ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

住めば都~行楽編~

8月になりましたね。衝撃。

 

7月、8月とオリンピックの関係で連休があり、

私が少し仕事が落ち着いて、久々に連休を楽しめるコンディションで

迎えた三連休。

 

初日は、ようやく(ほぼ一年ほど放置したけど)、

友達の結婚プレゼントのチェーンソーを購入しに横浜というか、

東神奈川?の方まで、てこてこ歩いて行ってきました。

 

二日目、二人ともなーんにもないとうことで。

遅めに軽めの朝ご飯をたべ、オープンしてから気になっていた、

お好み焼き屋さんに行き。

(基本的においしかったんだけど、

・焼き方が細かい&微妙に焼き方が気に食わない

・出てくるのが遅い

等で想い人さんは少し苛ついておりました)

 

今のところ、想い人さんと外食してよかったの、

茶々花と付き合う前に誕生日祝いでいった焼肉屋さんくらいじゃないかしら。

 

東京は店が多い分、外れも多いのよ。

 

想い人さんは、いつも並んでいるクレープ屋さんに

人が少ないのを見て「見るだけだから!」と進んでいき。

カスタードクリームを食べてましたね。

 

前もカスタードだったから、好きなんかな。

 

今回はこまごまとしたミッションが多く、

 

私用のサンダルを買い、食物繊維を買い、携帯ショップにプランの見直しの相談、

後は想い人さんのスーツ屋さん巡りについていった。

 

思えば、こういう何気ない買い物を一緒に行くということは少ないなあ。

共有物じゃない限りはじゃ、決まったら声かけてスタイルの私たちは、

店内でバラバラになりがち。

もうすぐ一緒に暮らし始めて1年がたつし、タイピンでもプレゼントしようかなあ、、

なんて考えながら、普段はいらない男性向けのスーツコーナーをうろうろ。 

 

これは彩度10%くらい高そうだな、こっちは、黒20%くらいかな、

なんて思いながらうろうろ。

同じ系列の店舗でも立地によって接客レベルが全然違うのに驚く。

駅近の場所は、割とはきはき、てきぱきな感じだったけど、

少し離れたところはかなり落ち着いた雰囲気で、パタパタと急いできた店員さんが

私の存在に気づいて、申し訳ありません、と頭を下げて、ゆっくり歩いてた。

近くに高級ブランドの店舗があるからかなあ、なんて思いつつ。

 

3店舗ほどはしごして、ついでに着物やらベルトなんかも見て、

お世話になっているロックバーへ。

私はかなりご無沙汰してしまっていて、本に参加させていただたいていたのもあって、ご挨拶がてら。

 

お店に入って、私に気づいてくださってすぐ、

吉田拓郎の「爪」をかけてくださった。

元々、お店のリストにもなかったので、追加もされていた。

 

想い人さんは久々に顔なじみの常連さんとも少し話せていたようです。

 

筋トレ後のランニングにチャリでついて行って、

私は終始ご機嫌でした。

 

新しいオーブンレンジを買って、

なんとなく、買い足すのためらっていた、普段履きも増えて、

生活が積みあがってきたなあなんて思うこの頃です。

 

 

住めば都~行脚編~

最近、住めば都編多いですね。

まあ、日常生活を常に過ごすことができていると

忘れたくないことも増えます。

 

さて、毎回毎回、夏のくそあっつい時に、

アウトドアを張り切るわけですが。

山登ってみたり、川越にでかけてみたり。

 

今回は、三浦半島までちゃりで出かけてみることに。

想い人さんが小さいころ、おばあちゃんたちにつれられてきた水族館が

閉館になるということで、閉まる前に。

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実質80キロ。

私の限界は50キロ。

無理かも、とめちゃめちゃ思ったけれど。

何事も挑戦、とりあえずやってみよーと自転車をレンタル。

 

www.tokyo-cyclingtour.com

 

1日レンタル可能で、近くの駅や自宅まで持ってきてくれる。

料金もお安めで何より、輪行OK

これ、かなり珍しい。

すっごい深夜にもってきてくれたから、心配にはなったけども。

 

