ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

私は私自身の証人である

いつの間にかとしがあけ、
クリスマスと正月がおわって、なんなら、
もう節分がちかい。
やめてくれ。
どうも、とかい子です。

かきのこしておきたいことは多いのに
中々まとまって考えられてません。

先輩の誕生日もすぎてしまいましたが、
お誕生日、おめでとうございます。
今年も何かおくりたくて、
どうにか、渡せないかとおもっていたんですが、
アマゾンのブックリストを
はりつけるか、落語のリストをはりつけるか、いづれもうまくはまらなくて。

考えることや感じることを大切にする、
先輩の日常の、些細な変化になればとおもって、
20の問を贈ります。

どうぞ、暇潰しの合間にでも。

1 毎日の変化で楽しみにしていることはなんですか?

2 何か1つの習慣と引き換えに手に入れたい習慣はありますか?

3 どこか一ヶ所だけ、叩き潰せるとしたらどこですか?

4 人はみな、誰かの代理人であるとして、先輩はどんな人の代理人だとおもいますか?

5 もう一度体験したい瞬間はありますか?

6 何でもおける喫茶店があるとして、何をおきたいですか?

7 自分だけの秘密基地をつくるならどこがいいですか?

8 やれない理由とやらない理由は同じだと思いますか?

9 意思は本来強いものだとおもいますか?弱いものだとおもいますか?

10 目に見える、ということは、触れられるということと同じだと思いますか?

11 この世のラブソングに必ず入れなければならない単語があるとしたら、どんな言葉にしますか?

12 今日はとても楽しかった、を、言い換えるとなんと表現しますか?

13 何かを達成することは、どういうことだと思いますか?

14 努力は必要ない、というフレーズをどう解釈しますか?

15 旅先を誰かと交換できるとしたらどんな人と交換したいですか?ただし、行き先はわからないものとします。

16 今年は何をやめる年にしたいですか?

17 忘れたくないなと思った出来事はなんですか?

18 世界中の落書きを消せるとしたら、どこの落書きをけしたいですか?

19 言葉に色がつくとして、おはよう、はどんな色だと思いますか?

20 この記事を書きながら聞いていてほしい音楽はなんですか?



お元気ですか?
変わることのないまま、お幸せでしょうか。

今年は吉田拓郎のラストアルバムがでますね、
その時は感想をまたつらつらとかきます。

落語のリストも、本も。

それでは、また。

ふりむくなふりむくな、後ろには夢がない。

またこの先で会いましょう

犬も歩けば棒にあたる 方向音痴は歩いて直す

いつの間にか年末が近くなっていますね。

例年よりも忙しい時期が早く来ているような気がします。

どうも、とかい子です。

 

私は自他ともに認める方向音痴で、

よくトイレにいっても戻ってこれなくなる。

行きと帰りで風景が違うので、一致せず、逆方向に歩いていくことしばし。

スマホを持つまでは、マジで紙の地図握りしめて旅行し、

全然いきたいところには行けなかったが、行く先々の偶然の出会いを楽しんでいた。

 

東京に来てからというもの、思考が変わったのか、ただの住宅地ですら

歩くのが楽しく、適当な方向に歩いては、路地をのぞき込んだり、

空き家をのぞき込んだり、祠や雑貨屋さんをのぞき込んでは、日がな1日

過ごしてしまう。

一時期、あちこちお墓をめぐるのが好きで、1日で4か所くらい

めぐっていた。 

お墓を風が通り抜けると卒塔婆がぶつかり合って、

パタパタとなる音は九州ではなかなか聞けない音なので、

それが珍しかったのかもしれない。

 

そんなわけで一人で買い物に行くと、あっちふらふらこっちふらふらして

片道1時間以上かけて最寄りのスーパーに行くことがある。

その日もいつも曲がったことがない、曲がり角を曲がってみると、

長屋スタイルで三軒連続して、雑貨屋と文房具屋さんと古着屋さんが

並んだとおりに出た。

 

