ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

雑記 

 

こう、どうしても月末は考えてもどうにもならないことや

普段意識していない小さなあれこれが思考回路のあちこちで

目詰まりを起こしているような感覚になる。

 

散漫な集中力は、小さな達成感さえももたらすことはなく、

なんとなく目の前のことが終わって、

なんとなく疲労感だけがのこり、

それらのバランスをどうにか取ろうと奮闘しているうちに、気力がつきてしまう。

 

ここ数日、毎日いやな感触のものかみしめているような不快感が付きまとう。

それらを無視するのにも疲れてしまう。

耐えて過ぎるのを待つばかりだ。

 

苦しみも悲しみも個人に属する。

分かり合うことも分かち合うことも本来はできない。

個人の感情の発散先になって、相手の気持ちを楽にしてあげることはできても、

悲しみそのもの、苦しみそのものを分かち合うことなんてできない。

 

結局。

勝手にそばにいるだけだ。

それが、なんのためになるのかなんてわからない。

 

時折そのあたり前の事実に、がっかりしてしまう。

私だって、結構いろいろ我慢してるつもりなんだけども、なんて、

たまに湧き出しそうな思考をせき止める。

 

いいんだ、負担感の公平性を求めてはいない。

欲しいのは幸福感の分散だ。

 

私の苦しいとあなたの苦しいは違う。

それを感じる瞬間も量も何もかも違う。

負担感を公平にすることなんてできない。

同じ作業をしていても、その負担感は違う。

 

だから小さなことに幸福を見出して、

その一つ一つを蓄積してくいく。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

そして、それが相手の幸福やうれしいにつながっていると

なお幸せだ。

結局、私の幸せの一部は間違いなく周りの人間関係に依存している。

 

あなたたちが幸せになれる世の中をつくる、

その一端を担いたいと、大げさに思っていたことは、

肯定されるものではないけども、泣き顔の自分がまだしっかりと抱えて

いるような気がして、多少大人になった自分が否定できるものでも

ないかなあ、なんて、また抽象的な思考に沈む。

 

 

いつまでも境界人を続けていられるほど人生は長くないと思うんだけど。

 

 

たまにはさ、たまには。ほんとーに、3年に1回くらいでいいから。

報われたいなあ、なんて思っちゃう。

 

たまにでいいんだ、たまには。

 

しんどいなあ、、、、、