というわけで、2台の相棒を入手して、いざ、出発。

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あ、ちゃんと1dayの自転車保険にも入りました。

まずは、東京都を抜けることを目標にしゃこしゃこ。

 

 

 

出発したのは朝5時とかだから、まだ、人も車も少なく。

いつもとは違う街の表情を眺めつつ、涼しいうちに距離を稼ぐ。

車の排気ガスに咳き込んだり、まだまだ元気なうちはじゃれあったりしながら進む。

 

日焼けしないようにと、私は長そで長ズボンに日焼け止め。

想い人さんは、Tシャツの袖部分の肌を焼くんだ!と、何にも塗らずに出てった。

かえってきてしばらくは、焼けた焼けたと喜んでいたものの、1時間後くらいには、

日焼けってこんなに痛かったけ、としょぼしょぼしていた。

言わんこっちゃない。

 

そんなこんなで、川崎市

川を越えたとたん、ぐっと体感が下がって、確か、緑の基本計画の時に

川越えると体感が下がるって聞いたけど、本当なんだなあと感心しつつ、

市街地を抜けて、進むこと2時間ほど。

 

私が完全にばててしまって、ついていけなくなった。

一番軽いギアにしてても、もう踏み込めない。

坂道でなくても止まってしまう。

足が動かない。。。。。。

 

「はい、ここまで。でんしゃー」

 

と、心配顔を張り付けた想い人さんから宣告を受ける。

ちょうど50キロ時点でリタイア。

他人のような足を引きづって逸見駅に。輪行バックを広げて、電車に乗り込む。

 

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 車窓から見る景色も悪くなかった。

三崎口には、想い人さんの方が先に到着していたようで、あとから追いかける形に。

やっぱり他人のような足を引きずって、必死にこぐこと40分ほど。

想い人さんは、畑がずっと広がっているかと思ったら、海に出て、

沖縄とも、北海道のようにもみえる、と楽し気に土地の特徴を述べていました。

元気なさ過ぎて気力なかったけど冬の景色も見てみたいなあと思うほど、

起伏に富んでいて、湾もあり、豊かな土地でした。

 

水族館近くのホテルで合流し、とにかく汗を流してお昼ご飯。

レストランからも、温泉からも海が見えて、レストランは、窓際のいい席に

座ることができた。

そういえば、旅先で外食したの、初めてかもなあ、なんて思いつつ。

「おいしかったねえ」と言いあいながら、水族館へ。

 

想い人さんはカブトガニが見たかったみたいだけど、今はもういないみたいで

がっかりしてた。

入ってすぐ、ペンギンの餌やりを見る。

スタッフさんが進行するなか、餌が配られていることに気づいていないペンギンと、

岩の裏側で昼寝してるペンギンをみて、

「ああいうの、思うところがあるからあんまみたくない」

と目を伏せてしまった。

 

移動教室に起こしてもらえなかった高校時代と、毎日のように屋上に

上がっていたころのことかなあ、なんて思いつつ。

その二匹の方が、スタッフの膝にあがるペンギンより私はずっと

ずっと、かわいく見えていたぞ、なんて。

 

カワウソがくるくるっと回っているところが一番楽しそうだったかな。 

 

油壷水族館といえば、メガマウスだなあ、とおもっていたら、

徹底的に解剖された標本があった。

深海魚の飼育はお金がかかるから、あんまりいなかったけど、どちらかと言えば、

研究施設的な要素が強いこの水族館。

展示は総じて子ども向けで、建物の老朽化は隠しようもないが、

地元の水族館、という感じがしてこれはこれで。

 

因みに、「総じてどれもうまそうだったな」というのが想い人さんの感想。

カワウソのぬいぐるみを欲しそうにしていたが、

「ただいまーとか人形にしてるところ、絶対にみられたくない」というので

買わなかった。 

次、もう少し広い家に引っ越す機会があれば、大きなぬいぐるみと

小さなぬいぐるみをクッション代わりにできるようにしたげよう。

 

さて、帰りは、最寄り駅から一駅先の駅を目指してスタート。 

下り道多めのルートを選んでもらい

(帽子が飛んでかないように首をすくめてるのがかわいかった)

