさばる羽毛布団を引きずって、コインランドリーに向かうときに

髪にまとわりつく湿度で季節の変化を感じております。

 

今年は大きな災害のない梅雨であってほしいです。

さて、二人暮らしも第三四半期に入り、特段考えなくても

体が動く程度には、ルーティンがきまりつつあり、

そして、朝起きれなくなりつつあります。眠いんだって。

 

想い人さんも、お仕事も慣れてきて、

サッカーの方も忙しくなってきて、なかなか休日もすれ違うことが多く、

まあ、いい年なので、そんなにあーだこーだいうことはないんですが。

それぞれでも楽しいし、二人でも楽しい、が大事だと思うので、

我慢して、というと語弊がありますが無理して一緒にいるよりは、

各々楽しんで、その楽しかったんだという感情を共有しあう方が

健全だな、と思っています。

私自身、一人でずっと遊んでいても苦痛ではないし。

最近できた楽しみは、都内のお墓巡りだし。俄然一人の方がいいやつ。

 

とはいえ。

一週間ほど相手が出張に出かけてかえって来たときは、

分かりづらくテンションをあげていましたけども。

お疲れ様会しなければ、とか、外ご飯でもいいなーとか。

デザートとか作ろうかなとか、

ちょっと間に合わなかったけど、本人の写真をデザインに組み込んで

笑ってもらおう、とか、お買い物がてらお散歩にいきたいな、

とかね。

 

まあ、こういうのは往々にして一方通行な思いだったりします。

 

いや、別にいいんですけどね。

 

お互いが、そう思えればそれに越したことはないんですけど、

どうしても、片方しかおもってなくて、それに気づけなくて、

結果どちらも落ち込む、というのは全国あちこちで日々起こっていること

だと思います。

 

まあ、気づいてほしければ主張すればいいんでしょうけど、

望んでるのは、そういうどちらかに合わせたあり方じゃなくて、

どちらともなくそう思いあえる時間を過ごしたいわけで。

自分の意志や意図を尊重してほしいわけじゃないんですよ、という。

 

そんな無茶な。いや、本当に。自分で書いてて思いますもん。

 

そもそも、誰かに何かを要望するということが、苦手すぎな私ですから。

余計にそういう自然発生的なものにあこがれているんだと

思っています。

 

そして、こういう言葉にすることを頑張らなければならなときに、

素面でかたれぬあたりみじめ。

 

人間だから、感情がうまくコントロールできないことなんてままあるし。

改善要望のない、感想を伝えるだけの場って難しいですよね。

被害者が二人できてしまう。 

 

謝るという行為は、自分を加害者だと位置づける行為だし、相手を

被害者にしてしまう行為だ。

本人は別に、わかってほしいだけであって、怒っているわけでは

ないとしても。

 

まあ。。。。。どうとでもなりますかね。

もう少し、一人遊びが得意にならねばなとおもいました。

 

 

 

 

 

 

 

仕事をやすむということ

社会人も気づけば4年目。

小学校を卒業して、大体は3年でめぐるので、

そういう意味では同じ環境に居続けているというのでは小学校を除けば

最長だ。

新しい環境を好みがちなとかい子。小走りシーズン5がスタートしています。 

 

社会人2年目あたりから、会社を休むというハードルが

かなり下がってしまいまして、ちょっと調子わるいな、でも

そんなに忙しくなければさらっと休んでいます。

まあ、そんなことできるの、5月・6月くらいまでだけども。

 

そんなわけで、朝起きて、今日朝から行くの無理っぽ。。。と思い、

火曜日の午前中休んだ。

そしたら、一週間、めっちゃ楽。

気づいたらもう木曜日だし、明日金曜日。

体力にはまだ余裕が残っている。

土日に遊ぶ体力が残っている。毎日かえってきて家事もできる。

なんならちょっと夜筋トレもした。

え、午前中休んだだけなのに、こんな日々充実するの?

