ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

春野菜がおいしい

さいきん、肩たたき的に配属が移動になりました。

ゆっくり考えて欲しいとか言われますが正直何を?と思いつつ。

まあ、ただべらべらしゃべるやつがコミ力があるわけではないよ、と

おもいながら。まあ、損失出ても知らんよ、とネガティブになりつつ、

でも、一回は、営業してみたいなと思っていたのも事実なので、これも経験と

楽しみながらお金貯めて会社やめようと思います。

春のあめはまだまだ冷たいなと感じるとかい子です。

 

ソメイヨシノが終わり、関白などの八重桜がこれから満開を迎えております。

個人的には、こっちのほうが好きです。日本古来の春の色。

もともと、桜はピンクじゃなくて、緑とか、しろとかいろいろあって、

五色桜、なんていう言葉もあったんだよ。

同一化したクローンのソメイヨシノは、戦後何もなくなってしまった街の風景を

作り直すためのものだったとかなんだったとか、そんな論文を読んだ気がする。

まあ、花より団子、期間が短いほうが現代の忙しい社会にあっているのかもしれない。

 

春は玉ねぎをはじめとして本当に、野菜がうまい。

とかい子、べつに美味しいものは作れないが、料理は嫌いではない。

野菜を切っている時間は大変に心地よいし、春キャベツをばりばり向いてる時の、

ああ、冬が終わったんだな、という安堵感もよい。

アスパラも、スナップえんどうもおいしい。

つくしや、フキノトウは実家にいるときはさほどおいしいとは思わなかったが、

舌が甘いものを受けつくけなくなってきたこの頃は、

苦みがおいしくなってくる。

 

特に、菜の花のお団子とか、おいしい。

新宿御苑の近くのお団子屋さんでおいてあるのでぜひ食べてみてもらいたい。

これはもうおかず。

tabelog.com

 

もちもちとしたお団子には、山椒の効いた少ししょっぱめのみたらしのタレ。

菜の花は、おひたしと同じようにカツオのだしが効いて、苦みもあくもなく。

ちょっと感動する味。

元カレとも食べたな。一個の櫛をわけわけしながら、朝ごはんに食べたな。

 

・・・・・・・・春は、上を見上げる機会がいつもより多い。

 

いやいや、団子の話ではなくて、春野菜。

 

業務が落ち着いてきたので、お昼ご飯をもってきている。

といっても、お弁当はどうせ続かない。なので、スープジャーに

具だくさんのスープを入れて持っていっている。

これだけで、あとは、おにぎり一つとか、パンとか買えば、結構おなか一杯。

腹持ちがいいので、間食も減る。よい。

 

スープは一週間分どさっと作りおく。あんまり、味に飽きるとかがないので、

基本的に平気だが、それでも少し薄味にしておいて、ちょっとずつ味を変える。

(胡椒足したり、柚子胡椒入れたり、チーズ足したり、葛切入れたり)

 

今週は重ね煮風スープ。

材料は、キャベツ、玉ねぎ、ブナシメジ、少し早いトマト、水菜、ベーコン。

調味料は塩のみ。

 

全部ざく切りにする。

トマトを一番下にし、あとは、切った野菜を鍋に入れて層にしていく。

弱火にかける。放置!!!

20分もするとこんな感じ。

       

 

ちょっと焦げそうだったら、少し水を足す。

野菜だけで、これだけ水分が出てくるし、

玉ねぎの甘みとトマトの酸味で本当に何もいらない。

塩をちょっとふって、上下を入れ替える。終わり。

 

はてさて、この野菜から出てくる水は、雨水であり、大地の水であるわけで。

そうなると当然、産地や作られ方は気になるものであり、

地球環境に思いをはせることになる。

こうして野菜や魚の変化を見ながら料理をすることが、

地球を思うことの最初の一歩ではないかなあと思わけで。

 

しなばもろとも、毒を食うならば皿まで。

どんどんいこう。

 

憧れの人に会えた

年度末があけると

ようやく人間の生活を取り戻せる。

さて、人にならねばね。人に。

 

