ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

言葉は国民性をつくる

言葉は国民性をつくる(国民性が言葉を作ったのか?)と思う。

いろんな国の人と喋っていると面白い。

どうも、旅をしてもひとり、イナカ子です。

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日本と緯度はさほど変わらないので、売ってある野菜は見たことがあるものも多い。#市場 #トルコ #キングカメラ #filmphotography #film_jp #analogphotography #フィルムカメラに恋してる #フィルム写真普及委員会 #フィルム写真部

 

地域の言葉というのは、その人をつくると思う。

日本語にあって海外にない言葉というのはたくさんあって、そうか、この感覚はこの地域には存在しないんだ、、、となることは多い。

 

先日の記事で英語のshouldの中には、日本語の「〜すべき」「〜しなよ」「〜した方が良くない?」「〜してもいいんじゃない」「〜してみるといいかも」くらいのが一気に含まれるような気がする。と書いた。

 

tsumehaya.hateblo.jp

 他にも色々あるので紹介したい。

「〜してあげる」「〜してくれる」は他人への感情がすごく入っている言い方だけど、英語ではシンプル形「〜する」しかない気がするし、「お疲れ様」はないし、「いただきます」もない。

そして驚かれるのは、"fuck"に当たる日本語がないこと。

いろんな国のfuckを集めたけど、みんなこの手の言葉はいっぱい持ってる。

fuckなしでどうやって生きてきたの?!なんて言われることもあった。

 

ある日フィンランド人と話をしていたら、「日本には"静かにする"という意味の動詞はあるか」と聞かれた。私はあるよ、と答えて「黙る」を挙げた。
なんでも、英語の" be quiet" は形容詞だから、そういう状態に「なる」だけど、動詞だったら、それは意識的なもの、人間行動の一部として捉えられているということじゃないかって。英語にはないけどフィンランド語にはあるよと言っていた。フィンランド人も日本人も静かってよく言われる国民性だから、なんか面白い。

 

漫画なんかに出てくる「シーン」は特殊だ。
説明するときは「無音を表す音だよ」と言うけど何言っているのか自分でもわからない。

 

逆に英語にあって日本語にないのが、"bless you"だ。

くしゃみをしたときに「お大事に〜」という言葉。

全然知らない人がくしゃみをしてもこれを言ったりする。

直訳すると、神のご加護を、みたいなことになる。誰かがくしゃみをするたびにこのbless youが飛び交ってなんだかほっこりする。

 

メキシコの人はさすが情熱的なラテン語。恋人を呼ぶ「ハニー」「ダーリン」みたいな言葉がたくさんある。

それも、「僕の空」「僕の心」「僕の愛」みたいなロマンチックなのから
「みかんちゃん」「いちごちゃん」みたいなものまであるらしい。
ちなみにメキシコはスペイン語を喋るが、スペインのスペイン語とはまた違うんだって。

 

ちなみに言語は国民性を作ると言ったけど、私が英語を喋るときは、英語人格になる。

日本語ほどNoと言うのに罪悪感を感じないし、文章のはじめに確信的なことをバーンと出してから詳細を述べる文章だから、はっきりものを言うのよね。

 

 

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英語はスポーツだ。打って打って打ちまくれ。

https://www.instagram.com/p/B9hEwSvFB1v/

トルコ旅に行ってきました。3週間ほど。#トルコ旅

 

英語はスポーツだ。打って打って打ちまくれ。

どうも、脳内筋肉のイナカ子です。

 

イナカ子、英語はTOEIC300点代からのスタートだ。
なんというか、勉強の勘が冴えなくて、コツが掴みにくいというか、「なんで?」「なんで?」が先行して、ちっとも前に進めない。

 

