ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

恒久的な欠落を愛してこそ

5月ももう残りわずか。

あっという間に6月ですね。日本の方の多くが3月、年度という

時間軸が大きいと思いますが、1月から考えると、もう1年の半分が

終わったのか、、、、と思うと戦慄が走りますね。どうも、とかい子です。

 

さて、思わぬ自粛期間がありましたが、幸いにして、

居場所を分けてくれた人がいたおかげでどこまでも沈み込む、

という事態を避けることができました。

ありがとう。

こんなことを言うと、うわあ、、、と思われるかもしれませんが、

空気にはちゃんと重さがあって、それは沈黙の時だけに感じられます。

 

1人の時の沈黙はほんっとに無慈悲なまでにかっるくて、つかみどころがなく、

無意味に深呼吸を繰り返してしまいます。

相手のいるときは心地よい沈黙というのがちゃんとあって、

心地よく身の周りに沈みこんできてくれるようで。

自分の感じている幸福のほんの少しでいいから、相手にも伝わっていますように、と

思う日々でした。

 

さて。よし、めいっぱい幸せ振りまいたところで。

今日はとかい子の本質的な所を相変わらず書いていく。

というか、吐き出さねばうっかり先輩にでもぐちってしまいそうで

そんなことは許されないから、仕事中だけど吐き出す。

 

テレワーク中は、自ら仕事を生み出さねば!と思いつつ

ぼやあとしてしまっていたので、私はやはり組織が必要な人間だ。

だが、本来的に、私はものすごく自己肯定感が低く、行動力の源泉は罪悪感だ。

人の前にいて、何かを伝えてその反応だけで、ようやく、

ああ、自分にも多少何かできたな、と息をする。

 

人の悪意には基本的に弱い。油断すると、すぐに涙が出る。

だから、相手の求めるものに対するすり合わせは丁寧にしたい。

共通認識が形作られるまで本当は動きたくない。

18から本日に至るまで、いわゆる、バイト、仕事、と言う場で抑圧タイプで

かつ管理型の上司であったためか、

毎日割りと形の合わないピースを削り取りような気持ちで仕事をする。

人とコミュニケーションをとる全ての時におびえている。

これはもう仕方なくて、無駄に人の顔色を読み取ってしまうこともあり、

引き際だけがうまい自分がいる。

 

熱意が向けられない仕事の成長率は遅い。

分かってるんだけども。

被害者ずらをしている場合ではない。

 

いつだってここは高座なんだって、そう思って今日を過ごす。

どんな高座だって上がってみないとお客さんは分からない。

上がってしまえば、ただ一人。言い訳のない、シンプルな世界。