「おお、こんなところが」

 

www.web-across.com

 

何だか統一感のない品々で、木彫りのクマが置いてあるかと思えば、

落語家の手ぬぐいや、古いジッポがおいてる。

所狭し、という感じはなく、すべての商品が自分の場所に収まっていて、

決して雑多な感じは受けない。

積み木の家のような、店内だなとあちこちうろうろ。

 

「ちょうど、音楽流し終わったんですけど、何か

すきな曲はありますか?」

 

と、人生初の心使い。そんなことしていただけるのね、という

驚きも手伝って、ぱっと出てこなかったが、

スローテンポのピアノメインの曲を、とお願いする。

PCで探すとかではなくて、ぱらぱらとCDをめくって

探してくれる。しばらくすると、ジャズが流れてきて、

聞いたことないけど聞いたことのあるフレーズ。

 

探検をするように決して広くない店内を散策する。

小倉百人一首、木彫りの仮面、着方のわからない古着、

漂着したような品々を見ていて、足元にレコードの山を見つける。

 

多くが知らない洋楽だったが、吉田拓郎やTHE BANDなど、

ちょいちょいわかる名前を見つけては喜ぶ。

 

奥にもあるな、と落語のレコードなんかも見つけて、しげしげと

解説文を読む。2枚、3枚とめくって、ひときわカラフルな、レコードを

見つけた。

 

銀杏BOYS DOOR 1stプレス

 

www.youtube.com

 

おお、と思わず声がでる。

私はそこまで彼らが人生に登場してきてくれたわけではないが

想い人さんの人生にはもはや張り付いているといっても過言ではないだろう。

 

2007年、GOING STEADYの活動休止後に出されたアルバムで、2020年にも

再販?されたのだったか。

 

たぶん。買った方がいいだろう。

この店舗では、独自通貨、こい券でやり取りされている。

もちろん、日本円も使えるとのこと。

よい経済システムだ。

 

「お金をおろしてくるので、待っていてください」

 

と、方向音痴の悲しいところで、同じルートでしか

行って帰ってこれないので、寄り道を含んだ無駄の多いルートを再度、

必要な金額を握って戻ってくる。

 

たぶん、妥当な値段なんだろうという金額を支払い、

あとはSEIYUで、季節の野菜をかごに放り込む。

白菜よ、君はなんて頼もしいんだ。

君がいてくれたから、超えられたよると迎えられた朝は

もはや数えきれないものがある。

いいよね、1玉、120円。 

 

食材でいっぱいになったカバンで、ぺらりといれらたレコードを

押しつぶさぬよう、気を付けつつかえる。

 

思い入れがあるものだから、買わない方がよかったか、

余計なことしちゃったかと、道すがらどきどきし始め。

家につくころには後悔の念が勝っていた。

 

もし持ってたらどうしよう、持ってなくても、さほどいらなかったら

どうしよう。

変なトリガーになったりしないか、と、不安な気持ちのまま、

てしてしとスマホの画面をスクロールする。

いらないといわれたら売らねばならない。

 

正面切って渡して、気を使わせても嫌だ。

床に目立つように置いてみる。

荷物を置くときに嫌でも気が付くだろう。

ぐぬぐぬと思いながら、少し濃いめのクリームシチューを作る。

今日はパンと一緒に食べたい気分である。

 

もうすぐ帰ってくるか、とじりじりしていると、かちゃんと

鍵の開く音。

思わずトイレに駆け込んで、息をひそめてしまう。

いないの?と呼びかけつつ、家に上がる気配を感じ、

そして(相変わらず)一向に気が付かない様子に、おずおずと

トイレから出る。

何してんのという、声を無視して、半笑いのような顔で、

部屋を指さす。

何?なんのこと?と全然気が付かない様子に、あれ、やっぱり

あんまりいらんかったんかな。。。?と不安になったところで、

はあ!?というこえが聞こえる。

 