日曜日、以前過去記事であげた

TEDに出ていた人に会うことができた。しかも、

一緒にご飯食べて、フェイスブックもこうかんした。

仲間に入れてもらってしまった。

まだ実感がないくらいにうれしくて、うれしくて。

そして、同時に、また、私は何も語る言葉がないと、

なにもないと。

ああ、せっかく憧れの人に会うくらいのところまでこれて、

同じ土俵にはたてたのに、私はなんにも言いたいとや聞きたいことがない。

 

tsumehaya.hateblo.jp

 

地域の看取り、地域の終活を考えていく必要がある。どのように、地域を

閉じていくのか、20~30年以内には200近くの集落が消えると

言われている中で、どのように地域を閉じていくのか。

それを考える会だった。

東京にいながら故郷を生きることもできる。

完全な外者になってしまった私にできることはないか。

できることはちゃんと増えているのか。

戦っていかねばならない。

 

講演で聞いたこと、感じたことを忘れないうちに書きなぐっておきたい。

・議論しなければいけないのになんとなくタブー視されて議論されて

いないことがまだまだ地域にはたくさんある。

・ふるさとを相対化して考える。

・私たちは移動しながら暮らしている。

・住むということがどういうことか、暮らしを拡大して考える。

・集落を閉じることが決められたときに50~60年先にしか

切り倒すことができない杉の木を植えた住民の思いとは何か。

・住みつぐ 村つむぎ

・私たちは、感じたことをかんじたままにいう権利を持っている。

 

またちゃんとまとめます。とりあえず、忘備録

 

 

苦爪楽髪(酒とたばこと退廃的な夜)

 

人に会ってきた。

初めて会う人で、待ち合わせ場にえらく細身のホストっぽい人がきた。

というか、話聞いたらホストっぽいことをしている人だった。

あーまずいなーと思った。

 

上手に話を聞いてくれる人で、テンポ重視の言葉のキャッチボールができる。

飾らないやり取りができる。

これはまずいな。

 

まずいなー。

煙草を吸うしぐさが良く似合った。

年上だということもあったが、幸福とか不幸とかに

余り心を動かさないような雰囲気を持っていた。

目の前の現象としてとらえて、感情と切り離して考えることができる人だ。

 

人の気持ちに引きずられない。

一枚膜を隔てたように、内側と外側に明確な線引きをしている。

決めることを迷わない人だ。拾うも捨てるも必要であれば、迷いながらでも

実行できる人だ。

まずいな。まずいやつだな。

あーーーーやめといたほうがいいな。

 

強めの酒をさらりと飲んだ。

呑めればいいという感じで飲み干していた。

煙草がくゆる。煙が流れないように、うつむき加減に煙草を吐く。

ああ、おもったより、子供っぽいしぐさをしたな。

だめだなあ・・・・・

 

私の焦りを酒でごまかす。諸刃の剣だと思っていたが、早くこの場から

逃れねば。

ビールを2杯。日本酒を2合。ハイボールを1杯。

ウィスキーをロックで。果実酒とウィスキーを混ぜて一気に飲み干す。

 

ああ、体が近い。

まずい。

電車に乗り込む。満員電車でふらつくと、引き寄せられた。

だめだ、この路線では家に帰れない。

帰らなきゃ。

梅酒のロック、溶けかけのチョコレート

見知らぬ壁と天井と覚えのない体温。

まずい・・・・・なあ・・・・・

もぎ取らる意思。とんだ記憶。

 

後悔が押し寄せているのに、こんな時でさえ、

私は最低限の確認をする。

記憶がないから、あれは私ではないからなと切り捨ててしまって。

経験した記憶のないことをいわれてもわからないから。

さいころ、あなたはあそこにいったのよーといわれても、

でも覚えてないからなあ。。。となるのと同じ。

炭酸の抜けた安いビール。のみ残しの水。

 

自分の価値がまた下がってしまった気がするのに

そうやって消費されたことが悲しいはずなのに、

気づいていないふりをする。

この人と二度目にあうことはないのだろうな。

そう思うと悲しい。普通にしていればよい飲み友達になれただろう。

趣味の話もできただろう。

遊びにも行けただろう。

お店の手伝いなんかもできたかもしれない。

おみやげのラスク。冷えた麦茶のペットボトル。

 