そんなイナカ子がメキシコ人の彼氏を作り、フィンランドに留学し、彼氏と別れた話をしよう。 

TOEIC300点代が、英語で日常生活を送れるようになる方法

英語は勉強じゃない。スポーツだ。基本的なルールを知ったらあとは打って打って打ちまくるしかない。

英語のドラマや歌はある程度リスニング力がついてから

よく、英語のドラマや歌で英語を勉強するといいなんて聞く。
だが待て、我々にはまだ早い。
そんなの苦痛でしかない。泣いちゃう。
思うに、それはできればある程度リスニング力が付いてからの方がいい。その際は英語の字幕と英語の音声でドラマなどを観るのが超おすすめ。結構分かっちゃってそんな自分にびっくりする。

まずは日本在住で第二言語として英語を喋る友達(もしくは恋人)を作る

リスニング、スピーキングの戦闘力0の人は、日本在住で第二言語として英語を喋る友達を作ることがおすすめだ。なぜなら彼らは日本人が英語下手くそなことをすでに知っているから。ついでに恋愛とかしちゃって、彼氏or彼女になっちまうことが超おすすめだ。だから英語スピーカーの人たちがよくたむろするバーとかカフェとかに通う。ハードルが高ければ、「国際交流イベント」とか「言語交換会」みたいな、目的の中に英語を喋ることが内包されている場に行く。
ちなみに私はとあるパーティーで、そこにいたメキシカンとダンスし、それがきっかけでFacebookゲットし、ついでに彼もゲットした。それからは英語を喋る必要に迫られ、英語を喋る頻度が格段に増えた。
ネイティブの人たちは正しい英語を喋るけど、スラングや略語を使われたら初心者にはお手上げだし、なんせ早くて聞き取るのがちょいとしんどい。対して第二言語として英語を喋る人たちは、結構はっきり発音してくれるし、略さないから聞き取りやすい。日本人はRとLの発音が下手なように、それぞれの言語によって癖はあれど、ゲルマン語系(オランダ語、ドイツ語など)、ラテン語系(スペイン語など)、あとフィンランド人の英語が聞き取りやすかった。でももしかしたら、これは言語のせいというよりはその国々の英語教育の賜物なのかもしれない。
彼らにとっても英語は外国語だから、たまに間違うんだけどね。

日本人は皆、すでに武器を手にしている。ただ童貞なだけ。

中学レベルの英文法は抑えておく。とりあえず過去形が使えたら昨日までの身の上話ができる。で逆に言えば中学レベルでそこそこいける。つまり日本人はほぼ全員、英語を喋るための武器はすでに手にしているのだ。ただ童貞なだけで。
たくさん練習を積むと、英語を話すときは脳が英語脳に切り替わるようになる。
私がそれを感じたのは、英語をしゃべっている時、「I think...」まで言って、はて何を喋ろうかと間が空いたとき。脳が、言葉と一緒に動いてる。
日本語を英語に変換しているうちは、言うこと全部決めてからじゃないと喋り始められない。だからI think...で止まることはない。
これらは我らが誇る豆腐メンタルを守るためだ。鬼メンタルのヤツには関係ない。というか、鬼メンタルのヤツは最初から関係ない。

 勝手に傷つかないようにする修行

海外の人と喋ると、勝手に傷つくことが多々あった。これは、英語だと普通の言葉なのに、日本語にするとかなり強めのニュアンスになってしまうことが原因。
例えば平気で「それは間違ってるよ」とか、「You should〜(君は〜すべき)」ってめっちゃ言ってくる。そんなにハッキリ否定しないでよと凹むし、すべきすべきって何度も言われ続けると命令されている気分になってくる。日本語の「〜してみたら?」とか「〜する方がいいんじゃない?」とか「〜してもいいかもね」なんていうバリエーションが少ないのが英語だ。 いや、訳せば英語にもあるんだろうけど、日本ほど回りくどく言わないのが基本だし、ニュアンスはshould が大部分を網羅するっていうのがなんとなくの感覚。ちなみに私はこれが辛くて別れた。