どこにあったん?と、故郷のイントネーションで尋ねられる。

雑貨屋さんにあった、と、わたわたこたえる。

裏面をみて、本物だ、とつぶやいて、なぜか、うええっとえづく。

 

LPを手にもった姿をかがみに映す。

「鏡に映ってるからほんものってことだよね?」

「手を離した瞬間に無くなったりしない!?」

と、思ったより喜んでくれて、

これもらっていいの?所有していいの?と念押しされる。

 

そのあとは、胸がいっぱいだわ、、、と言いながらご飯食べてた。

 

食い入るように、手書きの歌詞カードを見ていた。

 

寄り道するといいことがあるなあ、とうれしくなった出来事だった。

 

LPを再生してもらえるバーとかあれば持ち込めば流してもらえるのかなあ。

f:id:tsumehaya:20211122210524p:plain

 

住江の岸による浪よるさへや

忘れえぬ夢、というのがいくつかあります。

何度か見る夢であり、ときおり思い出す夢であり。

満月が近くなったからでしょうか、先輩の夢を見ました。

 

以前はよく月の写真を送ってくれていたことを、思い出します。

月の土地を誕生日に送ったことを、寒空に浮かぶ月が思い出させます。

 

夢の中で先輩は、また、あちこちでかけるのだと言っていました。

理由を尋ねると、彼女が行きたいというから、と。

夢ですから、どんな表情をしていたかまではわかりませんが、

少し心配になって、そばに行こうとしたところで目が覚めてしまいました。

 

後悔ないほど、遊び尽くしたことは、間違いないでしょう。

そんな先輩の話を聞くのが大好きでしたし、

面白がられる自分でありたい、いつか道が交差するような、

面白い歩き方をしたい、しようと、今でも思っています。

 

月がきれいな晩ですが、今でも空は眺めているでしょうか。

寒空に椅子を広げて枕もって毛布にくるまって

三脚を立てているでしょうか。

 

少し感傷的になってしまいます、夢見のせいですが。

今も変わりません。

変わらないままの先輩で、どうぞ、幸せになってください。

何かに鈍感になることもなく、何かをあきらめることなく。

変わらないまま、幸せになってください。

 

ただ静かに月に祈ります。

 

f:id:tsumehaya:20211021230411j:plain

 

 

 

 

 

3億光年の先で輝く

しつこかった夏が終わり、ようやく、あっさりとした秋がきましたね。

絶妙に木々の緑が深みをまし、夕方には空が茜色に染まる、

この季節が好きです。

どうも、とかいこです。

 

さて、ワクチンの副反応で、腕でも折ったのかという、

麻酔が切れたような逃げ切りがたい痛みを耐え、先週以前から気になっていた、

三鷹にある国立天文台に行ってきた。

日本の研究所と大学が共同で利用する研究機関であり、

ハワイ、長野などに散らばる天文台の本部だ。 

 

最先端機器がいくつもあり、目に見えないあらゆる信号を受け取り続けているこの施設では、

天文学、天台物理学の研究者たちが、その膨大な知識量と、探求心をもって夜空を読み解いている。

 

与えられた問の解き方を教わるのが義務教育だが、

こうした、学問の真髄にいる方々は、解くべき謎をつくることからはじめている。

f:id:tsumehaya:20211004225658j:plain

国立天文台 三鷹キャンパス

 

かつては、東京都港区、今の麻布近くにあった施設は、近辺の開発で

周囲の街頭が増え、天体観測に適さなくなったことから、現在の三鷹市に移設された。

当時は、田舎に行くのを嫌がった研究者もかなり多かったとのことだが、

関東大震災を機に、移住が進んだという。

三鷹の森の姿を残したこのキャンパスは、静かで、そしてやぶ蚊が多い。

mitaka-campus-2019-3.jpg (5760×3840)

 

違う角度からとった写真を見ると、奥にはお隣にある調布市の空港が見えるし、

富士山も見える

次いでに、調布市には航空宇宙センターがあって、三鷹のずっと先の

国分寺市には、ロケットの開発をしていた施設があるから、中央線沿いは、

宇宙に近い場所らしい。

 