海沿いをしばらく走る。

だらだらと輪行バックを広げて、ふたたび汗をながすためにお風呂に向かう。

 

sauna-ikitai.com

 

日焼けが限界の想い人さんは、水風呂にじっくり使ったようです。

広めのお風呂で露天もあって、気持ちよかったけど、疲れすぎてて、

逆にしんどく感じてしまうというね。

 

駅の階段にバリアフリーじゃないとか、エレベーターが狭いとか、

さんざん文句言いあいながら(輪行バックがでかくて重い)

新橋を経由してもより駅へ。

 

立ち止まったらうごきたくなくなるから!行け!と

今度は遅れ気味の想い人さんを振り返るといわれる始末。

おうち手前で追い抜かれて、勝った!となぜか勝利宣言されました。

 

倒れこむ前に、と洗濯物出して、シャワー浴びて、

お茶を飲んで。

もう後は泥のように眠るだけ。

 

あなたがいなければやろうとも思わなかったし、あなたがいたからできた。

プランはいつも私かもしれないけど、それを実行してくれるのは、

いつだってあなただ。

 

みてみて、いいかんじ、とその後2、3日は痛いと言い続けるひやけした

腕をジト目にながめつつ、今年も夏のチャレンジは終了。

次はかまくらかなあ。

 

 

 

 

SNSなんだけどさ

実名でやるフェイスブックと、本当に自分の所感を書き散らすこのブログ以外、やってないけれど。
やはり自分が大切な人がかかわっているものが一斉に「誹謗中傷」を受けるのをみるのは、悲しくなるものがある。
建設的な批判や、意見と、相手を傷つけることを目的とした
「誹謗中傷」は、違う。
 
ここ数か月の東京は、そういう無差別な悪意にあふれていて、
気を抜くと、めちゃめちゃ落ち込みそうになる。
 
 

住めば都~更衣編~

ここ数年、よりいっそう暑さに弱くなっているとかい子です。

寝起きはわるくないほうですが、

夏はそもそも寝れていないのか、全然起きれず。

寝ても寝ても起きれません。

 

冬は寝起きのほかほかとしているからか

寝起きだけはよい。

というか、冬は輪をかけて起きれない想い人さんがいるから、

起こさなきゃ使命感があるからか、わりとメッキョっとおきます。

夏は想い人さんの方が寝起きいいですね。

そんなわけでせこせこ衣替えをしました。

 

着物がいいと思いつつ、東京でそれを成し遂げるのは困難を極めます。

暑いので。。。。。

死んでしまう。

 

夏はエスニックな恰好ばかりしております。 

あの布たくさん着ている感じが着物に似ている感じがする。

 

衣替えについては、こう、常に服がとっちらかってるんですが。

クローゼットは想い人さんの服しか入ってなくて

私の分は、ベットの横に服かけを置いてひょいひょいとおいております。

 

あ、 書くほどのネタがないことに気づいてしまった。 

もう書くことない。

 

想い人のさん、最近鼻水ずるずるなので、エアコンをもう一回そうじしました。

タオルケットはすぐ蹴っ飛ばしてしまうので、もう一つ自分用にも購入しました。

洗たく大好きマンでもある想い人さんがたくさんが洗濯機を回しています。

お風呂掃除もしてくれました。

冷蔵庫の霜取りをして、梅シロップもつけました。

日常を過ごすだけでもそこそこ忙しい。

 

「HOKUSAI」を見てきた

 

映画に対する基礎教養が低いので、暇だなー、映画でもみようかなーと

娯楽の候補に挙がることは少ない。

 

これみたい、と思って見に行った映画はたぶん3本くらい。

 

昔に映画好きの友達とノープランで遊びに行ったとき、

映画でも見るかーと映画館にふらっといき、その場で見たい映画を決めて

チケットを買うという体験をして、映画が趣味、という人はこういうことが

できるんだなーと驚いた。

真似がしてみたくて、以前から一度行ってみたかったミニシアターにふらっといき、

その場で見たい映画を決めてみるということをしてみた。

 

eiga.com

 

