ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

雑記10

2011年、秋、初めて一人でチケットを買っていったライブはRADWIMPSだった。初めて体の中で音が反響するという体験をした。ステージに向かって叫んで、手を伸ばした。アンコールは会場にいる全員で歌った。楽しみ方は、会場が、そして、一人でずっと夜に曲を聴いていた過去の自分が知っていた。この体験をきっかけにCDで聞くだけじゃなくて、ライブに行こう、と思うようになった。ライブの場で初めて曲をきき、後からバンドを追いかけるという聞き方も徐々に覚えた。

2021年5月、初めて足を運んだ日比谷野音は、実に2年ぶりのライブとなった。東京にきて教えてもらった、tetoというバンドだ。どのライブでも、振動と爆音、熱量は変わらない。同じタイミングで上げられる手や、ハンドサインを、ついつい真似して参加したくなる。それは同調圧力ではなくて、自由に、音楽の世界観をつくっていく過程に参加しているようで。ただでさえ早くて文字数の多い歌詞の曲が続く。走ってはしって全然なんて言っているかわからない。雨でできた水たまりにボーカルがスライディングを決める。こうやって歌う歌なのか、最高じゃないか。

CDじゃなくて、粗削りな、作品というよりそれは、かなりメッセージに近い。音楽をききに行っているわけじゃない、ライブという場で、私は私自身や、世界観に飛び込んでいきたい。

圧倒的な場にいる自分はちっぽけすぎるが、その場にいる心地よさはたまらないものがある。ここにいるんだ、ここにあるんだ、というような。

そのあとにもう一つライブに行ったが、どちらのライブステージからも「正しさはわからない」のメッセージが無言の観客席に届けられた。

今、マスクだとか、距離だとか誰しもが簡単に正義になれてしまうルールがあるから、悪人が大量生産されている。でも、そんなインスタント正義が、この空間やライブで生まれる関係性を否定して切り捨てていいわけがない。

音楽との出会いは、幼少のころに聞いた「エリーゼのために」だと思う。この曲が弾きたくてピアノをはじめ、それから、音楽を楽しむ、という習慣を手にいれた。

2008年、絶賛思春期には、音楽は感情の増幅器で、悲しい時にはより悲しく、頑張りたいときにはより前向きに、「自分は今特別なんだ!」と思いこませてくれるものだった。

あと一粒の涙と一言の勇気でかなう願いが自分にもあると思っていたし、はやりの音楽が運んでくるキラキラした未来が無条件に自分にも来るんだと、わくわくして音楽を聞いていた。

2015年、そのまま大きくなった23歳の時、精神をぽっきりおられて1カ月ほど文字通り実家で腐っていた。当然、自分を特別にしてくれていた音楽は耳に痛くて何も聞けなかった。そんな時、テレビだったか、ラジオだったかで、吉田拓郎の「爪」を聞いた。1970年代の終わり、32歳の拓郎が松本隆氏と組んだアルバム「ローリング30」の一曲だ。ホテルにこもって、ほぼほぼ一発書き、アレンジの直しもほとんどしていない。詩ができたらすぐ隣の部屋の吉田拓郎がかけつけ、曲をつける、という流れで二人きりでつくられたアルバムである。

冬の一間、男性が静かに別れを告げる決意をしながら、ともに暮らす女性の爪を整える姿を眺める様子をうたっている。爪をとがらせて、世の中を渡っている彼女が好きだったのに、生活を円滑に進めるために爪を短く切ってしまう彼女につまらなさを感じてしまったのか。この解釈でいくと、短い爪は君との生活を守るためのものなのに、何てわがままな男なんだ、と思ってしまうけれども。

当時の自分は、その曲の「深爪すると後で痛いよ」という歌詞に、衝撃をうけた。特別じゃない、当たり前がうたわれていたからだ。自分の日常にもある風景を、歌にしていいのかと、そして、その日常が美しい風景の一部になっていることにボロボロとないた。

特別にはなれなかった。爪を切ればいたい、みたいな当たり前のことを必死にこなして、苦労した気になっている、そのことが分かりきった私に響いた音楽だった。

今もなお、言葉にしてしまったとたんに質量を失ってしまいそうな日々を、音楽が肯定し、ぶっ飛ばし、再構築してくれるのに時に甘えながら、当たり前のことを受け取れなくてないたり、大げさな足取りで安全地帯を歩いている。

思えば、それがテレビでは流れない、音楽との出会いだった。中島みゆき河島英五、大澤誉志幸、竹原ピストルCocco、リベラ、未来を夢見るだけではない音楽が幾度も現実の見えかたを変えてくれた。音楽は感情の増幅器だけではなくて、日常を切り取って再定義してくれるものでもあった。

この2年間、日常はずいぶんと様変わりしたから、周りにある音楽も少し変わった気がする。「場」の意義がずいぶんと問われた。「皆さんへ」という大きなくくりで大きなメッセージが伝えられた。集まらなくても、その場がなくても、価値はつくれるということが積極的に発信された。その皆さんへの中に自分が入っているということも、作ることができるという価値も一度も実感できないままだ。

その場にいて、同じ振動の中にいて、そういう圧倒的な空間における「皆」には、確実に自分が入っていて、あなたのことだと思えた。ステージと自分でありながら、皆の中にいる自分でもあって、その感覚は、四角い画角の小さなスピーカーからは生まれない。熱量に代替物は存在しなかった。

そんな時代を経て、自分はもうすぐ30になる。自分に固執し続けた思春期から、自分と他人の境目をあいまいにした20代が間もなく終わる。

相変わらず、音楽を聴くときの根底にあるものは、自分を主人公にしてくれ、だと思うし、自分が主人公になれそうな曲を探しては安心するような、しょうもないないことも繰り返してもいる。それでも。私が嫌いな私のままで、成し遂げなければならない。