まあ、先述の通り、都心からアクセスがいいわりにしっかり田舎で観測しやすい、

というのが大きな理由だと思うけど。

その三鷹市ももはや夜空の観測には向かず。 

東京の本部では主に太陽の観測や、重力波の観測が主になっている。

 

f:id:tsumehaya:20211004233410p:plain

かつての三鷹の森の姿残し続けるこのキャンパスには、

遺跡と呼んでも差し支えない、ふるい観測設備が残っている。

 

f:id:tsumehaya:20211004233538p:plain

大正10年に完成した望遠鏡

f:id:tsumehaya:20211004234944p:plain

昭和5年に完成したアインシュタイン

ドイツにあるアインシュタイン塔と同じ目的でつくられたため、通称「アインシュタイン塔」と呼ばれるこの建物は、この建物の中に望遠鏡があるわけではない。

この施設そのものが大きな望遠鏡だ。

今は、内部の見学はできないが、その歴史的重要性から国指定重要文化財

指定されている。

 

それぞれの設備は、観測者による誤差も多く、熟練の研究者たちによって

あらゆる観測が続けられていたが、その多くが2000年になる前に役目をおえ、

歴史的価値を示すのみとなっている。

現在は、正確にそして精密に情報をキャッチする電子の力が

この施設達が築いた歴史を引き継いでいる。

 

f:id:tsumehaya:20211004235517p:plain

 

開けた空間に、まだそれぞれの機器たちだけが受け取れる信号を

変わらずに受け止めている。

受け止めた信号もまた、こちらが真剣に学んでも読み解くどころか、

片鱗をつかむことさえできないだろうけれども。

 

f:id:tsumehaya:20211005001105p:plain

 

唯一の意味しか持たないもの、誰かが覚えていなければその意味も価値も

失われてしまうもの。

けれども、廃れることはなく、ただ、何かを証明し続けるもの。 

 

そうしたものが静かにたたずむこの空間に一人、

なんだか世界の終わりってこんな感じなんだろうなと

ぼんやり思いながらシャッターを切る。

 

くるっているのは、あんたなんだってつぶやいて

ぼんやりとが空を眺めまわしては、聞こえないふり、なんてね。

赤みのかかった月は、地平線の近くにある月だから、ちょうど今頃かな。

 

f:id:tsumehaya:20211005000602p:plain

 

天文台の中には、宿泊施設がある

観測時間は夜が多いだろうし、長期にわたるだろうから、そのための施設だ。

当然、今は、普通のアパートのような宿泊施設だが、

当時の寄宿舎が今も敷地内に残っている。

二世帯が暮らせるよう、増改築された建物は、

当時の姿を残したまま、今は子ども向けに

絵本があったり、星や森に関する展示品が置かれた

施設となっている。

 

www.city.mitaka.lg.jp

 

子ども達が中庭を駆け回り、

古民家にぎっしり詰められた絵本や

子ども向けにわかりやすくつくられた

宇宙に関する展示品が設置された家の中は

年齢問わず楽しめると思う。

 

f:id:tsumehaya:20211005001807p:plain

 

知的好奇心が満たされる、

良き場所でした。

今度は夜にきたい。

住めば都~そぞろ歩き編①~

冬前に雨が降るこの感じは、

福岡の夏の終わりを告げるようで、ふと懐かしくなりました。

どうも、とかいこです。

 

ワクチンだ、コロナだ、総裁選だ!と

世間は騒がしいですし、さりとて、自分の世界だけに縮尺縮めてみても、

やっぱり騒がしいこのころです。

先輩、元気してます?