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みんなバリバリに間違えた英語を喋っている

一見ペラペラそうに見える人も、めちゃめちゃ間違った英語を喋っている。それでも多くは大したミスじゃなく、問題なく会話ができてしまう。むしろだんだん母国語ごとに間違いパターンが分かってくるから面白くもある。例えば私は冠詞の「a/an」「the」が上手に使い分けられないし、抜かすことも多い。なぜなら日本語にないから。日本人ならあるあるミスじゃないかな?メキシカンの元彼は「Did you came?」とか「You didn't came」とか、Didに動詞の過去形を重ねるミスが多々あった。メキシコはスペイン語圏なのだが、推測するに、vienes.(あなたは来る)Vino.(あなたは来た)¿Vino?(あなたは来た?)No vino. (あなたは来なかった)と、過去のことを話すときは疑問形でも否定系でも動詞の過去形を使うから・・・か?

とにかく、英語はスポーツだから、打って打って打ちまくり、たくさんミスして実践あるのみだし、周りも間違いだらけなんだから安心してミスればいいということだ。

 

英語が喋れると世界が広がるわけ

英語で話す相手のほとんどはアメリカ人じゃない。考えてみりゃ当たり前のことだが、英語を習得してから喋ったのは圧倒的に非ネイティブの人とが多い。つまり、日本語は日本部屋の鍵なのに対して、英語は共用ルームの鍵みたいなもんなのだ。
だから英語ができるとアメリカだけでなく、メキシコやドイツやフィンランドやスペインの文化にもアクセスできるようになるのだ。
私はもともと好奇心旺盛だから、英語なんか喋れなくても海外には行けると思っていたし、そのほうが冒険感に溢れて楽しいと思っていた。でもそれは逆だった。確かに行けるけど、本当に冒険しようと思ったら、地元の人たちに潜り込めたほうが深い冒険ができる。地元の情報にアクセスしないでする冒険は、結局、ネットに記載されているレベルの情報からしか得られない、浅いものになってしまう。
安心感も、冒険の深度を支える要素だ。母国語の下に英語の表記があることも多い。その意味がさっと見て分かるとか、いざとなったときに英語スピーカーは世界のどこにもいるとか、そういう安心感は旅を支える。特に英語表記に関しては重要で、注意事項や警告が、英語に慣れていなければ目につかないので見落としてしまうのだが、慣れてくると自然と目がいく。


まとめると、英語を喋るということは英語という科目をクリアすることではなく、他の文化へのアクセス権を獲得することだと思うのであります。

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優しくならないで

 

東京は雪が降りました。桜咲く中に白い雪がまい、

花が凍ったまま、木にある様子はどこかミイラを連想させてて

とても神秘的でしたね。

ええ、会社の窓から眺めましたよ。名残雪だなあ、なんてね。

 

春になると、どうしても恋愛の話をしたくなりますよ。

少ししますね。

需要はなくても、話しますよ。

 

とかい子、どちらかと言えば雑に扱われたい人ではある。

もっというと、心配なんてしないでほしいと思っている。

(あれ、似たようなことを前に書いた気がする)

 

 大丈夫?無理しないでね、とかって、

その言葉で安心なんてできたことがない。

大丈夫じゃないに決まっている、無理なんてして当たり前である。

無理せずに何かを得られたほど、とかい子、器用ではなかった。

 

今だったら、無理しないと得られないものなんて、

得たあと、使いこなせんぞーと言えるけど。

夢中になっている、であればいいけれどもね。無理に価値はない。

 

まあ、 それはそれとして。

大丈夫などではない、無理はしている、たぶんね。

そんなときに、大丈夫か、と聞くなとは言わないけれど、

その根幹は信じてほしい、であったりする。

私の選択を、私の無茶を信じてほしいというような。

 

それで、ダメだったときは、ダメだったんかあ、どんまい、

ってさらっと流してほしい、倒れても、黙ってみておいてほしい。

 

