GWですね。
社会人になって、おそらくこの先仕事を辞めるまで一生ないであろう、
長期休暇の真っただ中にいます、どうも、とかい子です。
サンライズ出雲に乗って、東京から倉敷へ向かいました。
サンライズ出雲、最初は快適じゃーんと思ったんですが、床も床暖ついて
あったかかったし。いかんせん床、固いんですよね。
もう、腰が痛くって。キャンプ用のマットとかあるといいのかも。
寝台列車というと、石田衣良の小説を思い出すのですが、一冊の本を探すけど、
その本は実は存在していなくて、見たいな話だったと思うんですが。
タイトルまったく思い出せないので、
石田衣良じゃなかったのかなあとも思っています。
電車好きの方が多いのか、電車に関連する標識のキーホルダーをカバンに
つけている方や、大きなカメラで何枚も写真を撮る方など、それぞれ、
移動すること自体をとても楽しんでいることが伝わってきて、
いいねえ、と思いつつ。
夜行バスももう、数えられないほど乗ったけど、やはり、年々眠りに落ちるまでが
困難で、多少酒を入れていくのが恒例行事。
少し高めのお酒を二本ほどかって、大きな窓のある電車ならではの風景を眺めつつ
胃の中に流し込む。
程よくよいが回ってきたころに眠ってしまう。消灯時間を過ぎるまでは、そんなに
速度を上げない電車も、深夜になるころ、終電後の世界では、いくつもの駅を飛ばして
進んでいく。
浅い眠りのまま、早朝6時半に到着。
夜行バス到着後、することない問題に直面しつつ、とりあえず情報収集しながら
駅のトイレでごそごそ着替える。
朝ごはんを食べたい。
朝ごはんを食べられるカフェを探して移動。
この時はコーヒーを頼んだのだけれど、後から調べたら紅茶の店だったのね、、、
知らなかった。
朝7時半という早い時間から開いており、店内には本やらCDやらで。
カフェとギャラリー兼用の店舗なんだろう。
600円のモーニングセットを頼み、棚にあった萩原慎一郎の滑走路という詩集を読む。
急ぐ旅でもない。31歳でこの世を去った、彼もまた、同じように東京の四角く切り取られた空を見上げながら、
言葉をつづっていたのかなあと、ページをめくる。
そろそろも店も開いてくるころか、と、店舗を後に。
商店街を抜けて阿智神社へと向かう。
途中にある教会にもよる。
終日解放の礼拝堂に入ると、神社やお寺と同じように、何もいないけど
何かいるような、そんな独特の空気感。
反響する室内に自分の足音がこだまする音を聞きながら、最前列に座って
ぼやあと眺める。
空気に飲まれているだけだろうけど、ぱたぱたっと涙がでる。
あと何回、神頼みをするんだろうな、私。
渡来人の帰化の歴史とも関連するこの神社、小高い丘の上に立っており、
町内を一望できるようになっていた。
後は、和算の奉納もあっているようで、まだ真新しい問題も奉納されていたから、
保存会のようなものが残っているのかもしれない。
あとは、樹齢200年を超える藤。
藤は大木にはならないからその樹齢を感じることは少し難しいけれど
2段にわたる藤棚が一本の木から伸びている状態からその時間の長さを感じる。
いや、迫力だけなら福岡の藤棚とかの方がすごいけどね。
後は、おみくじを自分の干支に結んでいくものがあった。
竜のひげやら、蛇の下やらに結び付けられていて、若干罰当たりそうだなと思わなくはない。
こんなのもあるんだあね。
相変わらずどういうルートで歩いているかわかっていないのだけれども、
白壁通りに出ることに成功する。
現役の呉服屋さんなんかもあって、張りぼてではない暮らしの中の建築を感じた。
倉敷といえば、マスキングテープ、本命だったMTの直営店はお休みだったけど
負けず劣らずの店舗で爆買いする。
かわいいーはさんするーかわいーはさんするー。。。
引き続きふらふらと抜けてアイビースクエアー
もともと、紡績工場だったとことろを改装して使っているそうで。
ここに、記念館があったのだけれども、大変に素晴らしかった。
労働者福祉はここから始まったのだということがよく分かった。
労働者は道具同様の扱いを受ける中、社員の幸福をということで、教育や文化芸術についても学べる環境があったことは、非常に興味深く、
社会問題研究所というものが、あったことも知らなかった。
棟方志功の書などもあり、非常に見ごたえのある場所だったと思う。
健康診断もここから始まったそうで、そうして、先人たちの知恵の上に成り立つ
制度なのだから、ちゃんと受けなきゃな、という気持ちになった。
旅行先というのは、ご飯を食べるタイミングを失うもので、
ここで飲んだのはご飯変わりのチャイぐらいなもんでした。
何気に入館料とかかかるから、そんなに食べれないのよね。。。。
続く