 

ワクチン2回目の想い人さん、図らずもPCRも受けて陰性、

私よりしっかりコロナ対策してますね。

副作用が怖いから、週末はゆっくりしておこう!という、

私の個人的な思惑は置いておかれ、二人で世田谷線散策に出かけました。

路面電車ですね。

 

www.tokyu.co.jp

 

端から端まで行っても、

だいたい20分くらい。長崎とおんなじだなあ、と思いつつ。

 

何のプランもなく、招き猫発祥の地の豪徳寺吉田松陰をまつる松陰神社

戦後の闇市の名残をいまだ残す三軒茶屋というあるあるなコースを

巡ることに。

 

まちをふらふらしているだけでもちょっとした発見はたくさんあって、

面白いもので。

豪徳寺は、緊急事態宣言中は閉めているようでしたが、きれいに手入れされた

庭園が印象的でした。井伊直弼の墓があるそうです。

gotokuji.jp

 

 武士が猫に手招きされて、寺によったら、自分が立っていた場所に

雷が落ち、それが幸運を呼ぶ招き猫のきっかけになった、という伝承を

聞いたことがあったんですが、その武士が井伊直弼だったとのことで。

秋に来たら紅葉がきれいなんだそうです。

 

それから、松陰神社、言わずとしれた、ですが。

もう、お金かけてます!って感じの神社でした。

実際に吉田松陰がこの地に埋葬されていて、そこに神社ができてるそうで、

今は学問の神様として参拝者が多いようですね。

村下塾は2年間しか開いていなかったのに、90人も門下生が出たんですね。

1年あれば、人はかわれるんだな。

菅原道真と、どっちの方が強いのかしら。

率先してお賽銭を投げて、二礼二拍手一礼する思い人さん。

 

めずらしーと思っていたら、重要な一戦を控える彼の軍の必勝祈願でした。

やることやった後の、ダメおしの神頼み。

 

こう、神社とか行くとつい、絵馬をみてしまうんですが、その中に、

 

「大切な人が合格しますように。そして、いつかまた会いたいです」

 

というのがあって、うるうるきました。

前半は祈りなのに、後半は会えますようにではくて。

かなってほしいような、かなわないほしいような、そんな、

人の心の機微を感じて、切なくなってしまいます。

 

神社前の商店街はこの神社が建ってからできたそうなので、

比較的新しい商店街ですね。飲食店街となっていない、雑多な業種が

混在しているのは、比較的新しいが故なのかと思ったり。

 

なんて、ふらふらしながら、三軒茶屋闇市跡である、

通称三角地帯へ。

周りは、再開発が進んで、高度利用が進んでいる中、

急に建物の高さが低くなる当たり、ゴールデン街と同じような

まちの成り立ちを感じました。

 

f:id:tsumehaya:20210907164831j:plain

www.timeout.jp

 

新宿とは町の発展の歴史が違うからか、アングラな雰囲気こそありますが、

昭和レトロな感じで通用する気楽さがありますね。

ゴールデン街はちょっとやはり、背負っている歴史が作り出す、

空気感がありますが。

周辺では再開発も進み、このエリアもあと4,5年でが姿を変えるでしょう。

 

感傷に浸りつつ、あちこち眺めながら帰宅した翌日、

一緒に行ったおもい人さんは、

「実は副作用であたま痛すぎてあんまり覚えてない」だって。

 

もう。

 

疑わしきは罰せよにしたがって、今後寒い日暑い日、季節の変わり目、

イベントの翌日はお出かけしない。

 

雑記 

 

こう、どうしても月末は考えてもどうにもならないことや

普段意識していない小さなあれこれが思考回路のあちこちで

目詰まりを起こしているような感覚になる。

 

散漫な集中力は、小さな達成感さえももたらすことはなく、

なんとなく目の前のことが終わって、

なんとなく疲労感だけがのこり、

それらのバランスをどうにか取ろうと奮闘しているうちに、気力がつきてしまう。

 

ここ数日、毎日いやな感触のものかみしめているような不快感が付きまとう。

それらを無視するのにも疲れてしまう。

耐えて過ぎるのを待つばかりだ。

 