すげえ。

 

許されるなら、週一回早退か遅刻したい。わが社、3回以上遅刻すると、

欠勤扱いだけど。

そこから考えると、小学生とか中学生って大変だよね。

有給ってないだもんね。

授業、遠隔で受けれるとか、チャットで参加するとかもいいよ、って

してほしいよね。

一週間、朝8時半から、17時半まで、毎日きっちり授業して、

そのあと20時まで部活して、家帰って宿題して。

 

これって、

朝8時半に出勤して、17時半まで仕事して、

20時まで残業して、

帰宅して持ち帰り仕事してるってことと同じよね。

 

高校なんて、朝5時半におきて、6時10分のバスに乗って

7時半に学校ついて、17時半まで授業あって、

21時に家に帰ってた。

 

今とあんまり変わらんなあ。。。。。

 

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ちょとやってみたかっただけ

梅雨じきの頭痛に充てて

 

どうしようもないものがすきだった。

これ以上割れようのないガラス、かれきった竹、

使用用途の狭い道具。

1つしか意味を持たないもの、

あるいは、持っていた意味を手放したものが好きだった。 

 

ありとあらゆる、

どうでもいいものであふれて、見えない肩書を互いに奪い合い

時には譲り合う、このいくつもいくつもスタンスのある、

あの空間が嫌いだった。

好んで着ることのないスカートは

望むと望まざるとに関わらず、個性と無個性を如実にわけ、

私は雑多な空間の背景に甘んじる。

 

それにしかなれないもの、あっという間に意味をなくせてしまう、

そんなものばかり好んだあのころの私の唯一の逃げ場は、

古本のにおいのする図書館でも、だれもいない空き教室でも

放送部だけに許された部室でもなく。

片側にしかなかった、制服のスカートだったかもしれないと

時折思うことがある。

 

握りこんだり、覚えたてのハンドサインを示したり、

伸びっぱなしの爪は度々食い込んでいたし、

さかむけは治ったことがなかった。 

 

自分の中にいくつか時計があると思っていて、

一つの時計は確実にあのスカートのポケットの中でとまった。

高二の定期テストのあと。

ある種の自分の努力というものにつぎ込む時間がつきた、と

テストの点数の全科目の平均75以上をラインにしていた私が、

もう、学年平均わらなければいいやと思ったあの時

努力につぎこむ時間がつきた。

 

それ以来、目標に向かって頑張る、という羅列にため息を

覚えずにいられない。

ぎりぎりと、動かない時計をごまかしごまかし

電池を変えずに使うように、足踏みしながら同じ時間を差し続ける針のように、センターも二次試験もなにもかも、「努力」できないまま過ぎた。

 

それでも、元来の運の良さで、国立大学にはひっかかたし、

大学時代には、夢中にもなれた。

あのときつきた時計は、社会人になった今も動いていない。

 

努力とかそんなじゃなくて、もっとしたいもっとやってみたい、

あれしたい、これしたい、

もっとできるようになりたい

という、そういう時計は、動かし方が割と特殊で、

 流れるスピードは即座に代わる。

 

ともすれば、すべての情報から逃げ出して、

インプットもアウトプットも投げ捨ててしましたくなる。

 

ときの流れはとめることはできないが、

流れる速さだけは変えられる。

 

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冷えた炭酸の染み渡るはやさで

 

コートをクリーニングに出して、

もこもこの毛糸たちを圧縮して、パジャマとしてきていたフリースを

えいやっと片づけたら、少しだけほこりを被った春が出てきた気がします。

 

積もったほこりを払う風は春を告げる嵐が運んできたものですかね。

 

どうも、とかい子です。

忘れないように書きなぐったので、悪しからず。

 

せっかく東京にきてるのに、文化活動が停滞しがちなとかい子ですが、

先日初めて野音デビューしてきた。

 

hibiya-kokaido.com

 

大音楽堂と小音楽堂の二つがあって、どちらも明治、大正のころに作られ、

現在の建物は3代目に当たる。

 

とかい子は、危機管理、という言葉が抜け落ちてるし

収まらぬ満員電車、進まぬ改善、不明確な目標設定にも少々うんざりしていたし、

そこまで難しいことも正直考えてなかったけど、

初めての野音にワクワクしながら出かけて行った。

 

雨の野外、というのも初めてだったから、諸々を大きめのビニール袋に詰込み

着替えも下着まで全部もって、向かっていく。

 

te-to.net

 

聞き始めて間もない、バンドに初日に出かけ

2日目はここ最近はまっているバンドをみにでかけた。

 

oau-tc.com

 

どちらも、心臓に近い所に振動が届いて、たまらなかった。

知っているとか知らないとか、そんなのどうでもよくて、

自然と体が跳ねる。

 

