「立派な社会人」卒業します
今週のお題「卒業」
「立派な社会人」を卒業しました。
、、、いや、、、中退か、、、、
どうも、イナカ子です。
一日8時間という名の12時間労働をして、土曜は出勤で、空いた時間で趣味を楽しむ。「立派な社会人」をやめた。
そして名ばかりフリーランサーに転身、貧乏生活をしている。
今回は田舎で肩書きを失うことでわたしの身に起こったあれこれを書いていこうと思う。
田舎で肩書きを失うというのは、まあまあ危険なことだ。
昼近くになって外出しようものならご近所さんに「あら仕事は?」と毎回聞かれ
親戚からは「〇〇さんは学歴もないのに大企業の部長まで行けたんだからイナカ子も逆転狙える」との謎の慰め(?)激励(?)の言葉
高学歴ニートが吊し上げられる番組がテレビで流れるとすぐさまリビングに呼ばれる。
わたしはすっかり「人生に失敗しちゃった人」という設定になっている。
地銀で地道に毎日働いている友人たちと、2年ちょっとで会社を辞め、海外に出かけて貧乏なわたし。
・・・まあ、そらそうなるわな。
確かに無職とフリーランスの線引きは微妙なところがある。
フリーランスになってからそんなに稼ぎがあるかと言われれば、、、ない。
それでもわたしはこの貧乏で豊かな生活を愛してる。
いつしか時給にこだわることは、寿命の値付けと感じるようになった。
だから寿命が800円から5000円に値上げされたところで喜ぶことができない。
技術を売っているんだという実感が欲しい。
そんなこんなで先日、トルコに3週間滞在した。
今流行りのノマドワークってやつ?あれを試してみたくて。
結論、トルコはカフェにWi-Fiが通っていることが多く、物価も日本より安いので結構快適に仕事ができた。
これについては次回、詳しく書いていこうと思う。
海外の友人と話しているとよく驚かれるのが、会社を辞めるということが、日本ではとてもマイナスに語られることだ。
少なくともわたしの友人たちの国では、環境を変えることはいいこととされる。いいチャレンジ、ステップアップと捉えられる。
日本の場合、転職が必ずしもステップアップにならず、例えば広告代理店から制作会社には行けるけど、逆はちょっと難しいなんていう噂もある。
転職ですらこんなイメージなのに、もう会社勤めする気はありませんなんて言おうものなら大変なことになってしまう。
50才から上くらいの人たちにとっては、仕事を複数持つことも、フリーランスとプー太郎の違いも、「定職につかない」という言葉の後ろにある多様性も、想像が難しい。
そして田舎人は、本当にすぐに踏み込んでくる。
親戚はもちろん、近所のおばさんも、ママ友たちも、カフェのオーナーも。
他人の人生を勝手にジャッジしないこと。
これは基本的なマナーだと思うのだけど、田舎人にはあんまり期待しないほうがいい。
クラブのど真ん中で読書するのが難しいように、やっぱり雑音は入ってきてしまう。いくら自分が強くあろうとしても、ある程度しんどい思いをすることになるだろう。
これは、もしかしたらわたしが地元の人間、つまり「こっち側の人間」だからなのかもしれない。
東京から移住してきた人がフリーランサーだったら、「なんかかっこいい」になるのではないかと想像している。
校則でピアスが禁止だったにも関わらず、留学生のピアスは無条件OKだった高校時代のあれと同じだ。
それが、地元人と非地元人の間でも起こる。
それが田舎だ。
サバイバル!