この映画もたぶん、ちらっと広告を見て、気になったからだとおもうんだけど。

史上初の黒人警察官が、KKKに白人の警察官と組んで潜入捜査をする、

という映画で、黒人だからという理由で不当な身体検査や取り調べが横行していた

時代(今も変わらないかもしれないが)、黒人の主人公はろくな仕事も

回してもらえず、資料の閲覧もできないなか、仕事をしたくて、

自らひっつかんできた案件がこれだった。

 

これは、ひょっとしたら初一人映画だったかも。

 

そこから映画は一人でみてばっかりだったけど、

今回は想い人さんを誘って行ってみた。

 

人と映画みにいくとか、実に10年ぶりなんだけども。

本当は、日比谷の映画館に行こうとしたんだけど、意外と人気で、

六本木の映画館しか空いてなかった。

楽しみだけど、いやだ、という顔を目いっぱいしている思い人

(六本木が嫌いなんだよね)を横目で眺めつつ、久々の映画館。

2分の1だから、席は一つあけ。しかも前から二列目しかあいてなかった。

 

www.hokusai2020.com

 

全4章の構成で、ダブル主演で進んでいく。

田中泯の演技がめちゃめちゃよかった。舞踊的演技って感じがした。

後半、「北斎ブルー」とされいわれる、塗料との出会いのシーンで

雨の中に駆け出してその青を全身に浴びて踊るシーンがあるが、これは何と

アドリブだったそうで。 

 

 

www.youtube.com

 

何かの形をなぞるような、輪郭をたどっているようなそんな動き。

調べてみると、場踊り、ということもされているそうで、その街をおどる、

ということを表現として取り組んでいらっしゃるのだろうか。

 

後々から調べると、ライブハウスを回っていたこともあったそうで、

想い人さんとの親和性は高そう。意外と、現代美術との相性はそんなに良くない人

(情報量が多いわりに意味がつかみづらいからだと思うけど)なので、

踊り自体は・・?ってなるかもしれないけど。

 

「常に途上であること」

www.youtube.com

 

とにかく、後半の見どころがすごい。

 

後は、玉木宏!いつのまに!

こんな色気のある役者におなりになったの!!!

 

映画自体は、とても、抽象表現が多く、現代アートチックな場面も多い。

割とスローテンポで自分で解釈を補わないといけない場面も多いため、

苦手な人は苦手かも。わかりやすい、サクセスストーリーではないわりに、

セリフ自体、めちゃめちゃ印象的な一言があるわけでもない。

 

ただ、絵を描く、ということ、時代の流れの中にあること、

そういうもろもろから、いろいろと感じる部分があって、しみじみと

振り返りたくなる映画だった。

 

目力というか、本気度、というものの表現が多かったように思う。

今、実際、目に映っている風景の中から、「何を描きたい」と思うのか。

 

波から見える何を、目の前の女性の何を。

 

「なんのために何を描くのか」

 

役者一人ひとりがそれを表現するシーンがよかった。

 

「いい目をしている女」を描くのに、なぜ、かがみを持たせたか。

 顔を描くのに、正面から描くのではなく、後ろからの構図で

のぞき込んでいる鏡に映る表情で描いたのか。

何かを見ている、それが、自分が写る鏡、であることが大事なのか。

 

「かなうならば、この目をとってお見せできればよいのですが」と、

役者の演技ではなく、演技によって見えた情景を示す絵をかくのか。

 

などなど、目が最初から最後まで印象的な場面が多かった。

 

まあ、細かーいことを言えば、花魁にはこんなあっさりあえんだろ、とか、

いきなり床入りはないだろ、とか、

町人にしては、いい着物すぎん?とか、なんでこの身分で帯刀してんの?