だから、今のところ私が相手に求める条件って優しくないこと、

だと思う。

優しくない人がいい。

優しくなくていいから、見といてほしい、と思ったりするわけで。

 

人生は25からの5年間で決まるという。

私はまだどこにも行けてないけど。

私をそこそこ面白がってくれている面々がまだいるから、

もう少し、もう少し東京にいてみようと、ぼんやりと思う。

 

機嫌がいい時にするのは気まぐれで、いついかなる時も、それが難しんだ、私気が短いから

 

 

「立派な社会人」卒業します

今週のお題「卒業」

 

「立派な社会人」を卒業しました。

、、、いや、、、中退か、、、、

どうも、イナカ子です。

 

一日8時間という名の12時間労働をして、土曜は出勤で、空いた時間で趣味を楽しむ。「立派な社会人」をやめた。

そして名ばかりフリーランサーに転身、貧乏生活をしている。

今回は田舎で肩書きを失うことでわたしの身に起こったあれこれを書いていこうと思う。

 

田舎で肩書きを失うというのは、まあまあ危険なことだ。

昼近くになって外出しようものならご近所さんに「あら仕事は?」と毎回聞かれ

親戚からは「〇〇さんは学歴もないのに大企業の部長まで行けたんだからイナカ子も逆転狙える」との謎の慰め(?)激励(?)の言葉

高学歴ニートが吊し上げられる番組がテレビで流れるとすぐさまリビングに呼ばれる。

 

わたしはすっかり「人生に失敗しちゃった人」という設定になっている。

 

地銀で地道に毎日働いている友人たちと、2年ちょっとで会社を辞め、海外に出かけて貧乏なわたし。

 

・・・まあ、そらそうなるわな。

 

確かに無職とフリーランスの線引きは微妙なところがある。

フリーランスになってからそんなに稼ぎがあるかと言われれば、、、ない。

それでもわたしはこの貧乏で豊かな生活を愛してる。

 

いつしか時給にこだわることは、寿命の値付けと感じるようになった。

だから寿命が800円から5000円に値上げされたところで喜ぶことができない。

技術を売っているんだという実感が欲しい。

 

そんなこんなで先日、トルコに3週間滞在した。

今流行りのノマドワークってやつ?あれを試してみたくて。

結論、トルコはカフェにWi-Fiが通っていることが多く、物価も日本より安いので結構快適に仕事ができた。

これについては次回、詳しく書いていこうと思う。

https://www.instagram.com/p/B9lFswqFouR/

#オレンジペコ #外国のカフェ

 

海外の友人と話しているとよく驚かれるのが、会社を辞めるということが、日本ではとてもマイナスに語られることだ。

少なくともわたしの友人たちの国では、環境を変えることはいいこととされる。いいチャレンジ、ステップアップと捉えられる。

日本の場合、転職が必ずしもステップアップにならず、例えば広告代理店から制作会社には行けるけど、逆はちょっと難しいなんていう噂もある。

 

転職ですらこんなイメージなのに、もう会社勤めする気はありませんなんて言おうものなら大変なことになってしまう。

50才から上くらいの人たちにとっては、仕事を複数持つことも、フリーランスとプー太郎の違いも、「定職につかない」という言葉の後ろにある多様性も、想像が難しい。

そして田舎人は、本当にすぐに踏み込んでくる。

親戚はもちろん、近所のおばさんも、ママ友たちも、カフェのオーナーも。

 

他人の人生を勝手にジャッジしないこと。

これは基本的なマナーだと思うのだけど、田舎人にはあんまり期待しないほうがいい。

クラブのど真ん中で読書するのが難しいように、やっぱり雑音は入ってきてしまう。いくら自分が強くあろうとしても、ある程度しんどい思いをすることになるだろう。

 

これは、もしかしたらわたしが地元の人間、つまり「こっち側の人間」だからなのかもしれない。

東京から移住してきた人がフリーランサーだったら、「なんかかっこいい」になるのではないかと想像している。

 

校則でピアスが禁止だったにも関わらず、留学生のピアスは無条件OKだった高校時代のあれと同じだ。

それが、地元人と非地元人の間でも起こる。

それが田舎だ。

 

サバイバル!

