ツメが伸びるのはやいねん。

都会に住むトカイ子と、田舎に住むイナカ子が、都会砂漠と田舎沼をサバイバルする日記。

いのちにきらわれている

 

というタイトルの曲に最近ハマっています。

あと、病名は愛だった、とか。

キャッチコピーの作り方で、一番簡単な手法としてギャップのある

言葉を組み合わせるという技術があるけれど、ここ最近で一番キャッチー。

すごく新しい視点。いのちって、いのち視点で語られることはなくて、

当然のように、私達は自分の所有物としてためらいもなく使うけど

もしいのちに意思があったら。そういう思考をしているときに

病名は愛だった、なんて言われると、とかい子の思考はその辺の小学生よりも

そらもう豊かな想像力を爆発させてしまう。

 

てきせつな量をてきせつなタイミングで摂取し続けなければいけない。

ある日突然止めてしまうと、苦しい離脱症状がまっている。

処方箋は何パターンもあって、どこでももらえるのかもしれないけど、

受け取ったものが自分にあうかは飲んでみなければわからない。

飲んでみても、効果があったのか、なかったのかがわかるのはすぐではない。

愛なんてのは、きっと毒と一緒で、昔本当かどうかは知らないけれど、

くのいちが赤ん坊のころから毎日少しずつ毒を摂取して、ありとあらゆる

抗体をみにつけたように。風の谷のナウシカの原作のように。

なければ生きられないのに、どこで得られるかは分からないなんて、なんて

厄介な毒なのか。

 

ましてや、効力を発揮するのはずっと先だったりする。

親のしつけなんて、感謝できるようになるのはずっと先で、当時は

疑問しかないわけで。何年もたった後、ありがたいなあとおもうのであり、

でも、思えるかどうかは本人の人生次第だったりする。

愛情に昇華されなかった躾は、意味なんかない。

 

今日、会社で上司にめちゃめちゃおこられたのだけれど、

怒られるのはいい。言い方がきついのもかまわない。

理不尽な事を言われているわけではないし、求めらたことが

出来なかったからそれは当然。仕事なんて、できれば何だっていい。

誰がしたっていい。それをまだ私にさせてくれているのだから、

ありがたい話。

だけど、上司の苦手なところをあげるとすれば、

人格を否定するところだ。確かに、雑な作りだったし、どこがゴールか、

どの程度のものをつくればよかったのか、確認しなかった

(むしろ、あんな資料よくだしたな私、のレベル)ものをちゃんとみてくれた

ことが素晴らしいわけで。

ただ。手を抜こうと思ったわけじゃない。どうでもいいと思ったわけではない。

どうせ、適当でいいとおもったのかもしれないけど、なんて言われると。

そうかあ、私、そういうことするように見えちゃってるんだなあ・・・・と

落ち込む。

細かい作業が苦手で、ガサツなのは承知している。感覚を磨いていないから、

バランスが悪い、というのを感覚的に理解できない。

適当にやったわけでなく、本当に分らなかったのだ。そして、一生懸命やったか

どうかなんて、仕事にもっと関係ない。要は、できたのか、出来なかったのか。

 

でも、人格否定をされると、反省からの改善にむかうまで

多少のラグが生じる。いらいらさせて申し訳ない、とおもう。

余計細部をみるけど、全体をみて細部を調整しないと意味がないわけで。

 

だからやっぱりデザイナーとか、そういう仕事の人はすごいとおもうの。

だって、その感覚って、10数年それが好きじゃないとみがかれないからね。

 

そらね、たまにはね!とかい子だって落ち込むさ!

いいじゃないか!でもね!!

どうせ明日になったら忘れるし、私がこの仕事みすっても

だれも死なないし!仕事は出来ることをするものであって、したいことで

なくてもいい!私はいま!

 

・・・・・・・8時間くらいねたいかな。

おやすみ・・・・・・

 

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(最近、他者にまた消費されかけたりして、なんかそういうのって続くとへこむよね。でもいいのだ。へこむということとは、それまでは膨らんでたってことだから。)