一日目のバンドは立って飛び跳ねてみていた。

二日目のバンドは、座ったり立ったりしながら、終始足をパタパタさせながらみた。

  

二日間を通して思うことは、音楽から身体性を奪ってはならないということだった。

衝動的に体が跳ねる、そのことを。否定して押し込めてはならないんだと、

理屈抜きにおもった。

 

普段から仕事で皆様、とか、市民の皆さんとか、

曖昧で不確かで、そのみんなの中に、私はいるのかしら、なんて

正体不明の「みんな」という言葉が日に日にいやになっている。

そのみんなって、どんな顔して何してるやつのことなの、って

いつもよくわからないやつに気を遣うことを強制されているように感じた。

 

でも、ライブのステージから届けられる、「みんな」には

私もいるんだって確かに感じられた。にわかも、古参も、老いも若きも。

ここにいる皆ってことなんだなと確かに思った。

 

同時に私と音楽、私とライブという、一対一の感覚も感じる。

熱量に、代替行為は存在しない。

確信を持てる場は、オンラインでは限界がある。

今ここにある、ということが、こんなにも価値のあるものなんだと、

はっきりと思い知らされたように思う。

 

音源だけじゃ、体の中の空洞は振動しない。

どんなに音量を上げて音楽を聴いても、揺れるのは鼓膜の奥の小さな骨だけなんだと

 そう思ったとき、ふと新宿3丁目の薄暗いロックバーが

なぜ爆音でなければならないのか少し分かったような気がする。

 

あの空間にいるときも確かに、体の中が振動しているのが分かる。

あの空間はだから、皆、であり、私だ。

 

どちらのライブも最高に楽しかった。

 

何か事件が起こるたび、何か人の切実さに触れるたび、

私は当事者じゃないからなあ、という罪悪感だったりする。

 

当事者にならねば、と思う。

違う世界のどこかじゃなくて、

誰もが使う皆の中に自分を入れたいんだと思う。

 

音楽が連れてきてくれる当事者意識を、私はずっと追いかけているのかもしれない。

 

 

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住めば都~春はあけぼの編~

え、 冬終わった?

季節を感じることなく、日々の変化に鈍化になりつつあるトカイ子です。

根拠なき施策、印象だけの数字に空間が埋め尽くされたこの空気間でも

花は咲くし、空は晴れます。

 

絶賛年度末、息するために食事をとる日々を過ごしてます。

それでも、サクラは見たいので想い人さんを誘って中野駅から

哲学堂公園まで歩きました。

 

www.tetsugakudo.jp

 

この公園、哲学の世界観を公園として表現したという、世界的にも珍しい公園で、

公園の中を貫くように川が流れていました。

72か所の、哲学に関連するスポットがあるわけですが、

いかんせん基礎教養がなさ過ぎて、説明看板を読んでも、ほう、で

終わってしまいます。

ただ、あー、いろいろ勉強したいな、という気分にはなるのでいいかもしれません。

かつて図書館として使われてた建物は、「絶対城」という名称で、

今も図書館として時期限定で使うことができるそうで。

 

東洋大学創始者の方がつくった公園なんだそうで、

広いし色々と又ゆっくり見たいものです。

 

帰りは、細路地をふらふらと抜けて、コカ・コーラのロゴをパクったような

コインランドリーとか、廃屋に咲く、主なきサクラの木に想いを馳せたり、

謎のフリースペースを見つけたり、時間をぴたりと止めた駄菓子屋を見たりしながら、

駅そばのたこ焼きを食べて、仕事に向かいました。

 

想い人さんは、熱いものが食べられないので、冷やしとくねーというと、

「そうやって猫舌を差別して!」とかえってきたので、

「差別じゃない、配慮!」と言い返しておきました。

恩着せがましくない言い方は気を付けようと思います。

 

住所を共にして半年がたち、関係を変えてから1年がたちました。

変わらずに好きですし、一緒にいられるように変わり続けていかねばなと、

思います。

とりあえずは家計の立て直しから。

もろもろ4月に頑張る。

 

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answer

 

お久しぶりです。

元気にしていましたか。

 

あなたが、「踏み込めるはずがない」と明確に認識さえしていれば

しばらくは遊んでくれるかなあ、と思っていた人の隣に

今私は立っています。

 