三つの股穴から同時に血

こんにちは、イナカ子です。

 

先日、股から血が出ました。

原因は2cm近くにもなる子宮頸管ポリープでした。それは見つかったその日のうちにカット。

あついでに言うと膀胱炎にもなってまして、その時期はピンクの尿。

きわめつけは切れ痔ですね。もともとおしり弱めなんですけど。

便器に滴る鮮血。滴っちゃダメでしょ、そこまでいっちゃ。

 

tsumehaya.hateblo.jp

 

 

というわけで、3つの穴から血を出す惨事でした。

前と後ろはもう止まり、ポリープだけ検査結果待ち。

 

子宮頸管ポリープは不正出血があったので受診したことで見つかりました。

長いこと干物女子していたので、今回晴れて約2年ぶりに、イナカ膣に訪問者がやって来たわけです(祝)

そしたら毎回毎回出血したのですよ。

まあ久しぶりだし?わたしのおちつ、ちょいとびっくりしちゃったか?

なんて呑気に考えてたけど、あまりにも毎回のことなんでだんだん変だなと思いはじめて病院行ったらポリープあった。

まあ指にできるイボみたいなもので大抵は良性らしいけど、たまに悪性のものもあるので、取り除いたポリープは検査に出すとのこと。

これが大体10日ほどかかる。

経産婦に多い症状らしいけど、干物のイナカ子にもできました。

ポリープができちゃう原因はよく分かっていないらしい。

出血はしていたけれど、痛みは全くありませんでした。

 

病院では性交渉の有無と生理周期を聞かれ、婦人科診察台に乗って診察を受けます。

そこで見つかる子宮頸管ポリープ。

おもむろに切除し始める先生。麻酔なんかしていない。

え、まじで?待って待って待って待って

それめっちゃ痛いやつやん。それ・・・・・・

 

 

全然痛くない。

 

 

生理前みたいな重い感じは残ったけれど、大したことない。

膣ってやっぱり痛みに鈍いのか?

切除後は止血のためのガーゼが詰められて、4時間後に外してねと言われました。

もし1週間経っても出血が止まらなかったらまた来てねと。

わたしは3日くらいで止まりました。それまではなんだかんだ、ちょっと出血。

 

子宮頸管ポリープは無自覚な場合が多いらしい。

今回のわたしのような不正出血や、子宮ガン検診の際に見つかることもあるらしい。

今回の子宮頸管ポリープは約2cm。ビッグサイズ。ちゃんと検診を受けていたら、ここまでになる前に発見できたはず。

 

女子のみんな、ちゃんと年に一度は婦人科の検診受けようね!

 

イナカ子、会社を辞める。

会社を辞めた。去年の6月。

ご無沙汰しております。ブログ不投稿気味、イナカ子です(爆)

今回は会社を辞めるまでの個人的葛藤をほんの少し書き記そうかと思います。

 

当初はイナカ子も青かったので、情熱さえあればなんとかなると思っていた(笑)

だが組織というものは小さくても重かった・・・ものすごく。

そんな四苦八苦の青二才のお話。

  

イナカ子は田舎の中小企業に勤めていた。

小さい会社なんだからいいアイデア出せば通りそう!大きい会社と違って。

なんて考えていた。

だが現実は、地元以外に住んだことがなく、狭い視野のままプライドだけ育ててしまったおじさんの多いこと。

デザイン職だったので、一般のおじさんより頭は新しいだろうなんて思っていたが全然そんなことはない。

 