退廃的な雰囲気の持ち主の前でしか安心できない。

不完全な自分を肯定してくれる存在に甘えている。

成長をやめるな。足を止めるな。

 

自分の不健全さを相手と同調することでごまかした夜。

 

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ごちゃついたげんじつ

 

袖振りまわして生きていく

誕生日でした。年取りました。27歳 独身にプロフィールが変わります

 

ブログも設立一周年になりました。

分かりやすく最初の一か月の更新頻度が高く、徐々に落ちていくという

王道パターンですが、脳内垂れ流しブログですし、楽しいし、

はっ!ブログに書くネタがないような毎日を送ってはならん!という

謎のモチベーションとなっている。

相変わらず圧倒的な課題に飢え、

日々を大切に生きたいと、意味のある一日を重ねたいと

私の使命みたいなものを見つけたいと望む日々。

 

今年も、袖振り回して生きていきましょう。あちこちに無駄にぶち当てて

面白そうなものは全部袖に入れて

重くなった袖を引きずって、まあ、

引きずるとそのうちおっこちてしまうから、定期的に懐に入れなおしたりして

両手がら空きで生きていきましょう。

 

今、新年度が明けてから書いていますが、

今年度一年、どうやって生きましょうか。

 

20歳の原点を今回は引用してみよう。

 

独りであること、未熟であること、

これが私の原点である。

 

 

切り裂くような言葉の並びだなと思いまして、次ページ。

 

人間の存在価値は、完全であることにあるのではなく、

不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。

人間は未熟なのである。

個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても。

人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値を持つ。

              (二十歳の原点 高野悦子

 

私もあなたも同じ価値のある人間ですよ、未熟ですよ。

未熟さとなんとも言えない孤独感を肯定してくれる言葉を

二十七歳の私は持っておこうと思う。

 

私は、とても自己肯定感が低い。

ただ、自己を否定して納得しているのは、

自ら望んで不幸に浸っているほうが、幸せになろうとすることよりは

はるかに楽だからかもしれないと思うことがある。

不都合な現実が嫌で、うそを重ねることもよくある。

不完全で未熟だ。

 

それでも、私は自分自身の価値を信じるために、

その不完全さと未熟さが己自身の価値を創るものだとして

目を背けず、ラムとウィスキーで視界をたまにぼやかしながら

頑張って生きていこうと思います。

 

今年は

・お昼ご飯にスープを作って持っていく(週3回はせめて。)

・本を読む。

・資格を取る。

・好きなことをする時間を必ず作る(落語、故郷PR)

・社会課題に挑む。(若者世代の貧困に立ち向かってみたい)

・しんっけんに。寸分の隙もないくらいに仕事をする。

・退廃的な雰囲気の男ばかりに引き寄せられない

 (最近、好きになる人が煙草とお酒を飲む人が多いんじゃなくて、

  たばこと酒を飲む人を好きになってるんじゃないかと思い始めた)。

きらきら男子とだっていけるぜ、多分!

 

 

 

 

 

お題「わたしの記念日」

枯れ枝に満開の桜を夢見る

※ 若干性に関する直接的表現をふくみますので、苦手な方はご遠慮下さい。

 

 

 

カテゴライズというのは、学問において大変に大きな意味を持つ。

特に植物学の世界では、分類学という学問がある。

何をもってそこに分類するのか、

どんな特徴や進化の過程を経ていれば類似とすることができるのか

ということを深めていく分野 である。

遺伝子の研究に大変に貢献した分野だったような気がする。

違うかもしれないので鵜呑みにすることはないように。

 

さて、子どものころ。幼少期というものにあまり男女の差はない。

周りが勝手にそうするだけで、

男の子も女の子も、その時々の好きなことをしていた。

力も体格も変わらなかった。

テレビもなく、ラジオもなく、大人も男か女かわからないような感じに

していたら、多分、性差というものは認識しないと思う。

そういう意味では、性別は文化的認知かもしれない。

これと似たような話を以前イナカ子とした。

男子ばかり、女子ばかりで生活を送っていたほうが、

男女はより平等に育っていけるみたいたな話だった。

ちゃんとソースがあったはずだけれどもわすれてしまった。

なんかこの辺りは、うまく言語化できない。

 