誕生日を覚えておくということが苦手なあなたには

カレンダーに何も書かなくてもその日を忘れない人が幾人かいたと思います。

 

そのうちの一人が想い人さんなわけですが、

その時は、あなたには想い人さんの呼称もなくて

覚えていても、公然と祝えるような立場でもないしなあと思って

3か月ほどかけて、少し書いては見直して

少し書いてはかき消して

届くとも知れない、■■を書き捨てていましたね。

 

今年は、そうでもないようなので、

安心してください。

 

互いの関係性について書きたいことが多すぎて、

それはまた別の日に託さざるをえないほどです。

明確に思い出だ、と言えるものが増えて、

しかも忘れないように記録に残したりして。

 

だからこそ、聞けなかったことも呑み込んだ言葉があることもまた事実ですが。

 

受け取ることに慣れていなかったあなたですが、

残念ながら今も変わらずで、あれやこれやと想い人が

渡してくれる一つひとつを受け取ることに躊躇して

なんだかんだ受け取れずに、

ぼろぼろと泣くことが増えました。

 

自問自答はいつの間にか自己嫌悪と相まって

成長できていない自分へのいらだちと

それでも日々が充実してしまっている罪悪感とで

いっぱいいっぱいになっているのだと

うまく伝えられず、やはりぼろぼろと泣いてばかりです。

 

自分語りになりすぎましたね。

 

人生は大げさなものだ、という一言に救われたあなたは、

「あなたの人生に圧倒的に足りてないのは安心感だから」という一言を

ポン、と投げられてわたわたとしてしまっています。

 

当たり前に日々を送るだけで誰かのためになれること

生活を共にすることの尊さ、

何気ない毎日、違う時間軸を同時に感じれること、

想い人さんに手を伸ばせること。

 

そのすべてが、明後日には取り上げられてしまうんじゃないかって、

その時一番大切なものが一番怖くて、離れてしまいたくなるっていう

この感覚は

もう仕方ないものですね。

 

想い人さんのことをあなたは大好きで、大切で仕方なくなります。

あなたが書き捨てたあの文章が、

割と決め手だったそうです。

それについては私からもありがとう。

 

想い人さんには言わずもがなねですが、

想い人さんの人生に登場させてくれてありがとう。

本当にありがとう。

 

少しくらいは具体的なことを書かねば。

 

あなたは想い人さんからたくさんのことを渡されます。

 

あなたが好きなものを覚えてくれようとしてくれます。

何気なく革製品を手に取る私に、「どんなのがすき?」と一言くれて、

あなたの好きなものを覚えようとしてくれた、

その一言を何度も繰り返し思い出すことになります。

 

やってみたいんだよね、行ってみたいんだよねと話すたびに

やってきたら、行って来たら、と返されて、

ちょっと言葉に詰まる自分を反省するようになります。

想い人さんの過ごしてきた日々に恥じないようにしたいですね。

 

「あなたが俺の話を聞いてくれなかったら誰が俺の話きいてくれるの」

って、たばこをくわえながら困った顔で言われたとき、

不謹慎ですが、あなたはうれしくなります。

あ、ちゃんと私でいいんだなって思えて、嬉しくてたまらなくなるのです。

いつも茶化してごめんなさいと、そのうち想い人さんに謝りましょう。

  

想い人さんが欲しいものが少しずつ分かってきたような気がします。

同じくらい、やっぱりわからないんだなと確信できたことも

たくさんあります。

 

変わり続けること、変わらずにいることを忘れないことが

あなたが絶対に続けなければならないことです。

 

できるだけ伝えよう、伝えようとしてくれている言葉や

話をききながら、

安易に想い人が自分を傷つけてこなくなったことがかえって不安になり。

 泣くならここにしなさい、どっかいってもいいし迷ってもいいから

かえって来なさい、と言い含めるように伝えてくれる一つひとつに

やっぱり泣いてばかりいます。

 

かなしいのではなくてそれは、どちらかというと

安堵の涙です。

 

毎日、毎日

そばに居続けるためにどうしたら、と考えます

毎日、毎日

負担をかけていないかと不安です。

 

でも、「勝手にそばにいる」と決めたので。

あなた自身のためにそばにいて、

あなた自身のために想い続けていればいいと思います。

 

少しずつ、でも確実に

行動し続けていること自体まで間違ってはいないと思うのです。

 