とか思うことはあったんだけど、こと「芸術作品」において、

「事実かどうか」は特段大事ではなく、「美しいか」

「人の心をうつか」が大事なのだから、別にいいのかな、と。

 

そういうことにこだわったほうが美しい場合と、

そういうこだわりがノイズになる場合とあるからね。。。

 

楽しかったです。

守る人になりたい

 

このブログの更新頻度が上がると仕事の進捗が遅れているという

ことになりますね、はい、わかりやすい。

 

30目前にして、ピアスをあけました。

本当は軟骨ピアス開けたいんだけど、うまく髪で隠すには、

今のままでは長すぎて難しいところがあります。

 

左耳に一か所。

そのうち二連すると思いますが、まず一か所。

おしゃれで開けたわけではなくて、ちょっとした宣誓みたいなもの。

 

右側が「守られる人」、左側は「守る人」という意味があって、

本来は、女性が右側、男性が左側でお揃いにしたりするものだそうで。

 

まあ、まもられててもいかんな、もう、まもる側に回らないといけないな、と

左側にピアスを開けました。

 

ファーストピアスはしばらくつけっぱにする必要があるので

目立ちにくそうな、白い石にしましたが、

付け替えるときはガーネットか、ラピスラズリかにする予定。

これは、そういうのが好きな人はすぐわかるやつ。

ガーネット、いいよね。二連にすればどっちもつけれるけど。

それかクロッカスに似た花のピアス。

花言葉がいいよね、「青春の喜び」「切望」、なんだって。

 

本当はインダストリアル開けたかったけれど、

今時期だとマスクとかの関係があるから初めてのピアッシングには

おすすめされず。

まあ、クローラーフックイヤリング、というのもあるので、しばらくは

安価にとっかえひっかえして楽しむ。穴が安定するのが待ち遠しい。

 

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クローラーフックイヤリング


ただね、こういうのって依存性あるから、一か所開けたら、バカスカあけそうで

怖いよね。。。。。

 

夏に一か所、秋に二連にしてもう一か所、冬には軟骨開けたい。

ヘリックス、というのかな、耳のふちに開けるやつ。

  

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ヘリックス

春には髪を切ってしまうから。それまでにすべての穴を安定させておきたい。。

あ、じゃあ、冬に軟骨開けちゃダメじゃん。

秋、軟骨だな。

こういうのは、マジで、一回やってしまうと。。本当に歯止めがきかないので、、、

調子乗りすぎないように、、、

 

わざわざ値段高めのとこであけたのも、そういう理由からだったりして。

 

www.el-bodypiercing.com

 

おとなしく後ろなんぞ歩かない、

まっすぐな一本道、両側崖の細道を、

ただ笑って歩いてく。



 

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雑記10

2011年、秋、初めて一人でチケットを買っていったライブはRADWIMPSだった。初めて体の中で音が反響するという体験をした。ステージに向かって叫んで、手を伸ばした。アンコールは会場にいる全員で歌った。楽しみ方は、会場が、そして、一人でずっと夜に曲を聴いていた過去の自分が知っていた。この体験をきっかけにCDで聞くだけじゃなくて、ライブに行こう、と思うようになった。ライブの場で初めて曲をきき、後からバンドを追いかけるという聞き方も徐々に覚えた。

2021年5月、初めて足を運んだ日比谷野音は、実に2年ぶりのライブとなった。東京にきて教えてもらった、tetoというバンドだ。どのライブでも、振動と爆音、熱量は変わらない。同じタイミングで上げられる手や、ハンドサインを、ついつい真似して参加したくなる。それは同調圧力ではなくて、自由に、音楽の世界観をつくっていく過程に参加しているようで。ただでさえ早くて文字数の多い歌詞の曲が続く。走ってはしって全然なんて言っているかわからない。雨でできた水たまりにボーカルがスライディングを決める。こうやって歌う歌なのか、最高じゃないか。

CDじゃなくて、粗削りな、作品というよりそれは、かなりメッセージに近い。音楽をききに行っているわけじゃない、ライブという場で、私は私自身や、世界観に飛び込んでいきたい。

圧倒的な場にいる自分はちっぽけすぎるが、その場にいる心地よさはたまらないものがある。ここにいるんだ、ここにあるんだ、というような。

そのあとにもう一つライブに行ったが、どちらのライブステージからも「正しさはわからない」のメッセージが無言の観客席に届けられた。

今、マスクだとか、距離だとか誰しもが簡単に正義になれてしまうルールがあるから、悪人が大量生産されている。でも、そんなインスタント正義が、この空間やライブで生まれる関係性を否定して切り捨てていいわけがない。