苦しみも悲しみも個人に属する。

分かり合うことも分かち合うことも本来はできない。

個人の感情の発散先になって、相手の気持ちを楽にしてあげることはできても、

悲しみそのもの、苦しみそのものを分かち合うことなんてできない。

 

結局。

勝手にそばにいるだけだ。

それが、なんのためになるのかなんてわからない。

 

時折そのあたり前の事実に、がっかりしてしまう。

私だって、結構いろいろ我慢してるつもりなんだけども、なんて、

たまに湧き出しそうな思考をせき止める。

 

いいんだ、負担感の公平性を求めてはいない。

欲しいのは幸福感の分散だ。

 

私の苦しいとあなたの苦しいは違う。

それを感じる瞬間も量も何もかも違う。

負担感を公平にすることなんてできない。

同じ作業をしていても、その負担感は違う。

 

だから小さなことに幸福を見出して、

その一つ一つを蓄積してくいく。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

そして、それが相手の幸福やうれしいにつながっていると

なお幸せだ。

結局、私の幸せの一部は間違いなく周りの人間関係に依存している。

 

あなたたちが幸せになれる世の中をつくる、

その一端を担いたいと、大げさに思っていたことは、

肯定されるものではないけども、泣き顔の自分がまだしっかりと抱えて

いるような気がして、多少大人になった自分が否定できるものでも

ないかなあ、なんて、また抽象的な思考に沈む。

 

 

いつまでも境界人を続けていられるほど人生は長くないと思うんだけど。

 

 

たまにはさ、たまには。ほんとーに、3年に1回くらいでいいから。

報われたいなあ、なんて思っちゃう。

 

たまにでいいんだ、たまには。

 

しんどいなあ、、、、、 

 

先輩にあてて~これやこの 行くも帰るもわかれては~

 

自分のPCを手に入れてから、はや10年。

人に買ってもらったパソコンから、自分でPCを買った。

 

これまでに、たくさんの人とであって、そのうちであったことさえも

忘れてしまった人もたくさんいる。

 

集中力が保てずに無気力に時間が流れてしまうことも本当に多くなった。

この3年ほどは自分だけで立っていられなくて、人間的ほころびがすさまじい。

だから、本当に周りの人を大切にしないと、という気持ちでいっぱいだ。

 

フリー素材のような、使い勝手の良い人間になりたかったのに、

もう難しいように思えてしまう。

 

人は変わらなくても、環境は変わる。

大切にしていかなければならないことも変わっていく。

変わりゆく環境の中、変わらないままで居続けるには、

同じように変わっていかなければならない。

何が大切なのか、何を守るのか。

私たちは、同じような状況にいると感じて、

ふざけて笑いあうのにだって、根性が必要なタイミングにきているんだと思う。 

 

だめだ、書きながらまた涙でてきた。

 

出会って、たぶん、10年近く。

その間、私は6度の引っ越しと、2回の失恋をし、

人生初の同棲を始めた。

 

先輩は、変わらず、旅をして考えて、言葉にして出会って、

また考えて、相変わらず、足るを知る、という熟成期間を過ごしている。

 

もう、同じ時間を生きるのは難しいようだ。

 

電車からおりて、すっかり、いつもの帰り道になった通りを

あふれる感情がアルコールで流れていけばいいのにとだくだくと流し込む。

泣きじゃくりながら帰り、泣き疲れて寝た。

 

さよならを言える別れは、言えなかった別れよりは多少ましだ。

さよならを言う覚悟と準備ができるから。

 

どうか、どうか。 

変わらないままで。何も変わらないままで。

大多数の普通や、時代を無視した価値観に迎合することなく、

今のままの、今のままの先輩で、幸せになって。

 

その環境で幸せになれる先輩に変化することなく、

今のままの、誰からから理解されることは少ないかもしれないけど、

今のままの先輩で幸せになってほしい。 

 

「振り向くな 振り向くな 後ろには夢がない」

 

いづれ、この先で会いましょう。

 

「これやこの 行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも 逢坂の関」