あなたが想う人は、優しくて、まっすぐで、痛がりで

たまにめんどくさがりで、隠すのが上手で、

そのくせ見つけて欲しがりな一面もあって

 

傷つきやすいから傷つかないようにしてくれる人で、

周りの人が苦手とする部分ばかり器用で、

でも、他の人が器用にできる部分が不器用で

 互いが互いの居場所になれているか、そこは全然自自信がないけど

 

声を荒げることに躊躇しない、目に見えないものを大切にする、

そんな人です。

 

だから、もう少し、

かなーり薄眼を開けてとおーーーーくから見ることで

見逃してくれている、目に見える部分も気にかけていきましょう。

服とか靴とか髪とか。

目に見えるものは目に見えないもので形成されているので。

 

自分のために何かをするのが苦手なあなたではありますが、

誰かのためなら割と何でもやろうとするのも

あなただと思います。

 

 

今回、本人に言いたいことは直接言える距離だから。

全て自分語りでした。許してください。

 

いやな顔をしているでしょうか。

そもそも読んでくれていないかもしれません。

それでもいいのです。 

 

28の私と、あの時ただ黙っていた27の私から

誕生日おめでとう。

 

 

 

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年末に寄せて

とかいこ、田舎に戻ってきました。 

こんな時世だから何にも褒められたものではないけども。

 

しんしんと雪が降り積もり、頭が痛くなるような寒さの中、

キーボードをたたいております。

 

今年は。

去年と大きく、進化できなかった年でした。

私生活は大きく変わりましたが、それを守り続けるためには

私自身の大きな変革が必要だったんですが、

結局それもできず、また日々が流れるに任せてしまいました。  

 

とりあえず、リストアップだけでも

 

・保険を見直す

・貯金の明確な目標を立てる

社会保障関係の仕組みをちゃんと理解する(びっみょーにわかってない部分がある)

・転職エージェントの面接を受ける

・仕事のルーティンを決める(一週間以上続かない)

・相続などの家じまいを調べておく。(親の介護ふくめ、とれる手段を考えておく)

 

20代が終わり、社会的責任とやらがじわじわと両肩に

めり込んでくるようになりました。

これまで、結婚とか家族とか子どもとかずっと遠くにあって、

私は一人でしずかーに終わっていけたらいいなあと思っていたし、

なんなら、いつかはいなか子とどっかで小さな宿でもできたらなって

思っていたけど。

 

子どもうむなら、いつまでにいくらだな、とか、

このくらいに子ども生まれたら、20歳の時、私はいくつだなあ、とか

はたと考えて何考えてんだ、私、って一人わたわたしたことは、

正直あった。平和ボケだと後ろから蹴り飛ばしていただいて構わない。

 

でも、その前に決めないといけないことが山盛りで

ひるんでしまっていて、行動もできてないからだと思うんだけど。

 

いまだに、高校魅力化プロジェクトの応募見てうーんってなってるし、

地元のあれやこれやを見ては、これしてみたい、あれしてみたいと

思いついては、思いつくだけ。

 

もう少し、想い人さんと毎日ゆっくり過ごしてみたいなあと

思ったりもするけど、それをしてしまうと違う気もする。

 

想いだけが積もって、足元を勝手に高くしてしまった、

そんな1年だった。

 

想い人さんは好きな音量で音楽を部屋で聞かなくなった。

気を使ってくれている。

私は、できるだけ小さく暮らすようにしている。

気を遣うとかではなく、できれば心地よく暮らしてほしいから。

 

2人暮らしは結構効率がよいと感じていて、

補完しあって暮らしていけてるんじゃ、ないかなって、思ってる。

そんなことないかな、、、

まあ、年末、私のほうが早めに休み入ったんだから、掃除すれば

よかったな、とか小さい後悔はたくさんあるけど。

 

語彙も知識も足りていないことを痛感している。

自分の中身がずいぶん前からアップデートできていない現実も

いい加減直視しなれた。

 

負け慣れてはならない。

 

別にそう思ったからというわけではないけど、

過去の日記やらなんやら一式燃やした。

 

高校の時の友達からもらったメモに、自分に厳しくするタイミングをわかっていない

みたいだから、はっきりと言わせてもらった、と書かれていた。

なんだったのか、なんのことだったのか。

 

私のことを完全に忘れてしまった子だから、

どんな出来事だったのか、思い出せないけど。