何が辛いって、勤めていた数年間、デザインについて苦しめた時間がどれだけあったかということ。

石頭のおじさんたちを相手にどうやって話を持っていけば通りやすいか、どのように振る舞えば話を聞いてもらえるか、そんなことばかりに疲れて。

正しいか間違っているか、良いか悪いか、ではなく「誰が発言したか」ばかり重要視されて、肝心のデザインについて議論されている場面にはほとんど出会わなかった。

 

年を重ねるとなかなか自分を変えるのが難しくなってくる、というのは往々にして耳にした言葉だが、そんなの言い訳だ。

 

そんな人は昔から、賢い器なぞ持っていなかったでしょう。

若い頃は器が空っぽなので、目上の人からうるさく言われたことをそのまま詰め込んでおけばよかった。これを、若い頃の己の柔軟性と思い込んでいる。

これがそのまま年を取り、誰からも教えてもらえない立場になったら、残ったのは怠惰な性格だけ。

変えるのが難しくなった訳ではなく、もともと学ぶことを怠けていたのだ。

 

対して勤勉な人は自分の思考を疑う。だからすぐに他の思考を知りに出かける。

時代はめまぐるしく変わるから、一時正解だったとしても次は違うかもしれない。一時の勉強で知った気にならないで、何度でも出かける。

 

学生時代は勤勉なかっこいいおじさんに囲まれていた。


だけど私が勤めた田舎の会社は、怠惰なおじさんばかり(しかも権力握ってんだよな〜〜〜〜)。

このギャップもいけなかった。

「おじさんってだいたいこういう生き物じゃん」って、諦められなかった。

 

そういう訳で、次の職も決まっていないのにとりあえず辞めた。

 

 

 

 

まあ〜〜〜〜〜〜・・・・向いてないよねわたし会社勤めとか。爆

アクリルガッシュ椿

昔を思い出し、荒ぶる心を落ち着かせる。

 

今週のお題「卒業」

おかえりの言葉のために旅に出る

もっとも遅い初雪が日本を包んでいますね。

乾いた冬の寒さは風が吹かなければそんなにしんどくなくて、

湿った空気が冷えるのは内側に染み入ってきて、ひどく悲しくなります。

(訳:加湿器つけて窓開けんな、さみい!!)

 

さて、すべりこむように、男はつらいよを見てきました。

 

いい加減で、愉快なおじさん。肝心な所、明らかに関係が変わってしまうことを

恐れて、一番楽しい暗黙の了解を共有してばかりのとらさん。

ひょっとしたら、自分なんかと一緒になったら幸せになれないと、

どこかで思っていたからなのかもしれませんな。

 

時は流れ流れて、みつおが作家としてデビューしているところから始まります。

スマホを持つ高校生、見知った東京の街並み、自動改札のホームがスクリーンに

映し出されても、何故だかやはり懐かしい。

 そもそも、みつおの娘がいい子すぎるんですよ。

おらんやろ、いまどきってくらい。

みつおはとらさんの映画と同じスピードで年を取ってきたせいか、

なんの違和感もありませんでした。

 

初恋のいずみちゃん、複数回マドンナとして登場したリリイは神保町のカフェで

ママをしていました。

ときが人を変えていきますが、思い出話は、それが、けっして変わることのない、

今はすでに失われてしまったものであれば、

もとに帰ることができるんだと、そういう話だった気がします。

変わらないものを共有している時だけ、人は過去に帰ることができるのかも

しれませんね。

 

さくらさんも、ひろしさんも、みんな何の違和感もなかった。

あの物語のまま、あの世界のまま、時がながれていました。

 

とらさん本人は過去映像でしかでてきませんが、

「いま、この場所におじさんがいてくれたら、なんていうんだろ」

という繰り返しでてくるそのセリフが、いないはずのとらさんを

何度もスクリーンに登場させてくれていたように思います。

 

チケットてうりの、席も決まっていない小さめの平たい空間の映画館

小さな規模感で見るべき映画でした。

 

 

お題「最近見た映画」