 とにかく、この人間関係を築くうえでとてもとても

「女性」が邪魔だ。「女性」である私というのが最近とてもとても

分からない。人として、のベースが揺らいでいるからか、

その上に載せる女性として、みたいなのが分からない。

そうなると、ややこしいループになる。

ややこしいなあと思って、ぼんやり歩いていたら、「性器」がなくなったら

女性を意識をしなくてもいいのか?とか思いだした。

逆に、相手に(男性に)「性器」がなかったら、私は「女性」ではなくなるのか?

ということは、私は、性器に性別をゆだねているということになるのか?

 

この世の中で、女性のための商品は多い。

女性向けのシャツ、靴、本、曲、有形・無形を問わず

女性向けのものが多く発信されている。

だけど、これらは既に男性とも共有できるものだし、

文化的性別は、もはや選択肢にすることができるものだ。

 

絶対に女性しかつかわないもの、となると、

生理用品とサニタリーショーツしかない。

それらはすべて、性器に関わるものだ。

性器を意識しなければ、性別をこえられるのだろうか・・・?

 

着脱式になればいいんだよな、これ。

なんか、あ、今性器ほしい!って時だけつけられて

いらないやーって時は、消せる、みたいなの。

性器欲しい!ってなったら、相手の「男性」がほしい!ってことだし。

もしかしたら「女性」が欲しいのかもしれないし。

逆に言えば、性器はいらないけど、この人が欲しいってなるかもしれないけど、

とりあえず、「性器」が無ければ劇的に人間関係の構築が

分かりやすくなる気がする。

 

というわけで、

割とあーすきだなーって感じの、

雰囲気読めない感じの理系で、趣味にこだわってる、

煙草吸いの酒飲みの京都人と出会ったけど、

次の約束もせず、終電前にばいばーいってした私。

 

一つ年下の、退廃的な雰囲気が大変に似合う人でした。

もう、1か月後には覚えてないぞ。割と人間としても好きやったのに、

性器がが無ければ、また、のもーよ、次は、

共同体の定義について語ろう!とか言えたのに。

 

 

 

(こういう回は肌さらしがち)

 

 

海の藻屑たち

仕事しないといけないときになって

だいたい見えなかった人生の選択肢を見出して、

わざわざ戻って選択してみたりして

結局締め切り前に焦るを繰り返している。

現実逃避を極めつつあるとかい子です。

 

とかい子、SNSに長文投稿しないし、

ツイッターミクシーもやってないのであまり

黒歴史は世間にさらしていませんが、

日記に名前を付けて、話しかけている体で書いたり

アンネ・フランクにあこがれてたやつ)、

自作の詩を書いて、歌ったり(A4用紙に詩を書きまくっていた)

セリフだらけの地の文がないアニメの二次創作を書いたり、

ノート引きさいて、穴をあけてその上から血液を(本物の本人の血)かけて

涙を流してみたりしていた。

定期的に大地に寝ころんでいたし、急に大声を出してみたり。

・・・・・・・ね。みんな、あるよね。特に、自作のポエム。

・・・・・・・・ね?ね。あるって言って。

 

が、前々からぶつくさ書いているように、

とかい子はネット掲示板を使ってお話ししていることが多い。

その募集投稿文がいろいろと黒歴史だった。

供養がてらさらしていこう。

 

2018/12/19

冬の晴れた日の朝は
夏よりも夏を思わせるような、
すんだ青をしていると感じた今朝 朝の気配を感じながら眠る夜
お話ししましょう

 

深夜に帰りついたんかな。それとも、徹夜明けやったんかな。

はい、次。

 

2018/11/7

やぶかにさされまくる11月
ショールが手放せない8月
変動する常識
普遍的な変化
相対する言葉を繋げるととたんに
センスよく感じますね。

 

これは、なんだろね。なんか、映画でもみたんかな。

 