音楽との出会いは、幼少のころに聞いた「エリーゼのために」だと思う。この曲が弾きたくてピアノをはじめ、それから、音楽を楽しむ、という習慣を手にいれた。

2008年、絶賛思春期には、音楽は感情の増幅器で、悲しい時にはより悲しく、頑張りたいときにはより前向きに、「自分は今特別なんだ!」と思いこませてくれるものだった。

あと一粒の涙と一言の勇気でかなう願いが自分にもあると思っていたし、はやりの音楽が運んでくるキラキラした未来が無条件に自分にも来るんだと、わくわくして音楽を聞いていた。

2015年、そのまま大きくなった23歳の時、精神をぽっきりおられて1カ月ほど文字通り実家で腐っていた。当然、自分を特別にしてくれていた音楽は耳に痛くて何も聞けなかった。そんな時、テレビだったか、ラジオだったかで、吉田拓郎の「爪」を聞いた。1970年代の終わり、32歳の拓郎が松本隆氏と組んだアルバム「ローリング30」の一曲だ。ホテルにこもって、ほぼほぼ一発書き、アレンジの直しもほとんどしていない。詩ができたらすぐ隣の部屋の吉田拓郎がかけつけ、曲をつける、という流れで二人きりでつくられたアルバムである。

冬の一間、男性が静かに別れを告げる決意をしながら、ともに暮らす女性の爪を整える姿を眺める様子をうたっている。爪をとがらせて、世の中を渡っている彼女が好きだったのに、生活を円滑に進めるために爪を短く切ってしまう彼女につまらなさを感じてしまったのか。この解釈でいくと、短い爪は君との生活を守るためのものなのに、何てわがままな男なんだ、と思ってしまうけれども。

当時の自分は、その曲の「深爪すると後で痛いよ」という歌詞に、衝撃をうけた。特別じゃない、当たり前がうたわれていたからだ。自分の日常にもある風景を、歌にしていいのかと、そして、その日常が美しい風景の一部になっていることにボロボロとないた。

特別にはなれなかった。爪を切ればいたい、みたいな当たり前のことを必死にこなして、苦労した気になっている、そのことが分かりきった私に響いた音楽だった。

今もなお、言葉にしてしまったとたんに質量を失ってしまいそうな日々を、音楽が肯定し、ぶっ飛ばし、再構築してくれるのに時に甘えながら、当たり前のことを受け取れなくてないたり、大げさな足取りで安全地帯を歩いている。

思えば、それがテレビでは流れない、音楽との出会いだった。中島みゆき河島英五、大澤誉志幸、竹原ピストルCocco、リベラ、未来を夢見るだけではない音楽が幾度も現実の見えかたを変えてくれた。音楽は感情の増幅器だけではなくて、日常を切り取って再定義してくれるものでもあった。

この2年間、日常はずいぶんと様変わりしたから、周りにある音楽も少し変わった気がする。「場」の意義がずいぶんと問われた。「皆さんへ」という大きなくくりで大きなメッセージが伝えられた。集まらなくても、その場がなくても、価値はつくれるということが積極的に発信された。その皆さんへの中に自分が入っているということも、作ることができるという価値も一度も実感できないままだ。

その場にいて、同じ振動の中にいて、そういう圧倒的な空間における「皆」には、確実に自分が入っていて、あなたのことだと思えた。ステージと自分でありながら、皆の中にいる自分でもあって、その感覚は、四角い画角の小さなスピーカーからは生まれない。熱量に代替物は存在しなかった。

そんな時代を経て、自分はもうすぐ30になる。自分に固執し続けた思春期から、自分と他人の境目をあいまいにした20代が間もなく終わる。

相変わらず、音楽を聴くときの根底にあるものは、自分を主人公にしてくれ、だと思うし、自分が主人公になれそうな曲を探しては安心するような、しょうもないないことも繰り返してもいる。それでも。私が嫌いな私のままで、成し遂げなければならない。