イナカ子は、愛とは自分への洗脳であると思っている。
これをわたしの愛しい人とする、と定め、そうなるよう組み立てるのである。
どこかから泉のようにとめどなく湧き出るものでも、天使が運んでくるものでもない。
愛の入り口にあるのが恋である。
緩やかなもの、激しいものあれど、せいぜい数年で終わる。
恋は単なる刺激物である。
大体はこれを愛と錯覚し、勝手に溢れ出る何かと勘違いし、終わっていく。
さて、愛とは洗脳である。
ここで、わたしは「恋人は冷蔵庫」説を唱えたいと思う。
あちらこちらに売り出してある冷蔵庫、だが中身は購入後開けてみないと分からない。
開けてみると大根一本しかないものもあれば、肉、魚、野菜、飲み物がバランスよく入っているものもある。
一度購入したら、そこにある食材でどうにかおいしいものを作るしかないのである。
視界の端に見える金ピカの冷蔵庫、新しそう。欲しい。
向こうの冷蔵庫、どうやらカラスミが入っていたようだ、欲しい。
そうやって端から開けていく楽しみもあろう。
ハズレを引いたら捨て置いて次の冷蔵庫を開ける。
選び、試してはまた選ぶ。
満足はしないがこれはこれで楽しいのである。
さて、それに飽きてくると今度はそろそろ満足したくなる。
選ぶことに疲れてもくる。
愛、というものに憧れてくる。
そこで、初めて手の中の大根に目を落とす。
冷蔵庫にはこれしか入っていなかったけれど、アレンジを加えてどうにかバラエティー豊かに食べられないか。
いや待て、振りかざせば武器にもなるな。
高さ的に、枕にちょうどいいかもしれん。
こうやって、「これが私の唯一の冷蔵庫だ」と、自分を洗脳する作業
これを愛と呼ぶ。