2018/8/27

芸術的なまでの頭痛に悩まされる
作為的なあらしのよる

洗濯物は全滅だし、とりあえず一日に早めの幕引きを

 

とりあえずって書いてるけど、これめちゃめちゃ深夜。

 

2019/2/22

スーパームーンのなごりが大きな月でしたね
上にすてきなものがあれば自然と上をむけるもの

いきなり通話でどうぞ

 

下向いてあるってことは、下の方が上よりもいいものがあるからなのねー。

・・・・・多分違うわ。

 

2018/2/14

お、バレンタインだ。
就活で一番面白かったテーマは、
新しい商業記念日を考える、でした。
ディスカッションはパスしたのになあ。。
筆記でおとされた懐かしさ。

戦略的休息を勝ち取るための徹夜
いきなり通話でどうぞ

 

いっつもこの時期徹夜してるね。

 

こんなんわけのわからんそうな奴と話してみようというやつが

いるのだから、みんな、夜は短しあるけよ乙女。

願えば与えられん。

可能性は見出すもの。

 

さて、仕事しよ。

 

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くまけんご

 

お題「わたしの黒歴史」

私と公の谷間

 

この世で一番遠い場所は

自分自身の心である。

寺山修二「少女詩集」

 

今更ながら、寺山修二を初めて読みました。

よくこの作家さんの背景をしりませんが、

中学校の同級生が、卒論のテーマに取り上げたことは知っています。

何でも、エロという概念を日本に持ち込んだ人なのだそうです。

 

詩集で涙をこぼす日が来るとは思わなかった。

あー、ちゃんと、歳をとってきたんだな、と思った。

自分がいつも表現できない何かを、ちょっとだけ言語化してくれる。

お手軽電子書籍で読んだものの、紙面デザインを堪能したいので、

これはそのうち、本屋にいこう。

そんな、春の嵐ふくとかい子です。

 

さて、とかい子はコンサルタントという業界に身を置いている。

お相手は、行政なのだが、行政には顧客はいない。

市民に業務を委託されているようなものだと思っている。

ひょっとしたら、以前書いたかもしれないが、

この世界に入るまえから、とかい子は

「共」とはなにか、ということを、よく考える。

 

バイブルとなった書籍に、このあたりのことが

分かりやすく書いてあった。

 

私は、個人。

公は、社会。

共は、共同体。

 

たしか、こんなんだった。ちがったかもしれないけど、まあ、

こんな感じ。

以前は、個人と個人が関わりあって、共の部分を運営していた。

そこに行政というシステムができ、共の部分をサービスとして

提供するようになった。それが公共である。(正確ではないので

そのうち、ちゃんと引用する。)

以前は、皆が同じように困り、同じような疑問を抱いていたから、

公共が成り立っていた。

ところが、全体の底上げができてくると、一律のサービスでは対応できなく

なっていった。

皆が一様に困っていたことを想定した公共の運営は既に限界が近い。

もう一度、「共」を考え直す必要がある。

 

こういう仕事をしていると何かと安易な行政批判をよく耳にする。

行政がしっかりしないから、縦割り行政だから、市が先導をとるべき。

しかし、行政とは実に不自由な組織で、実施できることは本当に限られている。

有名なまちづくりの団体の責任者は、行政ができることは、

承認だけだと言い切っていた。

何をどのように承認するのか、その大義名分を活動家に与えること、

それだけしかない。

 

どれだけ、行政の権限が限られているのか、それをもっと

世間がしると、必要な共がまた生まれてくるように思う。

もしくは、税金増やしていいから、もっといろいろやっちゃって!にするか。

 

海外だと、税金の違いで如実に安全性に違いがでる。

税金の安いところは、道路のインフラも整わず、税金が高いところは、

個別のパトロールから、医療費の免除等大変に充実する。

そして、その税金が払える人だけがその地域にすみ、

払えない人は安い地域に移動する。どうなっていくかは、考えるまでもない。

 

そんなことを、相も変わらず安易な批判をする、

行動派の人々の言葉を聞きながら、間に立つ、というこの仕事の

なんだかなあ、をかみしめていました。

年度末も、もう半ば・・・・